日本の発酵は“大陸文化の子ども”だ
2020.01.14 UP

連載 | 発酵文化人類学 | 27 日本の発酵は“大陸文化の子ども”だ

FOOD

 日本の発酵文化のルーツを遡っていくと、アジアの大陸文化に行き着く。ルートは2つ。北ルートと西ルートだ。

一休寺納豆と豆豉

 先日、京都府京田辺市の酬恩庵一休寺という禅宗の寺から「ウチでつくっている納豆を見に来ませんか?」とお誘いがあった。早速訪れてみると、境内の木樽で醸されていたのは、なんと中国の発酵調味料の基本、豆鼓だった。蒸した大豆の粒に麹カビをつけて塩と水分を加えペースト状に発酵させていくその製法は大陸の豆鼓そのもの! いわゆる糸引き納豆とは違い、かぐわしい香りの、砂糖の入っていない濃厚なカカオチョコレートのような味だ。

 15世紀に一休さんこと一休宗純が普及させたものとされているが、おそらくそのルーツはさらに昔まで遡るだろう。中国の禅寺で日常的につくられていた豆鼓が、京都府の寺にもたらされたのは自然な流れだったはずだ。

金山寺味噌と禅宗

 日本の発酵文化のルーツをもうひとつ。和歌山県・湯浅町には、以前紹介した金山寺味噌という、複数の穀物を使った麹に夏野菜を漬け込む、味噌と漬物の中間のような不思議な発酵食品がある。この間湯浅町を再訪した時に、この金山寺味噌は鎌倉時代に法燈国師という僧侶が、上海の南、浙江省の径山寺という禅寺で学んできたものであることがわかった。

 一休寺納豆と金山寺味噌の共通点は禅宗だ。禅宗では食事をつくることも修行の一つとされ、炊事を担当する「典座」という役職がある。ご存じのとおり、殺生を禁じられた仏教では植物性のものしか食べられない。そこで重要になるのが、肉や魚に代わってタンパク質を摂れる大豆と、繊維質で消化しづらい野菜や穀物を吸収しやすくし、健康機能を促進させる発酵のテクニックだった。

 一休寺に伝わった豆鼓(納豆)は調味料としてだけでなくそのまま食べるものでもあり、金山寺味噌はお惣菜として食べる「おかず味噌」だ。

 日本の発酵食のルーツとなったこの2つがどちらも禅宗と結びついているのは偶然ではない。使える食材が限られていて、かつ大陸の文化とつながっていた禅宗こそが、日本の植物性発酵カルチャーの土台になったことは必然だったのだね。一休寺納豆はおそらく朝鮮半島経由で入ってきた北のルート、そして金山寺味噌は中国東岸部から入ってきた西のルートだ。

大陸とのダイナミックなつながり

 最近、テレビや雑誌の取材で、「日本は発酵大国なんですか?」と質問されるが、世界一の発酵大国はこれはどう考えてみても中国だ。その広大な国土と砂漠から熱帯まで網羅する気候の多様性、そして50を超える民族がそれぞれ独自の文化を育んでいることもあって、ありとあらゆる食材を、ありとあらゆるやり方で発酵させまくっている。しかも日本では、小さな部族が群雄割拠している紀元前に、すでにユーラシア大陸にまたがる大帝国を築いていた中国は、日本がようやく文字を持った8世紀には膨大な発酵食品のレシピをアーカイブしていた。

 つまり僕が何を言いたいかというとだな。酒でも調味料でも漬物でも主要な発酵食品のルーツは中国大陸からきているんだよ。中国の膨大な発酵レシピの一部が日本の文脈(海が多いとか肉食禁止とか)にフィットし、そこから数百年かけて徐々にジャパナイズされ、江戸の頃に日本的食文化として開花していった。つまり日本の発酵は“大陸文化の子ども”であるということなんだ。中国大陸という文化的土壌のうえに、島国なりのユニークな花が咲いたというわけなんだね。

記事は雑誌ソトコト2020年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・イラスト●小倉ヒラク

キーワード

小倉ヒラク

おぐら・ひらく
発酵デザイナー。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家と商品開発や絵本・アニメの制作、ワークショップを開催。著書に『発酵文化人類学』(木楽舎)、最新刊は『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT)。