憂国呆談 season 2 volume 106
2019.04.05 UP

憂国呆談 season 2 volume 106

SOCIAL

【今月の憂いゴト】
アートによるまちづくりから、
米朝首脳会談の結果、
3.1独立運動100周年、
野田市の少女虐待死事件まで。

神奈川県横浜市を走る京浜急行電鉄の高架下に昨年オープンした、複合施設『Tinys Yokohama Hinodecho』を訪れた田中・浅田両氏。十数年前まではイリーガルな風俗店が立ち並んでいた地域が、アートを使って新しいまちに生まれ変わろうとしている姿を眺めながら、2月末に開かれた2回目の米朝首脳会談の結果や、千葉県野田市で起こった小学4年生虐待死事件について語った。

横浜はアートの街に?
日ノ出町もイメージを一新。

浅田  今日は横浜・日ノ出町の京浜急行電鉄高架下にオープンした『Tinys Yokohama Hinodecho』っていうホステルのカフェ&バーに来てる。このあたりは昔、隣の黄金町初音町とともに「ちょんの間」と呼ばれる売春宿が密集してた地域だけど、NPOが中心になって、アート・イヴェントを開いたりアーティストが安く借りられるスタジオをつくったりして、イメージ・アップを図ってきた。

田中  港を見下ろす屋敷町と川沿いのスラムの「格差」から生じた児童誘拐事件をテーマに、東京オリンピック開催前年の1963年に公開された黒澤明監督『天国と地獄』は、この一帯を舞台として想定しているんだね。先月号で話した1945年3月11日の東京大空襲に続く5月29日の横浜大空襲ではB-29が低空飛行で機銃掃射を繰り返し、高架下に住民や乗客が逃げ込んだ黄金町駅に命中した焼夷弾の火がホームから地上へと火砕流となって、この場所だけでも600名以上が犠牲となった。
 関東大震災の復興事業で造成された山下公園の関内地域から伊勢佐木町を経て初黄・日ノ出町地区の関外まで焼け野原となった横浜に進駐した占領軍は、関内の港湾施設や関外の伊勢佐木町を接収する。逆に接収を免れた野毛には闇市、初黄・日ノ出町には港湾労働者の簡易宿泊所が林立したらしい。その後、公共職業安定所が「もはや戦後ではない」と『経済白書』が記した1956年に寿地区へ建物が移転すると、それに伴って簡易宿泊所も少なくなり、2005年に神奈川県警が「バイバイ作戦」と称して一掃するまで、最盛期には250軒とも言われる非公認の売買春が行われる地域として名前を馳せるようになった。
 余談だけど、カタカナ言葉が大好きな石原慎太郎と田中康夫は怪しからんとディスる意識高い系が、「ハローワーク」をはじめとする行政機関のカタカナ乱用とNTT、JR、UR都市機構といった民営化企業や独立行政法人のアルファベット略称の氾濫に物申さぬ矛盾は、東京の外務省からの訓令に背いてユダヤ人にもビザを発行した杉原千畝を日本人のだと称賛する一方で、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所でのホロコーストは捏造だと言い張るフリーメイソン会員の高須克弥医師の思考回路の欠落と似ているけどね。ともあれ、明治維新までは人口数百人の寒村だった横浜村が国際港湾都市へと変貌を遂げる過程での数奇な運命の縮図が初黄・日ノ出町とも言える。その場所が変わりつつあると。

浅田  ニューヨークなんかでも、家賃の低い地域にアーティストが集まり、画廊なんかもできてファッショナブルになると、家賃が上がってアーティストがまた別の場所に移動するって過程を繰り返してきた。悪いことじゃないけれど、風紀をよくしイメージアップするための安くて衛生無害な手段としてアートが使われるとしたら問題。そもそもアーティストがそんなに大勢いるわけでもないし……。

田中  「管理」して「鋳型」に閉じ込めるのが仕事だと信じて疑わないのが行政という組織の宿痾。とはいえ、「水清ければ魚棲まず」で、しかも古今東西、芸術は善くも悪くも正気の沙汰ではない営みからも生まれてきたからね。神戸生まれで湘南育ちの石原慎太郎が25歳で発表した、当時は精神薄弱と呼ばれていた知的障害の女性を拉致監禁して輪姦の末に崖から突き落として殺害する短編小説『完全な遊戯』は、今ならめし“焚書坑儒”という同調圧力の嵐が吹き荒れているよ。
 その一方で以前に訪れた駒場の『日本民藝館』の設立者でもある柳宗悦の民藝運動に象徴されるように、「生活芸術」もれっきとした芸術だからね。アーツ&クラフツ運動を実践したウィリアム・モリスのコレクションで名高いロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館には、イーストエンドのベスナル・グリーンに分館として子ども博物館がある。この近くの東小学校は児童の5人に1人が父母のどちらかが外国籍だと聞いて思い出したけど、曲流するテムズ川沿いの船舶の建造や係留、積荷の揚げ降ろしをするドックで働くコックニーの労働者と英連邦からの移民が暮らしていた下町がイーストエンドで、その劣悪な公衆衛生を改善しようと医師や弁護士や篤志家が活動する一方、アルバート・エドワード7世がプリンス・オブ・ウェールズだった1872年に子どもの情操教育の場として入場料無料の子ども博物館を開館させている。
 クルマを駐車場に止めた後、対談までに少し時間があったので周囲を歩いてみたら、仏具だったり鰹節だったりを扱う職人の店も多いんだね。新旧の住民による芸術が有機的に融合して、よい意味で行政の思惑を超えた町になっていく可能性を秘めている。

浅田  いわゆるジェントリフィケーションじゃなく、貧しさがオシャレというか、そういうやんちゃなおもしろさをもった町になるといいね。その意味で、タイニーハウスに泊まれるホステルができたり、隣には目の前の大岡川でサーフボードを漕いで楽しめるスタンドアップ・パドル(SUP)のクラブができたり、いろいろ広がりが出てきたのはいいことだ。

田中  明治初期には日ノ出町周辺の湧水を横浜港に寄港する海外からの船舶に販売していたんだって。かつては木材を運ぶ水運も盛んだった大岡川に整備された岸壁の桟橋で写真を撮ったけど、若者が集うブティックやバールが評判のミラノの運河沿いのナヴィリオ地区みたいになるといいね。

浅田  アートに関してついでに言うと、横浜では2004年に池田修が中心となって、1929年にできた2つの銀行、旧・第一銀行(現・横浜創造都市センター)と旧・安田銀行(現・東京芸術大学大学院映像学科)を再利用する「BankART1929」ってアート・プロジェクトが始まった。06年に日本郵船の倉庫だった建物に移転し、「BankART Studio NYK」となった後も、展覧会からスクールにいたる幅広い活動で注目されてきたんだけど、再開発計画が持ち上がって18年に退去。最近、みなとみらい線・新高島駅の地下空間に「BankART Station」、JR根岸線高架下に「R16 Studio」、シルク博物館に「BankART SILK」がオープン。オープン展の「雨ニモマケズ」は前二者を結んだもの。とくに、過去の廃墟だった旧・日本郵船倉庫に対し、開発の進む新高島は未来の廃墟とも言うべき場所で、なかなか印象的。他方、「BankART SILK」では、スタジオニブロールの矢内原充志が中心となって、日本三大寄せ場のひとつである寿町の日雇い労働者の着こなしに学んだファッションや、愛媛県下の縫製工場群とのコラボレーションの成果なんかを展示してた。
 ちなみに、「ヨコハマトリエンナーレ2020」のアーティスティック・ディレクター選考には僕も関わって、日本の国際芸術展のディクレクターが従来ほとんど日本人男性だったのに対し、男性2人・女性1人からなるインドのアーティスト集団ラクス・メディア・コレクティヴを選んだんだけど、明治学院大学のイギリス人人類学者トム・ギルが寿町の日雇い労働者(どうやら中沢新一経由でドゥルーズ&ガタリの話をする)に密着して書いた『毎日あほうだんす:寿町の日雇い哲学者 西川紀光の世界』をネタの一つとして連想の糸を紡いでいくって発想が、いかにもトレンディなほかの候補者たちの提案よりおもしろそうだったから。東京オリンピックの「裏」なんで、へたにポピュリズムを狙っても無駄だしね。

田中  なるほど。凡庸な選考委員が凡庸な展示作品をチョイスするほかの展覧会と違って、今回は期待できそうだね。

朝鮮や韓国との関係を、
今こそ見つめ直すべき。

浅田  2月27日・28日にヴェトナムのハノイで行われたドナルド・トランプ大統領と金正恩委員長による米朝首脳会談は、合意に至らずいったん仕切り直しってことに。

田中  いわば、ティーブレイクを取ったという感じ。なのに重要外交案件の拉致問題も北方領土も天井桟敷に置いてきぼり状態な日本だけが、両国が決裂したかのように大喜び。たしかに、民主党のナンシー・ペロシ下院議長がトランプの顧問弁護士だったマイケル・コーエン被告の公聴会をあえて会談の日に開いた影響はあっただろうけど、政治も外交も駆け引きの世界。当初は朝鮮戦争終結宣言を発表することで、日本の首相からも推挙してもらったノーベル平和賞を狙おうと考えていたんだろうけど、BBCが的確に報じたように「何らかの合意文書に現時点で署名するのは可能だが、急いでやりたくはない。きちんとやりたいんだ」と判断したわけだ。僕としては、ワシントンと平壌に両国が連絡事務所を設置する一歩は踏み出したほうが賢明だったとは思うけどね。

浅田  トランプとしては、得点を稼ぎたいけど、へたに妥協したと言われるのも避けたい。金としては、最初の一手として寧辺の核施設を全廃する代わりに経済制裁を部分的に解除する案を出したところ、最初から別の施設の問題も持ち出されて、硬化したんだろうね。そうやって実績を積み重ねながら同時並行的に進めていくのが普通なんで、CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)が交渉の入口だなんて言ってたら、何も始まらないよ。その点、トランプが米韓軍事演習をやめるって言ったのはおもしろい。費用削減を狙ってのことでもあるけど、明らかに北朝鮮への誘い水でもある。むろん予断は許さないけど、「決裂」ってわけじゃないよ。

田中  「中途半端な合意を性急に目指すのではなく、より正しく満足な合意を目指す」と会見で彼が述べたのは負け惜しみではなく、進展の証しだととらえるべき。それにしても、48分間の単独会見をライブ中継で見ていたら、英米仏独だけでなく中国と韓国の記者も流暢な英語で個別具体的に鋭く、さらには汚職疑惑で検察が訴追する方針を表明した直後のベンヤミン・ネタニエフ首相と絡めてイスラエルの記者も質問したのに、日本の「誤送船団・記者クラブ」は誰一人として質問しないヘタレ振りを全世界に披露しちゃうとはね。
 「どのように拉致問題を解決するか、私がこの後(ドナルドとの電話会談で)考え方を伝えるから(ハノイで委員長に)伝えてもらいたい」と2月19日に日本の首相が拉致被害者のご家族に官邸で伝えていたんだから。しかも、日本時間で会談終了直後の28日17時3分に「大統領が安易な妥協をしなかったのは良かった」と日本政府高官が官邸で記者団に述べて、17時18分には「日本政府関係者は大統領が米朝首脳会談で日本人拉致問題を取り上げたと明らかにした」とホワイトハウスへの裏取りもワシントン特派員が行わずに報じているんだよ。
 思い起こせば半年前の昨年9月25日に国連総会の一般討論演説で「北朝鮮との相互不信の殻を破り、金正恩委員長と直接向き合う用意がある」と明言し、10月29日の衆議院本会議では「家族も高齢となる中、一日も早い解決に向け、あらゆるチャンスを逃さない」と決意を述べている。ハノイ会談後の今年3月5日の参議院予算委員会でも「拉致問題はまさに日本の問題だ。日本が主体的に取り組むことが重要で、次は私自身が金正恩朝鮮労働党委員長と向き合わなければならないと決意をしている」と同じ科白を繰り返している。「やるやる詐欺」は許せないと、山口二矢のように激昂する民族主義者が現れないことを心から願うよ。

浅田  トランプは安倍との電話会談より韓国の文在寅大統領との電話会談のほうに倍以上の時間を費やしたらしいから。
 首脳会談が終わった翌日、韓国で3.1独立運動100周年記念式典が開催され、日本の右翼は「反日だ」って煽ってたけど、文在寅は慰安婦問題や徴用工問題に言及しなかった。第一次世界大戦が終わろうとしてた1918年にウッドロウ・ウィルソン米大統領が十四か条の平和原則で民族自決をうたい、それに触発された朝鮮人留学生たちが19年2月8日に東京・神田の朝鮮基督教青年会館(現在の在日本韓国YMCA)に集まって独立宣言を行った、それが本国での3.1運動につながり、さらに中国の5.4運動が続く。その2.8宣言は、日本を非難する前に朝鮮人が主体として覚醒し自立しなきゃいけないって趣旨で、いわゆる反日じゃないんだよ。当時の日本は脱亜入欧で植民地支配の側に回ってたわけだけど、今となっては日本で朝鮮人留学生たちが独立の声を上げたことを意義深く思ってるっていうような祝福のメッセージを出すぐらい、日本政府もやればいいのに。韓国から問われてるのは、外交的・法的決着に先立つ歴史観なんだから。

田中  それこそが未来志向。そういう発想を官邸のなかで諫言できる人間がいないところが大きな問題。二百歩譲って嫌韓の皆さんが3.1運動は反日集会だと思うなら思うで、なぜそうした催しが開かれてしまうのか、胸に手を当てて考える「余裕」が必要。ところが、外務省は韓国渡航者や在留邦人に注意喚起を促す始末。

浅田  そんなことを言うんだったら、韓国には日本人が4万人ほど住んでるし旅行者も常時2万人くらいいる、それを避難させなくていいのか(苦笑)。他方、韓国からは年間700万人を超える旅行者が日本に来てる。民間の関係は悪くないんだよ。なのに、なぜマスメディアまで嫌韓を煽ろうとするのか。

田中  朝日新聞でさえ、産経新聞かと見紛うほどに視野狭窄な「嫌韓・反朝」記事を垂れ流す牧野愛博をソウル支局長として重用する始末。

浅田  この号が出る頃には新しい元号が発表されてるけど、昭和の終焉の頃に比べて明らかに右傾化してるね。ちなみに、右翼政治思想史の研究者で戦前・戦中の音楽にも詳しい片山杜秀の『平成精神史』(幻冬社新書)は結構おもしろい。たとえば「元号法制化国民会議」(1978年)→「日本を守る国民会議」(1981年)が宗教右翼の「日本を守る会」(1974年)と合併して「日本会議」(1997年)ができる、そのキーパーソンが、議長になるはずだったのに結成大会直前に死去した黛敏郎だって説。黛は、一方で近・現代音楽の構造を探求しながら、他方でそこに熱いエネルギーを注ぎこもうとして、結局ナショナリズムに走った、と。「国民会議」が元号法制化(1979年)を達成した後、歴史教科書問題でも独自の歴史教科書を出して最前線に立ったことなんかも思い起こせば、改元が迫る今、こうした流れを改めて振り返っておくことも大切だと思う。あるいは「現代の学徒出陣としての五輪ボランティア」って話。1943年から学徒出陣が始まり、45年になると本土決戦時には全国民が義勇兵(ミリタリー・ボランティア)になって軍の指揮下で戦うことを義務づける義勇兵役法まで成立する。で、その時代の学徒出陣に当たるのが現代の五輪ボランティアだ、と。やや誇張がすぎるようにも見えて、おもしろい話だと思う。

田中  NHKの「チコちゃんに叱られる!」で、「今こそすべての日本国民に問う!」という決まり文句が流れるんだけど、じゃあ、コンビニで働いている日本人以上に美しい日本語を話す在日外国人には問わなくていいのかよ。それから、チコちゃんが名解答を披露したら、「さすがチコちゃん。きっといいお嫁さんになるね」って(苦笑)。「女の子=お嫁さん」という固定化は何なんだと「#Me Too」運動の皆さんはクレームを入れなきゃ。あの番組の根底には巧妙なナショナリズムが潜んでいる。

浅田  「日本人のおなまえっ!」もそうだよね。たとえば植民地化した朝鮮の人々に半強制的に日本名を名乗らせたことをどう考えるのか。朴槿恵・前大統領の父の朴正煕・元大統領だって高木正雄として士官学校で教育されたわけだから。

田中  作り手が確信犯じゃないからこそ逆に恐ろしい日本の空気だね。

野田市の少女虐待死事件の、
森田知事の対応にもの申す。

田中  小学4年生の少女に父親が虐待を繰り返し、骨折した胸の骨の治療にも連れて行かずに放置し続け、亡くなってしまった千葉県野田市の痛ましい事件は、これまでに幾度も起きていた同様の悲劇よりもさらに衝撃的だった。この父親は、職場でも近所でも腰が低くて愛想がよくて言葉遣いもていねいな人物だったと。その一方、以前に暮らしていた沖縄県糸満市でも「要支援家庭」だった。少女を一時保護したもののほどなく父親の元に戻し、その後、10か月間、一度も自宅を訪問していない千葉県の柏児童相談所と野田市の教育委員会、通学していた小学校も「共犯者たち」だよ。
 しかもだ、事件から1週間も経った1月31日、千葉県知事の森田健作は定例記者会見を行ったけど、そこで話した内容は、1つ目が知事のヴェトナム出張、2つ目がドイツ・デュッセルドルフ市との姉妹提携、3つ目がオール千葉おもてなしキャンペーン、4つ目がちば移住市町村合同フェア、5つ目がこの時期におすすめの耳より情報。その後、記者から質問があって事件について触れたけど、「対応に隙間があった、2度と起こらないようしっかり調査、検証することを職員に指示した」と現場に丸投げ答弁。ドラマ『おれは男だ!』の主役で、「さらば涙と言おう」と歌った人物は現場に行って陣頭指揮を執るべきでしょ。
 国は2020年度までに児童福祉司を2000人増やすと言っているけど、人数を増やしたり、建物を立派にしたって解決しないんだよ。県知事の時に児童相談所を24時間体制にして、いつでも親や子どもが駆け込める体制を整えた。定年前に県下5か所の児童相談所長となる事務職は「つつがなく」という姿勢だったから、僕は40代の若手で、自分も子どもがいるからやりたいという人間を所長に据えることで、専門職の職員に意欲が生まれ、逐次、知事にも連絡が入るようにした。そもそも児童相談所は予算が少ないから、東京とか名古屋で開かれる児童福祉司のセミナーに行く交通費すら出てなかったので計上した。脅えて疲れ切った児童が乗るのに、使っている車は荷物を運ぶような古いライトバンだった。そこで、部長用の黒塗りの公用車を児童相談所に回して、逆に部長車は中で職員と話し合えるように全車、ミニバン型の車種に変更した。

浅田  会見した柏児童相談所の所長は表情が怯えきってた。とりあえず圧力から逃れるために何でも出しちゃったって感じ。モンスター・ペアレンツも多い今、事なかれの形式的な仕事をしてきた児童福祉司には荷が重いんだよ。警察との連携を強めるとか、スクール・ローヤー(なぜロイヤーなんて表記なのか)を置くとかいうのもいいけど、修羅場に強い人間が必要なんで、警察OBなんかにも立派な人はいるから、応援に来てもらえばいい。

田中  55歳定年の自衛官OBも積極的に再雇用すべきだよ。それにしても、知事に緊急会見に出て来いと要求しなかった千葉県庁記者クラブも、日本のメディアを象徴しているよ。児童相談所の現場の職員を責める前に、ノブレス・オブリージュが欠落したリーダーをこそ糾弾しなさいよ。

協力:Tinys Yokohama Hinodecho http://tinys.life/yokohama

photographs by Hiroshi Takaoka
text by Kentaro Matsui

本記事は雑誌ソトコト2019年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

キーワード

田中康夫

たなか・やすお
1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、参議院議員、衆議院議員を歴任。最新刊は『33年後のなんとなく、クリスタル』。http://tanakayasuo.me

浅田 彰

あさだ・あきら
1957年兵庫県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。京都造形芸術大学教授。83年に出版されたデビュー作『構造と力─記号論を超えて』はベストセラーに。