竹内真二と指出編集長
2019.12.05 UP

連載 | デジタル地方創生記 くじラボ! | 5 1980年代、高崎。「BOØWY的価値観とマガジンハウス的価値観」の併存 指出編集長対談(前編)

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くじらキャピタル代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。

今回は、特別編としてソトコトの指出一正編集長との対談をお届けします。

「BOØWY的価値観とマガジンハウス的価値観」

竹内 指出さんは群馬県ご出身ですよね。「関係人口」という概念を提唱され、地方創生の第一人者である指出さんが、これまでご自身の故郷である群馬とどう向き合ってきたのか非常に興味があります。東京で暮らすようになったのは大学生からですか?

指出 そうです。僕は群馬県高崎市で生まれ育って、18歳の時、大学進学のため上京しました。僕の思春期は80年代後半で、ちょうどバブルの熱気が東京や関東を包んでいた時代に上京した訳ですが、その時に感じていたことが2つありました。

1つは、自分の親というより、社会全体が「早く東京に出ろ」と背中を押してくること。「東京に出ろ」というのは、例えば雑誌を読んでもテレビを見ても、情報は全て東京から発信されていて、東京に芸能人が集まっていて、おしゃれな街があって、かわいい女の子がいるというものを見せつけてくる。

今みたいに自分の好きなものを自由に取捨選択できる時代でもなかったので、とにかく一番マスの要素に答えるものしか北関東の田舎の高校生は手に入れる方法はなく、みんな東京がもたらす万能感に絡めとられる訳です。

指出編集長

もう1つは、メディアではなく地域全体から「ここは何もない田舎だから、東京のいい大学に行け」「東京に行くことが成功に繋がる、だから早めに東京に出ろ」という空気が滲み出ていたこと。いわば地域全体の親心のようなものです。

その雰囲気の中で自分は上京した訳ですけど、自分が中高生の頃に上越新幹線が開通したことで、北関東、特に東京から100キロ圏内が東京にぐっと近くなりました。交通の便がよくなることは諸刃の剣で、これは他の地域でも起きることですが、自分がいた高崎でも、アクセスがよくなることで気持ちも感覚も一番磁場の強い東京に引き込まれていくようになります。

でも実は、その流れに抗うように、反骨精神的にその時代を象徴するバンドが高崎から出ます。BOØWYです。

地元を愛するBOØWY的価値観と、東京に出ていかねばならないというフジテレビ的、あるいはマガジンハウス的価値観が拮抗していて、クラスの中でも自分はどっち、と立ち位置が分かれるような時代でした。

竹内 BOØWY的価値観というのは面白いですね。自分も世代的にBOØWYやその系譜に連なるBUCK-TICKといった群馬のヤンキー系バンドが大好きでしたけど、今でいう地元を愛する「マイルドヤンキー」的な価値観が、BOØWYの誕生をきっかけに地方で芽生え始めていたのかも知れないですね。

指出 マイルドヤンキーというより、もうハードヤンキーですけどね(笑)。みんな白いクラウンとかマークIIをシャコタンにして、BOØWYのステッカーをカッティングして貼り付けて、高崎駅前をぐるぐる回っていましたから。怖かったですよ。

竹内 80年代の小綺麗な東京的、マガジンハウス的なものに対するアンチテーゼとしてのBOØWY的価値観の屹立。非常に象徴的で面白いですね。

竹内真二

高崎への想い

指出 北関東って、東京的なんですよ。圧倒的な土着性のある文化が沢山あるかっていうと、そんなことはなくて、高崎に行っても子供や若い人が少ないかな、というくらいしか東京と差がないんです。秋田・横手のかまくらみたいな風物詩がある訳でもないし、沖縄のエイサーみたいな祭りがある訳でもないし、他の地域の人が見て「一体これは何なんだ?」と心揺さぶられるような文化や風習がある訳ではない。

高崎にはバイパスもあったし、モスバーガーもあったし、マクドナルドもあって、東京的なものがどんどん広まっていて、東京的なものにオブラートのように絡めとられる様な感覚がありました。

地元出身の有名人で言っても、例えば夏目漱石は出ていないけど、少し上の世代で山田かまちさんとか、その同学年に氷室京介さんなんかがいて、違う視点を持てば有名な人がいっぱいいるんですよね。

自分は、当然ながら何もかも関係性がなくなった状態で東京に出てきたわけではなくて、やっぱり小学校、中学校、高校時代に一緒に湖や川に行った釣り仲間の大半は地元にいるので、18歳で上京してからも定期的に高崎には遊びに帰っていましたし、釣りもしていました。高崎のことは嫌いではなかったですね。

ただ正月なんかに帰っても、3日くらいでもういいかな(笑)っていう感じにはなりますね。昔の地方出身は、みんなそう感じるのかも知れませんが。

竹内真二と指出編集長

竹内 最近はどうですか?

指出 最近は実家のこともあり意識的に高崎に帰るようにしています。と言っても高崎は電車で50分ちょっとで帰れるので、午前中に「ちょっと高崎行ってくる」と言って昼間だけ編集部から抜け出して、夕方には会社に戻って来ることができます。

今は、昔の友達や後輩が町づくりの中心になっていたりするので、自分が取材することもあるし、町づくりの輪の中に入れてもらったりもしています。

例えば、高崎の観音山公園にケルナー広場という場所があります。地元で児童図書専門店「本の家」を営む続木美和子さんが代表を務めるNPO法人「時をつむぐ会」が、高崎市から助成金を得て作った公園で、ドイツ人遊具デザイナーのハンス・ゲオルク・ケルナーさんという方がデザインした不思議な遊具が置いてあります。

この公園、僕が勝手に「子供が怪我をする公園」と呼んでいるんですけど、遊具はEUの厳しい安全基準をクリアしている安全なものなんですが、遊んでいて尻餅もつくし、時々遊具から落っこちるし、でも大きな怪我はしない範囲で少し痛い思いをするような設計になっています。これを日本で初めて公の場に設営するに際して、そのNPOの方が地元への説明会を実施したり関係者を巻き込んでいく中で、僕が呼ばれてつなぎ役をすることが多くなりました。

観音山公園にあるケルナー広場の不思議な遊具
観音山公園にあるケルナー広場の不思議な遊具

最近は上毛新聞で連載も始まり、「あのソトコトの指出さんが実は高崎の人だったんだ」ということで連絡をくれる人が増えていて、昔の仲間たちも、20代・30代の頃は町づくり、地域づくりにはあまり関心がなかったけど、家族ができて、子育てや介護が始まったりすると自分の町の未来をどうするのか、自分の町を面白くしたい、と考え始めるんですよね。

ちょうど僕がやらせてもらってるソトコトのトピックの方向性と、仲間や僕の年齢の上がり具合のタイミングが合ってきているので、この10年間くらいは高崎や群馬のプロジェクトにコミットすることが爆発的に増えています。

首都圏という立地の功罪

竹内 東京からそんなに遠くない地元って、そんなに特色ないし、いつでも帰れるし、悩ましいですよね。僕の地元は一応、横浜なんですけど。

竹内真二

指出 いいですね。シティボーイですね。

竹内 ただ横浜と言っても金沢区の金沢文庫なので、すぐ向こうは横須賀みたいな場所で、横浜と名乗ると怒られるレベルです。しかも、自分は引越しばかりでほとんど海外で育っているので、合計でも数年しかいませんでした。

海もあるし、大好きな町なんですけど、そんなに帰らない。たまに帰って地元の話を聞くと、例えば隣の横須賀市であっても海から少し離れた地区では過疎化が進んでいて、限界集落化しているという話をよく聞きます。東京から快速電車で40分という距離で、です。

その距離でも過疎化が進む、それなりにキャラが立っている横須賀ですらそうということは、交通の便がもっと悪くてキャラ立ちもしていない東京周辺の地域は、どう東京の磁力に立ち向かうべきなんでしょうか?

指出 東京周辺のベッドタウンにおける問題は、その場所を「選んで」住んだというよりも、その場所から通える勤務先があるから住んでいる、という発想の居住体系であることと思います。

だから高崎で言うならば、人口40万人の町で、実は人口も増えていて経済成長もしているんですが、高崎が好きで住んでいるというよりも、高崎がギリギリ通勤圏内だから家買おうかみたいな発想の人も多い。一番これから未来を作るべき世代の、その土地に住む動機付けがその町のことを思ってでないことは、もちろん理解はできるものの、人口が増えている中では町のことを思う人の「パーセンテージ」が減る訳です。分母が増えているので。

「町を思う人のパーセンテージが減ってはいけない」って言うのが僕の考えで、地域のことを思う人のパーセンテージを増やしていけば、仮に人口が減っていく中でもそれなりのチャンスや可能性があると思います。

逆に、その土地のことをちゃんと考えるような人たちのパーセンテージが減ると、病院が近いとか、「住みやすさ」「暮らしやすさ」ランキングを見て住む場所を選んでしまうようになり、ストーリーがなくなってしまうんですよね。ストーリーがないというのは、町がそれぞれのカラーを打ち出していこうという時代には、あまり合っていないんじゃないかと思います。

高崎で言うと、そうは言っても元々住んでいた人や、高崎のことが好きな人たちがどんどん生まれ育っているのは確かで、今では数多くのエリアリノベーションが起きていて、町の真ん中で人が集まる場所や、クラフトハンバーガーが食べられたり、感度の高い尖ったセレクトショップが続々誕生しています。

それをやっているのが、東京から来る地域プロデューサーじゃなくて、地元で生まれ育ったり、地元を一回出たけど戻ってきてそこで仕事をしている人たちだっていうのは、僕は評価したいんです。

竹内 東京から来る地域プロデューサーではなく、地元の人というのは示唆的ですね。

僕はくじらキャピタルという中小企業再成長支援ファンドをやっていて、指出さん程ではないけれどそれなりの頻度で地方を回って投資検討や取材をしているんですけど、地方創生に向けた取り組みで少し気になる点があって。

(後編に続く)

文/企画編集:竹内真二  撮影:五十嵐真由子

※本連載で取り上げる企業様は、くじらキャピタルの投資先ではなく、また出資に関するご相談を受けている先でもありません。
くじらキャピタル: https://www.quzilla.co.jp

キーワード

指出一正

さしで・かずまさ
月刊『ソトコト』編集長。1969年群馬県生まれ。島根県「しまコトアカデミー」、静岡県「『地域のお店』デザイン表彰」、奈良県「奥大和アカデミー」、奈良県下北山村「奈良・下北山 むらコトアカデミー」、福井県大野市「越前おおの みずコトアカデミー」、和歌山県田辺市「たなコトアカデミー」、高知県津野町「地域の編集学校 四万十川源流点校」など、地域のプロジェクトに多く携わる。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「わくわく地方生活実現会議」、「人材組織の育成・関係人口に関する検討会」委員。内閣官房「水循環の推進に関する有識者会議」委員。環境省「SDGs人材育成研修事業検討委員会」委員。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ新書)。趣味はフライフィッシング。

竹内真二

たけうち・しんじ
くじらキャピタル代表取締役社長。外資系投資銀行、複数回の起業とExit、上場企業のバイアウトなどを経て2018年に「人を幸せにする資本」くじらキャピタルを創業。デジタルx資本で中小企業を元気にすべく、日本中を飛び回っている。1976年、横浜生まれ。