アライアとの出会いがサーフィンとの向き合い方を変えてくれた【石川拳大・中屋祐輔対談】
2020.01.08 UP

連載 | 体験にはいったい何があるというんですか? | 2 アライアとの出会いがサーフィンとの向き合い方を変えてくれた【石川拳大・中屋祐輔対談】

PEOPLE

 物や情報が簡単に手に入りやすくなった今、便利になっているはずなのに心が満たされず、どこか物足りなさを感じている人が多いように感じます。モノ消費からコト消費へと変わって行く中で、どんな体験をするかによって人生の豊かさや経験値が大きく変わっていくのではないでしょうか。
 今回は、プロサーファーとして世界を飛び回りながら、他拠点生活をしている石川さんとの対談記事をお届けします。

海と共に育つ

①
幼少期は湘南・茅ヶ崎市で過ごす

中屋 石川さんがサーフィンを始めたのは何歳くらいの時ですか?

石川 僕がサーフィンを始めたのは4歳の時です。家族全員サーフィンをするので「自然と海にいて自然と波に乗っていた」みたいな感じですね。

中屋 物心がついた頃に始めたわけではなくて、気付いたら海にいたんですよね。

石川 ずっと海にいた記憶があります。4歳の時、親にサーフショップに連れて行かれ「自分の好きな板を選んでいいよ」と言われてから僕のサーフィン人生が始まりました。

中屋 大会に出たのは何歳くらいからですか?

石川 元々、横浜に住んでいたんですけど、僕が小学校2年生くらいの時に茅ヶ崎に引っ越してきて、そこから大会に出るようになりました。初めて出た大会でトントン拍子に勝ち上がって、全日本の大会にも出場しました。

②
オーストラリア・ゴールドコーストで4年間の留学生活を経験

中屋 それはすごい!その大会をきっかけに他の大会にも出るようになったんですか?

石川 そこから大会に出続けるようになりました。高校の時はオーストラリアに4年間留学していたので、大会には出ていないです。

中屋 オーストラリアの留学生活はどうでしたか?

石川 自分の中でとても大きい学びになりました。留学するまでは、サーフィン=競技だと思っていたんです。でも、オーストラリアに行って「サーフィンってこんなに様々な在り方があるんだ」ということを目の当たりにして、後に卒業制作で「OCEANTREE」という映画も作りました。

宮崎青島での出会い

④
対談の様子

中屋 石川さんと初めて出会った時は映画がリリースされる前で、「今度上映会をやるので来てください」って誘われたのを覚えています。

石川 宮崎県の青島で行ったプロジェクトの時ですよね。

中屋 一般社団法人防災ガールの田中さんと一緒に開催した、小中学生向けの防災教育を考えるプロジェクトで、石川さんはサーフライダー・ファウンデーションとして参加してくれましたよね。そこで初めてお話して、その後も何回か宮崎で会いましたね。

石川 そうですね、全部青島でお会いしていますね。

中屋 事前打ち合わせとその後の合宿でがっつり話したと思います。石川さんは当時大学生で、今度「会社員としてサーファーになるんだよ」って紹介された記憶がある。

石川 あの時の縁が広がって今でも繋がりがあるのは嬉しいです。

環境問題について向き合う

⑤
映画「OCEANTREE」制作時の様子

中屋 本当にそうですよね。「OCEANTREE」という映画を作ろうと思ったきっかけは何だったんですか?

石川 小さい頃から湘南の海でサーフィンをしていたんですが、その頃からゴミが減らないという課題がありました。ゴミを減らすためにどうしたら良いのかをずっと考えていて、それを映像として発信したらもっと自分たちの想いやサーファーとしての想いを伝えられるんじゃないかと思い、サーフィン×環境問題についての映画を卒業制作で作ることにしました。

中屋 僕もあの映画を拝見させてもらったんですが、海のゴミが減らないのは、街から大量にゴミが流れてくるからですよね?

石川 7〜8割くらいは街から流れてくるゴミが原因です。特に川の近くのビーチは雨が降った後、水質が悪くなります。波が良かったら海に入るんですけど、体調は悪くなりますね。街だけじゃなくて山にもゴミはいっぱいあるし、山と海が繋がっていることを映画を作る時に知って、地球ってすごいなとしみじみ感じました。

映画を制作して気付いたこと

⑤
映画の中に出演しているアライア職人と一緒にサーフボードを制作

中屋 ストーリーの中では、海も街も山も全てが繋がっているという風な表現をされていましたが、その先に山があることはどこで知ったんですか?

石川 元々はサーフィンの原点であるアライア(木を削って作るフィンが付いていないサーフボード)が木である、ってところから知りました。根本的な部分でどういう繋がりがあるのか自分なりに旅をしながらリサーチして行って辿り着いたところではありますね。

中屋 アライアに出会ったのはいつ頃ですか?

石川 オーストラリアに留学していた高校時代です。海の中で木の板に乗っている人を見掛けて、「なんだあの人」って思ったのが最初です。「これアライアっていうんだよ」って言われて、こんな遊び方も楽しめるんだと感銘を受けました。波に乗って技をする必要もないし、サーフィンってこんなにシンプルでいいんだと思うと、自分の中の常識が少し崩れていきました。

中屋 映画の制作期間はどれくらい掛かりましたか?

石川 2年くらいです。カメラマンと一緒に軽トラに乗って日本中を旅したり、映像も音楽も全部オリジナルで作りました。沖縄民謡やウクレレ、和太鼓の音を入れたり、シンガーソングライターの子も参戦してくれました。

中屋 最初は卒業制作って言われたから、どこまで作っているのかと思って実際観てみると、作り込み方がすごくて驚きました。

石川 ロゴを作ってくれた方も有名なアーティストさんで、無償で絵を描いて頂いたり、「OCEANTREE」を通して出会った人たちは、すごいかっこいい人ばかりでしたね。

映画を作るという体験が世界を広げてくれた

⑥
対談の様子

中屋 大学の卒業制作で作った映画に、監督をやりながら出演をするって本当にすごい体験ですよね。海と街と山が繋がっていることを論文に書くのではなくて、もう一歩踏み込んで映像を作ったり、実際にアライアを作るために山へ足を運んで、自分で木を削って、海でそれを体験することはすごい行動力だなって感銘を受けました。

石川 自分のやりたいことが卒業のタイミングでできたのかな、って思うとすごくいい体験でしたね。

中屋 そこから色々広がっていきましたもんね。

石川 今、新しい映画の企画をしている人もすごい関心を持ってくれて一緒にやって行こうって言ってくれています。

中屋 それは嬉しいですね。環境問題に対して、認識はしていても行動を起こせるのは一部の人だけじゃないですか。でも、そこから発信など行動を起こす人って本当に少ないから、石川さんはそういう意味ではアクティビストだと思います。

石川 自分の体験とか幸せだなと思うことをシェアしたいって気持ちは常にありますね。インドネシアやフィリピンに行った時、サーフィンをしたくてもできない子どもたちがいっぱいいたので、サーフボードを1本か2本シェアしてあげて一緒にハピネスを楽しむという体験をしていました。

⑦
サーフィンをしている石川さん

中屋 サーフィンとの向き合い方も変わっていきましたか?

石川 ボディーサーフィンやアライアを始めてみて、波の可能性を知ったし、サーフィンの遊び方の幅が広がりました。サーフィンをするために海に来ているのではなくて、サーフィンがツール。海に入ることで喜びや感動を感じるから、全ての遊び心の幅を広げているんだなと感じています。波と対話するってところが本質的だと理解していると、1本1本の波のありがたみを感じることができます。

子供たちが挑戦できる場を作って行きたい

⑧
青島で行った小中学生向けの防災教育を考えるプロジェクトの様子

中屋 これからやっていきたいことはありますか?

石川 小学校・中学校と競技としてサーフィンと向き合うようになってから、もう少しチャレンジできる場があったら良いなって想いがありました。宮崎でも青島中学校と高校でサーフィン部ができているし、とても良い動きだなと思います。サーフィンだけじゃなくて、もっと子供達にそういう機会を与えて行きたいし、そういう場を僕自身も作っていきたいと思っています。

中屋 日本全国でも自然災害はいつ発災するか分からない中で、青島のように海と関わる人が多い地域にはサーフィンをされる方も多いですよね。実際にサーフィンをやることによって被災した時に海の中でどうやって逃げるかということを知っておかないといけない。それを小学校の頃から知っているか知らないかで全然違いますよね。

石川 青島中学校みたいに、サーフィン部として海との繋がりを持つことで、防災教育が必要だということを知るきっかけにもなりますよね。

あとは、「海の寺子屋」という、海との接点を作ってあげられるような小さな学校の中で、定期的にビーチクリーンをやったり、プラスチックゴミでサンドアートを作ることをやっています。それは海との接点を作ってあげるきっかけに過ぎないのですが、海のゴミ問題や防災教育にも繋がっていきますし、もっと活動の幅を広げていきたいなと思っています。

⑧
海の寺子屋でのイベントにて

中屋 そういう意味では、これからは一つの地域だけじゃなくて宮崎や高知とか、いろんな地域に石川さんが行って、サーフィンをやりながら啓蒙する人みたいなポジションになるのかな(笑)。

石川 啓蒙かは分からないですけど(笑)。

中屋 海と生きる人みたいな。仙人みたいですね。

石川 ゆっくり楽しく生きていけたら良いかなって思っています。映像は面白い発信方法だと思っているので、今後も「OCEANTREE」第2弾みたいな、そういう作品も作っていきたいですね。

体験には何があった?

⑩
映画「OCEANTREE」制作時の様子

サーフィンとの向き合い方が変わったのはオーストラリアに留学していた高校時代。今まではサーフィンを競技と捉えていた石川さんですが、アライアや人との出会いによって、サーフィンがツールだということに気付きます。波と対話することが本質だと理解してからは、「1本1本の波のありがたみを感じるようになり、海に入ることが幸せや喜びだと思うようになっていった」と石川さんは語ります。その経験が元になり「OCEANTREE」を生み出すきっかけ作りに繋がっていきました。

映画制作に2年間を注ぎ、オーストラリアや日本各地を旅しながら企画・構成、音楽制作、出演、撮影、演出、編集に関わる全てをオリジナルで手掛けるという情熱の注ぎ方はプロそのものです。映画の中には石川さんの想いがたくさん込められているのだと感じることができました。

映画を作るという体験が石川さんの視野をさらに広げ、今後は地域に根付いて子供たちが海と関わるきっかけを作れる場所を増やして行きたいと挑戦する姿は、過去の原体験が活きているからなのかもしれません。

そんな石川さんの体験が詰まった映画「OCEANTREE」はこちら。

OCEANTREE - The Journey of Essence - from The Days Water. on Vimeo.

文・木村紗奈江

キーワード

石川拳大

神奈川県 1994年生まれ、神奈川大学経営学部・国際経営学科出身。日本情報通信株式会社<NI+C>所属 会社員サーファー。 サーフィン業界初の企業アスリートとして活動中。

中屋祐輔

体験を開発する人。
シナジーマーケティング株式会社にて「復興デパートメント」リブランディング、東北の若手漁師集団「FISHERMAN JAPAN」のファンクラブ担当、熊本地震の復興クリエイティブチーム「Bridge KUMAMOTO」理事。ほっとけないどう事務局。2017年4月よりdot button company株式会社を設立。

木村 紗奈江

dot button company株式会社・エディター、ディレクター。大学を卒業後、ピースボートで初海外・世界一周の旅に出る。帰国後は日本中を約2年半旅しながら働く生活を送る。映像クリエイター、ライター、カメラマン、料理人など、多彩な顔を持つ旅を愛する自由人。
自らの体験が人生を変えたように、今度は自分がワクワクする体験を開発したいと思い日々奮闘中。