何より描くという行為は、細かいところまで観察する能力を養ってくれる。
この連載では、毎回浅野文彦さんによる素敵なイラストが花を添えてくれている。僕が書いた文章にマッチしたイラストを毎回考案してくれて、時にはコミカルに、時には標本作業のニオイまで伝わりそうなリアルなものまで、精彩に描写してくれる。絵がうまいというのは本当に素敵な能力だ。
見ただけで対象の特徴をとらえたイラストを描くという人がいて、僕の妻もその一人である。その妻に指導を受けた子どもたちも絵がうまい。これは悔しい。僕は描画という行為が苦手なほうだが、モグラ分類学者という建前上、時には苦労して骨のスケッチなどを描くこともある。ただしモグラそのものを描けと言われれば、毛の質感がうまく表現できず、奇妙なサツマイモに足が生えたようなものが出来上がって、子どもたちに笑われるのが落ち。
標本のイラストを論文に掲載するというのは重要な作業だ。今ではコピー技術が発達したので、頭骨の写真でもまずまずの状態で複写可能だし、電子媒体でも論文が出版されるようになった。しかし、かつてはモグラの記載論文を海外からコピーを取り寄せて読むと、写真は陰影がつぶれて、標本の特徴が図から判別できないことがあった。一方、線と点で描かれたものは原図の様子がコピーでも再現されている。何より描くという行為は、細かいところまで観察する能力を養ってくれる。
骨のスケッチを始めたのは、標本に覚醒したのと同じく、ロシアへ留学していた時だ。彼の地の研究者は体系的に標本を収集するだけでなく、調査した個体の詳細なスケッチを本に残している。モグラの分類学で著名なストロガノフが1948年に出版したモノグラフを入手して勉強するうちに、骨の凹凸が見事に読み取れるスケッチに魅せられていった。このころはデジタルカメラが普及する前のことで、僕には安物のフィルムカメラとノギスで測った計測値しか標本の形を記録する手段がなかった。僕も描いてみようと思った。
姿をそのまま形として描ける人ではないので、頭骨の輪郭を描くのにも左右が非対称になって美しくない。そこで頭骨各部の長さや幅をグラフ用紙にプロットして、それを線でつないでいく作業から、絵画学習はスタートした。輪郭が完成したら影をつけていく作業だが、ストロガノフなどロシアの研究者はペンの筆圧で見事に線の太さを変化させた曲線を描いて骨の湾曲の様子や影を表現している。僕にこのような芸当は無理なので、どこで学んだか知っていた点描画でひたすら凹凸が出るように工夫を重ねていった。
今では頭骨の輪郭はデジタルカメラで撮影したものを印刷してトレースするようになったし、大きく描いたものを縮小コピーすると見栄えがよくなることもわかったので、手抜きになったかもしれない。初期に描いた頭骨のスケッチは僕の書棚に眠る、学習の記録としてとても大切にしている。神経孔のように頭骨に開いた孔もうまく表現できるようになった(と思う)。博物学は科学と芸術の接点にあるような学問だから、スケッチが図として掲載された論文が出版できると、誇らしいような気分に浸れるのである。