50年前の日本で、
和辻哲郎の
『風土』と出合う。
オギュスタン・ベルク博士は、「風土学(mesologie)」と名づけられる学問領域を切り拓き、自然と文化の二元論や、環境倫理における人間中心主義といった近代西欧主義的価値観を批判的に克服しつつ、「自然と人間の共生」について独自の研究と提言を行ってきた。
「風土学」とは、自然、ひいては地球と人間の関係を新たな視角から捉え直そうとする、東洋的自然観を基盤に据えた環境人間学である。人間中心主義的には、自然や地球は人間の側から一方的に何かの対象として見られ、結果的に地球環境の総体的な荒廃を招くに至った。また、資源の有限性が強調される「宇宙船地球号」というようなイメージを付与されることも多かった。
対して風土学では、自然と人間は相互に関わり合うと考える。この関わり合いは、単なる「資源」というだけではない、さらに多様な要素と可能性を持つ「風土」を、地球上のさまざまな場に生成する。たとえば日本の伝統的な「里山」や「里海」も、そうして生まれた風土の一形態だ。
風土学的な視野を持つことは、従来の環境科学や価値観では到達することのできなかった「持続可能な自然との共生」を果たすための指針にもなる。風土学が生まれた背景や現代社会での生かし方、今後の研究で目指すことなどについて、ベルク博士に話を聞いた。
「風土学」は、どのようにして生まれてきたのでしょうか。
近代の哲学者・和辻哲郎氏の著作『風土』に大きな影響を受け、その概念をさらに拡充、深化、発展させたものです。私はフランスで地理学を学び、東洋のことをもっと知りたいと1969年に来日しました。約1年間、東京に住んだ後、北海道大学でフランス語の講師をしながら北海道開拓の歴史について博士論文を書くための研究を始めた際、日本の地理学の教授に勧められて読んだのが翻訳版の『風土』でした。
それはどのような内容だったのですか。
「人間の暮らし方やものの考え方は環境に応じて決まる」という、環境が人間に二元論的に作用する環境決定論だと間違えられることが多いのですが、この本のもっとも大事な指摘である最初の1行目、「この書の目指すところは人間存在の構造契機としての風土性を明らかにすることである」という一文で、そうではないとわかります。契機とは機械学の表現で、ふたつの力、この場合だと人間と環境が関わり合うこと。その関わりから風土という第三の存在が生成される。その風土について考えるという内容です。
人と環境との
関わりで変化する
「通態性」。
読んで感銘を受けたのですね。
実は最初に読んだ翻訳では、その大事な一文の訳がうまく訳されていなかったために、全体の意味もよくわからなかったのです。今になって振り返れば、訳者もよく理解できていなかったのだろうと思います。私もきちんと理解したのは、研究を10年近く続けた後でしたから。
何かきっかけがあったのですか?
かつて北海道を開拓した人々が長年かけて、北海道で稲作を可能にしたと知ったことです。北海道の気候は本来、稲作には不向きで、専門的な知識を持つ開拓使や外国人顧問たちは馬鈴薯や小麦づくり、酪農を開拓民に勧めました。しかし開拓民たちは結局50年以上かけて、北海道のなかで水田を広げた。環境と人間が相互に関わり合い、新しい風土が生まれたのです。
その後も私は環境と人間との関係について調べ、このような関わり合いは「風景」という概念も誕生させたのだとわかりました。風景とは、環境を誰がどのように解釈するかで生まれるもの。たとえば中国では4世紀の六朝時代に初めて、ある画家が自然美を「山水」、すなわち風景として見るようになりました。これもまた人と環境が関わり合った結果、風景という第三項が発生したのです。
そのような発見を経て切り拓いた風土学を、ベルク博士は環境を荒廃させる「持続不可能な社会」を乗り越える指針にできると考えているそうですが、その理由を詳しく教えてください。
近代西洋的な価値観では、あるものは、「そのものとしてのみ」存在します。この価値観では自然は単なる環境であり、人間が関わった結果として生まれる、バリエーションのある風土や風景にはなりません。これは人間と地球との関わり合いが断たれた状態といえます。環境を二元論的に「そのものとしてのみ」、たとえば「資源としてのみ」見るような姿勢、つまり人間=主体が、自然=客体のある面しか見ない、そういった姿勢が、地球温暖化を発生させ、生物の第六次大量絶滅さえ危惧させるような、持続不可能な社会を生み出したと言ってもいいでしょう。
風土学でも、環境を「何かとして」見るという点では変わりませんし、「何かとして」見ることができないものは、存在しないのも同様だと考えざるを得ない点は同じです。しかし人間と自然とがお互い生きて関わり合うゆえに、「何か」の内容はより多彩で、関わり合い方に応じて変化もします。私はこの状態を「通態性」と名づけました。
風土や風景のほかに、通態性を理解するのに何かわかりやすい例はあるでしょうか。
通態性においては、私は4種類のあり方、つまり「〇〇として」が存在すると考えます。資源、障害、リスク、快適さです。たとえばアラスカの石油は、約30年前に発見されたことで、今では「資源として」存在するようになりました。ですが、そういう関わり合いが生まれるまでは、そこで生活していたイヌイットたちにとってそれは単なる地面でした。何かを別の何か、「〇〇として」捉えるには、自己同一性から離れて一歩外に出てそれを見なければなりません。関わり合う姿勢をとったことで自己同一性から離れて別の通態性が生じ、新たな「〇〇として」を得たのです。
photographs by Yusuke Abe
text by Sumika Hayakawa
本記事は雑誌ソトコト2019年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。