鹿児島市内で1980年に創設された東郷音楽学院。昨年、これまでおよそ4000人が学んだ伝統ある音楽学校は閉校の危機に直面。そんな折、後継者として手を挙げたのはピアノの調律や修理、音楽教室の運営などをされていた上山大輔さん・紘子さんご夫妻でした。
クラシックの伝統を残しつつ、自分たちの求めている自由な音楽も織り交ぜていったら、おもしろいことになりそうだなって。
東郷音楽学院を継ぐ、その意味を知った瞬間。
各種コンクールやオーディションで、数多くの受賞者を輩出してきた由緒ある学び舎を引き継いだ上山大輔さん・紘子さんご夫妻。もともと『LAGBAG MUSIC』という小さな音楽専門店を運営していた。ピアノの調律や修理、販売をはじめ、イベントの音響、音楽教室などが主な業務内容で、鹿児島県姶良市蒲生町には、仲間たちとともに古い店舗をリノベーションした拠点もあり、ここはいまも運営中だ。
東郷音楽学院と彼らの関わり。それは紘子さんが同学院の卒業生であったということ。小学4年から中学3年までの6年間、紘子さんは週に1度、地元志布志市から片道約2時間半かけて通っていた。卒業後も学院長の東郷和子さんを定期的に訪ねていたそうだ。
東郷さんが体調不良で入退院を繰り返していたこともあり、『東郷音楽学院が閉校するかもしれない』という噂は、紘子さんも知っていた。しかし、2018年5月、母親とともに東郷さんの元を訪ねた紘子さんは、閉校の可能性が高いことと、そして『誰かが引き継いでくれたら』という東郷さんの想いを知ることになる。
「うちの母親は『あなたたちが、自分たちで音楽専門店やっているんだから、ここでやればいいじゃない!』とさらっと言ってきて(笑)。けど、最初はまったく自分たちが引き継ぐなんて思ってもいませんでした」。時を同じくして、紘子さんが高校時代に指導を受けていたピアノの先生が若くして亡くなられた。お葬式の会場に赴いて、恩師から育った人たちがたくさんいるのを目の当たりにした時に、紘子さんの考えは大きく変わったという。
「自分が音楽をやってこられているのは、その先生や、東郷先生のおかげ。でも、その方たちにも先生がいて、その人にもさらに先生がいてって考えていくと、自分が知らない先生の教えを受け継いで、今があるんだって、音楽をやれているんだってことに強く気づいたんです。自分たちが頑張ることで東郷音楽学院が残るなら『やらなきゃ!』って思うようになって。自分たちから先生やご家族にお話しさせていただきました。『引き継がせてください』って」。自分が知らないつながりを引き継ぎ、次の世代に託す。学院を引き継ぐことは未来をつくることだと理解した、決断の瞬間だ。
自由な音楽も、クラシックも〟根っこ〝は一緒。
上山さん夫妻が東郷音楽学院を引き継いだ背景には、『LAGBAG MUSIC』として活動してきた二人の想いとも大きくリンクする。東京で知り合った大輔さんと紘子さんは、結婚後に紘子さんの実家のある志布志市へ。実は紘子さんの実家は楽器店や音楽教室を経営していて、当初二人はそこで働いていた。大輔さんは調律師として、紘子さんは事務のほか、子どもたちにピアノを教えるなどして働く毎日。「演奏活動やライブの企画もしていましたが、お客さんがなかなか集まらなくて。どんなに素敵なアーティストを呼んでも、『タダだったら行くんだけど……』と言われることも。でも、それは違うな、って。逆に、お金を払って音楽を聴くという文化が薄れていることに危機感を感じたんです。音楽を好きな人を集める以前に、音楽を好きな人を育てる必要がある。”根っこ“のところ、まずは人を育てなきゃって」。音楽に興味がない人に、音楽を好きになってもらう種まきを、もっと自分たちが率先して発信していくことをしていきたいって強く思うようになり、2016年に『LAGBAG MUSIC』を設立し、活動をはじめた大輔さんと紘子さん。各地の音楽イベントに「雑貨のようなかわいらしい楽器」を持参し、子どもたちに演奏を聞かせて音楽に興味を持ってもらうきっかけづくりや、楽器を学んだ人たちが活躍する場をもっと増やしていきたいという思いから『LAGBAG MUSIC ORCHESTRA』を立ち上げ、さまざまなイベントに参加するなど、「人を笑顔にするために活動」を鹿児島県内で地道に続けてきた。
「東郷音楽学院のお話も、自分たちの活動の延長にあると感じています。ここは音楽普及という目的で、クラシックの演奏家を育ててきた場所だけど、これからの時代に、その伝統を残しつつ、自分たちの求めているものも一緒に織り交ぜていったら、おもしろいことになりそうだなって思っているんです」と紘子さん。大輔さんも「東郷先生が書かれている文章がいろいろ残っていて、その中に、『音楽は心を豊かにするものです』とか、『音楽をもっとみんなに好きになってもらいたい』など、私たちが、普段使っている言葉を先生も残されていて。だから、想いは一緒なんだなって確信したんです」と続ける。
伝統に加え、新たな試みも。「音楽で暮らしを豊かに」するために。
想いに触れた──とはいえ、引き継ぐことにはたいへんなリスクもあった。場を買い取る費用に加え、6階建てのビルは老朽化が進み、膨大な改修費も発生する。生徒数も多いわけでない。相当な苦労を想像するが、二人は楽しそうに振り返る。紘子さんは「たぶん、普通の人が見たら『ここでやるの?』って状態。壁紙が剥がれたり、雨漏りもしていたり(笑)。でも私たちは蒲生町のお店での経験があったから、ここは磨けば必ず光るのが見えていたことが大きい。業者さんに見積もりを頼んで絶望に打ちひしがれたりもしましたけど(笑)、友達が改修の手伝いに来てくれたり、また改修資金もクラウドファンディングで手助けしてもらったりしたので。そもそも音楽に関することを仕事と思ったことがないんです。仕事と遊びの区別でもなく、”暮らし“って感じで当たり前のことだから、苦労と感じなかったのかもしれませんね」。大輔さんも、「迷ったら、毎回ここに戻りますね。『音楽で暮らしを豊かに』という自分たちのテーマに。『LAGBAG MUSIC』は Ladies And Gentlemen”Boys And Girls” MUSIC. の頭文字をとって名づけられた名前。子どもから大人まで、『みなさん!音楽を楽しみましょう!』という意味が込められています。学院のレッスン室にはちっちゃい窓が付いていて中を覗けるのですが、人が一生懸命にピアノを弾いている姿を見ると、うれしい気持ちになるし、本当にやってよかったなって思っています」。
さて、2018年10月に東郷音楽学院を引き継いだ『LAGBAG MUSIC』。名前も『LAGBAG MUSIC TOGO』となった。変化はそれだけではない。これまで行っていなかった、レッスン室をスタジオとして貸し出しをはじめたり、ピアノ以外のレッスンもスタートしたり。声楽やマリンバなど、ピアノ以外のレッスンにも力を入れ、薩摩芸者・住吉小糸さんによる伝統の芸事のレッスンも。今後は管楽器やチェロ、作詞、作曲など、さまざまなレッスンも追加予定だという。「いずれ2階はカフェスペースにしたい。普通の人も入れるような。学校とともに引き継いだ書籍などを自由に閲覧できたり、レコードを試聴できたりね。いつとは言えないですけどね(笑)」と大輔さん。
最後に目標を伺った。「いますぐ目に見えないんですよね、結果が。子どもを教えるにしても、いますぐ上手になるってわけではないから、先生もそこから始めたと思う。私たちも、いまがゼロベース。場所は受け継いでいるけど、ゼロから積み上げていくような気持ちでやっている。10年後、20年後とかに、ちょっとでも、なにかがカタチになっていたらいいなって」。