藤井 裕也
2020.02.07 UP

連載 | SOTOKOTO mtu 人の森 『山村エンタープライズ』理事長/地域おこし協力隊サポートデスク専門相談員 藤井裕也

PEOPLE

地域おこし協力隊制度が始まった2009年度、隊員数89人、実施自治体数は31だったが、18年度には5359人、1061の自治体が実施するまでに。
制度開始3年目の2011年に協力隊となり、その後も協力隊とさまざまな関わりを持ってきた藤井裕也さんは、『地域おこし協力隊サポートデスク』で隊員や行政からの相談に応じている。
藤井さんに、地域おこし協力隊の今とこれからを聞いた。

制度開始から12年目に入る地域おこし協力隊。体験をふまえ、全国の隊員をサポート。

 東日本大震災が発生した2011年、藤井裕也さんは、大学卒業後すぐに岡山県美作市の地域おこし協力隊(以下、協力隊)の隊員になった。任務は棚田の再生。着任1年目はひたすら草を刈り続ける毎日を送った。住んでいる地域の水路掃除や行事参加など、暮らしに関わる仕事にしっかり携わることの大切さを学びつつ、地域の会合で活動提案を行って、会議が静まり返るような経験もした。

 当時は協力隊制度が始まって間もない時期。パイオニア精神に満ちていた一方で、同じ志を持つ仲間は少なく、孤独感を味わうこともあったという。

 3年間の任期後も地域に残り、在任中に立ち上げた『山村エンタープライズ』の事業を続けた。誰かのためにあるからこそ地域に価値が生まれると考えて、引きこもる全国の若者を対象にすることを決意。地域で行われるさまざまな体験教室や行事を就労前のプログラムとして提供する同団体の事業は評判を呼び、関わるスタッフも増えて軌道に乗り始めた。そして、自身の思いを再び協力隊に向け、ネットワーク化などに取り組むようになった。

ふじい・ひろや

ソトコト(以下S) まずは協力隊ネットワーク化の経緯を教えてください。

藤井裕也(以下藤井) 私の経験を振り返ると、計画的に取り組んでおけばよかったと思うことが多々ありました。例えば、協力隊時代の給与が卒業後にパタリとなくなり、住民税の支払いで慌てたことも。私は学生時代からネパールの山村に通っていた経験でカレーやお香づくりのスキルがあるので、イベントを急遽開催して、参加費を支払いに充てました。

 気づけば私の周囲で増えていた協力隊も私と同じようなことでつまずいていました。人生に苦労は必要ですが、しなくてもよい苦労もあると思い始めました。また任期中は、市町村の枠組みを超えて協力隊が連携することが難しいとも感じていました。同じような失敗をほかで繰り返さず、協力隊としてさらに成果を上げ、協力隊卒業後に地域に定着する人が増えるよう、知識や経験を引き継ぐためのネットワーク化に向けて動き出しました。

岡山県美作市の耕作放棄地で草刈り。草刈りは隊員仕事の「基本」だ。
岡山県美作市の耕作放棄地で草刈り。草刈りは隊員仕事の「基本」だ。

 具体的にどのような行動を取ったのでしょうか?

藤井 まず、16年3月に岡山県内の協力隊卒業生のキーマン約10人が現役の隊員に経験を伝え、卒業後の役割を話し合うイベントを開催。その翌月と6月には、協力隊ネットワークの組織化に向けて、岡山県庁と卒業生で提言づくりを行うワークショップを開催し、7月には『岡山県地域おこし協力隊ネットワーク会議』(OEN)を設立しました。

 自治体の制度では職員の異動が数年おきに起き、協力隊担当者も代わってしまうことを考えると、改めて卒業生の役割は大きいと感じました。そして、ポイントとなったのは、「顔の見える支援は定着する」ということ。県内の範囲であれば、行政・隊員の顔、地域の状況が把握できるので、組織するなら県単位でと関係者に説いて回りました。

協力隊のつながりを活かしたイベントにも多数参加。制度運用などについても研究。
協力隊のつながりを活かしたイベントにも多数参加。制度運用などについても研究。

 協力隊や卒業生、そしてネットワーク化が果たす役割とは?

藤井 現役の協力隊、卒業生が果たす役割が特に大きいと感じたのは、災害時です。岡山でも豪雨による土砂災害が発生して、協力隊が被災するケースもありました。ただ、市町村合併したエリアになると行政担当者が被災地に入っても現地の普段の様子を知らず、対策に困る場面もありました。日頃から地域住民と交流して関係性を深めてきた協力隊は、避難所に来ていない高齢者を把握し、訪ねて行って衰弱していたところを保健師につなぐ、そんな迅速な行動を取れるのです。

 18年の西日本豪雨時、岡山県でボランティアセンターが立ち上がりましたが、過去の経験がなく対応のノウハウがありませんでした。一方で、災害時の経験を持つ大分県日田市の協力隊OBの河井昌猛さんから、岡山に支援に行きたいのでどこかにつないでほしいと私に連絡が入りました。こちらは、各地の協力隊から連絡を受けて住民のニーズを把握していたので、日田市のチームと被災地域に入り、支援を行うことができました。

18年7月の西日本豪雨後、笠岡市でのボランティア活動。
中央にいるのが日田市から支援に駆けつけてくれた河井昌猛さん。

 協力隊制度が始まるにあたって、実はいくつかの活動がモデルになっているのですが、新潟県で起きた中越地震後の復興活動もその一つでした。災害後の復興フェーズでどう進めるべきかが吟味され、新潟県・山古志村の場合は災害前よりも地域が元気になる結果をもたらしました。進むスピードは異なるけれど、復興と地域おこしはつながるところがある。そんな点においても、協力隊の果たす役割は非常に大きいと感じています。

18年7月の西日本豪雨後、笠岡市でのボランティア活動。
18年7月の西日本豪雨後、笠岡市でのボランティア活動。

 協力隊ネットワーク化により、ほかにどんな効果が?

藤井 隊員同士の経験共有だけでなく、行政にもよい影響をもたらしています。協力隊の場合、財政措置は国が行いますが、その任務内容は市町村ごとに自由に設計できる非常にユニークなものです。制度の実務的な部分、例えば募集前に内容をどうつくるか、隊員の任期後に向けてどう支援するのかなど、市町村ごとに地域の自治の魂が込められています。

 しかし、自治体職員はさまざまな業務を抱えて忙しく、実際に地域に出る時間がなかったり、しがらみでできないこともあったりと、市町村も地域づくりに困り、それぞれが孤立している状況にあります。まさに、そこを補完する役割を担えるのが協力隊なのです。『OEN』は各市町村の課題に対する情報を提供したり、必要なものは調べたりして自治体に対しても機能しつつあると思います。また、隊員からの相談も自治体側の設計に原因があることが多いので、『OEN』が解決策を提示することで、他県に比べて岡山県全体の協力隊制度の運用力を上げるお手伝いができています。

協力隊のつながりを活かしたイベントにも多数参加。制度運用などについても研究。
協力隊のつながりを活かしたイベントにも多数参加。制度運用などについても研究。

 藤井さんが務める地域おこし協力隊サポートデスク専門相談員とは?

藤井 月に3日ほど上京し、東京・中央区八重洲にある『移住・交流情報ガーデン』で全国の協力隊、市町村からの相談を電話で受けています。私自身協力隊を経験し、『OEN』で岡山県の行政とのやり取りがあるので、現役の協力隊、県、国のそれぞれのレイヤーを俯瞰して全体が分かるデスクとしての役割があると思っています。集まった情報を蓄積し、専門相談員で分析して、協力隊のホームページに情報を掲載したり、研修会などで提供したりするほか、各都道府県にデスクの役割を渡していくのも大事だと思っています。

『移住・交流情報ガーデン』では全国の市町村の情報を集めることができるほか、移住に関する相談を行うこともできる。
『移住・交流情報ガーデン』では全国の市町村の情報を集めることができるほか、移住に関する相談を行うこともできる。

 年間で1200件ほどの相談が寄せられますが、問題が起きてから電話があるので、協力隊になる前にサポートデスクを訪ねてほしいです。途中退任してしまう隊員の2割は、任務と自分が求めていることのミスマッチが原因。市町村ごとに協力隊の特徴があるのですが、それは募集リストからは見えてきません。事前相談があれば、各都道府県に対応をお願いすることもできますから。

『移住・交流情報ガーデン』では全国の市町村の情報を集めることができるほか、移住に関する相談を行うこともできる。

 ほかにはどんな相談が?

藤井 悩みを誰にも言えずに孤立している隊員が多いので、まずは話を聞き、「なぜそこに行ったのか?」「なぜ協力隊としてその活動をするのか?」を問うようにしています。私は同じ目線で話ができますし、立ち返って考えることで当人が成長できる貴重な機会になり得ると伝えたい。私自身もそうで、学生時代は「藤井はあいさつができない」なんて言われましたが、地域に育ててもらいました。

18年7月の西日本豪雨後、笠岡市でのボランティア活動。
18年7月の西日本豪雨後、笠岡市でのボランティア活動。

 協力隊は、学校を卒業したての若者でも国全体の大事な仕事の一翼を担うことができます。私が協力隊をしていた当時は 、「フロンティア」とよく言っていましたね。制度や行政は後追いで、現場の事例やモデルをつくることが行政を変えていくと。協力隊はボトムからつくっていくフロンティアだと、今でも信じています。それは、地域と行政と取り組むからこそ可能であり、任期中の3年間で完結できるかもしれないし、できなくても後輩にそれを引き継ぐことも、地域にそのまま残ることもできる。そういう意識で取り組むのか、腰掛けでいるのか、気持ちの持ち方次第で協力隊の意義が変わってくると思います。制度開始から10年で、成果を上げている地域もあります。例えば、集落の交通問題で住民と協働して移動サービスの仕組みを立ち上げたり、が分からなくなっていた地域の長唄を90歳以上のおばあさんから聞いて復活させたところも。また、新潟県では、町の誇りを取り戻すこと、若者の夢の実現をミッションにしていい循環ができている町もあります。協力隊はその人のキャリアに関わってくるので、愛を持って、魂を込めて自分ごととして取り組みやすく、その結果を残している事例が各地にあります。

 私自身、いろいろな情報を知ることができるおもしろい立ち位置にいると感じています。まだ見えていないことも多く、協力隊制度は発展途上。この旅をしばらく続けていきたいと思っています。

記事は雑誌ソトコト2020年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

photographs by Kazuteru Takamoto
text by Mari Kubota

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藤井 裕也

ふじい・ひろや
1986年、岡山県岡山市生まれ。
岡山大学卒業後、同県美作市の地域おこし協力隊に着任。『山村エンタープライズ』代表、『岡山県地域おこし協力隊ネットワーク』代表理事のほか、2016年からは総務省地域おこし協力隊サポートデスク専門相談員を務める。