おじいちゃんとおばあちゃんの茶畑を継ぎました。地域の伝統と文化を伝えるなっちゃんの挑戦。
2019.11.27 UP

おじいちゃんとおばあちゃんの茶畑を継ぎました。地域の伝統と文化を伝えるなっちゃんの挑戦。

WORK

細い山道を上っていくと、突如として現れる茶畑。
祖父母から受け継いでお茶農家になった“なっちゃん”こと倉谷夏美さんは24歳の若さ。
日々奮闘しながら自分の夢に向かって活動しています。
そこには、お茶や日本文化を入り口に人とつながりたいという思いがありました。

 世界文化遺産のひとつ和歌山県田辺市の熊野本宮大社。その近くを流れる大塔川には、年季の入った小さな吊り橋が架けられている。そこを渡り、山道をひたすら上っていくと、突然視界が広くなった。24歳の倉谷夏美さんが、祖父から昨年継いだ茶畑だ。熊野の悠々とした山並みを見渡せるこの場所には、2つの茶畑があるのみ。「あの吊り橋をまさか車で渡って、こんな奥に茶畑があるとは地元の人もほとんど知りません」と“なっちゃん”こと夏美さん。

 昨年1月、夏美さんの祖父が急逝したのを機に、茶畑が売りに出される話が持ち上がった。祖父との突然の別れにショックを受け、茶畑が存続の危機を迎えた。そのことをSNSに投稿したところ、アメリカ・ハワイの友人から提案を受けたという。

 「『あなたが継げばいいんじゃない?』と。当初そのつもりはまったくなかったのですが、信頼している人から後押しされたら大丈夫かもしれないと思って。『Natsumi Chatsumi』と名づけて継ぐことを決意しました」

地元でもここに茶畑があることをあまり知られていないという。
地元でもここに茶畑があることをあまり知られていないという。

 元々、料理やものづくりが好きで、小学校の頃から手打ちうどんを家族に振る舞うほど。父と母双方の祖父母が農業を営んでいた影響を受けて農業高校へ進学した。料理人や農業の道を考えたが、どちらも体力勝負で女性には厳しいと、管理栄養士を目指し、猛勉強の末に合格した。「父は資格を生かした職に就いたほうが安定していると、茶畑を継ぐことをいまだに反対していますが、結局は原点に戻った感じです(笑)」。夏美さんは清々しい表情でそう話した。

こだわりの「番茶」を広めていきたい。

 この土地は、今から約70年前の昭和23年(1948年)、夏美さんの祖父の良造さんと祖母の全子さんが開拓者として入植し、ツルハシを使って山から切り開いて手にした。最初は桃を栽培したが、約50年前に茶畑に。「やぶきた」、「やえほ」の2種を合わせて7(約7440平方メートル)ほどある。お茶の木を植えてから収穫できるまで10年かかり、畑までの道路も先の吊り橋も自己資金と補助金で整備したという。「おじいちゃん、おばあちゃんが苦労して開拓し、守り続けてきた茶畑を手放したくない。そんな気持ちが強くなってきました」。

川湯温泉にある吊り橋を渡って茶畑へ。祖父ら開拓者で設置した。
川湯温泉にある吊り橋を渡って茶畑へ。祖父ら開拓者で設置した。

 茶畑では5月と6月、2回の収穫期が最も忙しくなるが、雑草を手で抜いたり、10月には翌年に新しい葉を収穫するための剪定作業をしたり。また、雨の日は炒り上げた茶葉を選別するなど、一年を通じてさまざまな作業がある。祖父母の時には農薬を年に1度だけ使用していたが、夏美さんは方針を変更した。

 「体のこと、環境のことを考えて農薬を不使用にしました。また、徐々にですが有機肥料にしようと、おばあちゃんと相談しています」。振動の激しい除草機や、持つのに3人がかりの収穫機の操作は、88歳の全子さんにとってはかなりの重労働だったが、今では夏美さんが代わりに手を動かしている。「なっちゃんと仕事ができてありがたい」と全子さんもうれしそうだ。

夏美さん、祖母・全子さん、母・光穂さんの3世代で。夏美さんの茶畑を継ぐ挑戦を家族も応援中。
夏美さん、祖母・全子さん、母・光穂さんの3世代で。夏美さんの茶畑を継ぐ挑戦を家族も応援中。

 そして、夏美さんは茶畑の未来を思い、大きな決断をする。これまでは収穫した茶葉のほとんどを業者に卸し、一部を直売所で販売するのみだったが、自家出荷も目指すことに。「茶畑存続のために、茶葉の生産量をこれ以上増やすのは大変。この本宮町で茶畑を本業でやっているのは私のところと隣のみで、卸先からも茶畑がなくなったら困ると言われました。そこで、卸先でアルバイトをしながら、製品化のノウハウを学ばせてもらいました」。その後、デザイン、容量、価格などを決め、今年5月にオリジナルブランド「なっ茶」を発売した。パッケージには“特別な番茶”とある。

パッケージや容量、価格などを一から自分で手がけた「なっ茶」。
パッケージや容量、価格などを一から自分で手がけた「なっ茶」。

 一般的には煎茶にできない茶葉を加工して番茶にするため、安価なイメージがある。しかしここでは、最初に摘む一番茶を釜炒りして揉み、天日で乾燥させて仕上げにもう一度釜で炒ったものを「番茶」と呼ぶ。郷土料理の茶粥にもこのこだわりの番茶が欠かせず、地域で親しまれている。「釜炒り茶と書いたほうが高く売れるのですが、地域の文化もちゃんと伝えたくて、あえて“特別な番茶”に。おじいちゃん、おばあちゃんが培ってきた味に自信があります」。

右上/収穫は年2回。新しいお茶の葉を摘み、自家出荷分は自分たちで加工する。右下/積んだ茶葉を機械で炒る。こちらの機械は地元の人に作ってもらった特注品。左上/炒り上げた茶葉。最後に選別、袋詰めの作業を経て、いよいよ出荷される。左下/淹れ立ての「なっ茶」。熱い湯を入れて30秒ほど置いてから飲むのがオススメ。『くまのこ食堂』でオーダー可能。
右上/収穫は年2回。新しいお茶の葉を摘み、自家出荷分は自分たちで加工する。右下/積んだ茶葉を機械で炒る。こちらの機械は地元の人に作ってもらった特注品。左上/炒り上げた茶葉。最後に選別、袋詰めの作業を経て、いよいよ出荷される。左下/れ立ての「なっ茶」。熱い湯を入れて30秒ほど置いてから飲むのがオススメ。『くまのこ食堂』でオーダー可能。

 この若きファーマーの奮闘を応援する人たちが、茶畑のある本宮町にいる。地域の食材を使ったレストラン『くまのこ食堂』代表の森岡雅勝さん、パティシエの矢倉実咲さんらスタッフだ。矢倉さんはボランティアで茶葉の収穫を手伝ったことから夏美さんと親しくなり、「なっ茶」を使ったブラマンジェを共同開発。ドリンクメニューには「なっ茶」があり、店内で茶葉の販売も。夏美さんはここで週2回働き、接客や調理の仕事をしている。「自由な発想の人が本宮町には多く、実咲さんもこれからパティシエとして独立しようとしていて、勇気をもらいます。ここに仲間がいるから、私も頑張れるのだと思います」。

森岡雅勝さん(写真右前)、矢倉実咲さん(右奥)ら、『くまのこ食堂』のメンバーたち。
森岡雅勝さん(写真右前)、矢倉実咲さん(右奥)ら、『くまのこ食堂』のメンバーたち。

茶畑と日本文化を入り口に、人がつながる空間を。

 夏美さんは自身のホームページに「茶畑と日本文化の継承」を掲げ、茶畑のほかに日本の伝統文化を伝える活動にも力を注いでいる。その一つが、日本舞踊。子どもの頃から習い、師範の資格を持つ夏美さんは、教室を開いて子どもたちに教えている。これらの伝統を継承する活動の裏にあるのは、人とつながりたいという願い。それは、ハワイで得た経験が大きく影響しているという。

夏美さんは、西川流師範・西川美華茶としても活動。文化庁の後援で「日本舞踊子ども教室」を月2回開催中。
夏美さんは、西川流師範・西川美華茶としても活動。文化庁の後援で「日本舞踊子ども教室」を月2回開催中。

 夏美さんは、専門学校在学時に1か月間、卒業後に3か月間、ハワイにあるアメリカ人と日本人のカップル宅でホームステイを経験した。ホストのフランキーさん、チエミさんからおもてなしの方法や自身との向き合い方など多くのことを学び、自身の価値観が大きく広がった。

 「管理栄養士の勉強に心身ともに疲れて辛い思いをしましたが、ハワイで暮らして自分らしさを徐々に取り戻していきました。ゲストとの時間を大事にする二人から影響を受けて、私もたった一度の人生ならそんな時間を持ちたいと思うようになりました」

夏美さんは、西川流師範・西川美華茶としても活動。文化庁の後援で「日本舞踊子ども教室」を月2回開催中。
築約50年の住宅を改装した食堂を昨年5月にオープン。

 母方の祖父母の家には節目節目に親戚が大勢集まり、手作りの郷土料理を囲んできた。その時の楽しさを、夏美さんは今でも忘れられない。茶畑、日本文化をきっかけに人が集まり、食を通じて人とつながる時間を夏美さんは持ちたいと思っている。

 「やりたいことがいっぱいある。仲間と励まし合いながら、心地よい空間をつくっていきたいです」。夏美さんの挑戦は始まったばかりだ。

倉谷夏美さん 『Natsumi Chatsumi』代表

稼働日のスケジュール

倉谷夏美さん

繁忙期
1月〜12月

収穫は5月〜6月中に2回ですが、一年を通じて仕事があります。

収入は?
週2回『くまのこ食堂』でアルバイトしていますが、メインの収入はお茶です。生活していける程度の収入は得ています。

農業の楽しさって?
収穫期が一番忙しいけれど、採れた茶葉の量、質に満足できると嬉しいです。茶畑を通じて人とつながれることも楽しいです!

記事は雑誌ソトコト2019年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

photographs by Katsu Nagai
text by Mari Kubota