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多様性

連載 | 福岡伸一の生命浮遊

免疫システムの記憶と教育

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 免疫系は、自己と非自己、つまり自分の細胞と外敵(病原細菌やウイルス)を巧みに見分け、外敵を攻撃し、無力化、排除するのに活躍する。そのとき免疫系が、敵味方の“見分け”の手がかりにしているのは外敵の表面を構成しているタンパク質の立体構造である。免疫系は自分自身の細胞の表面とは異なった立体構造を有するタンパク質(つまり異物)を発見すると、これを攻撃して排除するように働く。
 異物タンパク質のことを抗原、異物の認識や攻撃に使われる免疫システム側のタンパク質(つまり武器となるもの)を抗体と呼ぶ。抗体はさまざまな外敵の、ほとんどあらゆる立体構造を認識できるよう、少なくとも100万通りほどのパターンがあらかじめ用意されている。例えるなら、味方側には合鍵が100万種類以上あり、敵がどんな錠前で武装してきてもそれを開けてしまえるようなもの。実際には、抗体は抗原と結合してその動きを封じたり、抗体に取り囲まれた抗原は、白血球の餌食となって丸呑みされ、分解されてしまう。このようにして免疫系は外敵を自分自身の身体から排除することができる。
 しかしここにひとつ弱点がある。外敵の襲来は不意に起こり、またそれがどのような敵であるかもすぐにはわからない。攻撃のための抗体(鍵)は100万通りも準備されているとはいえ、そのうちのどれが敵の抗原(錠前)と合致するのか、それを探すのにかなりの時間を要する、ということだ。
 要は、鍵を次々と試していくしかないのだが、これに手間取っていると敵に時間を与えることになり、その間、敵がどんどん増殖してしまう危険性がある。敵が凶悪な細菌やウイルスなら、敵の増殖速度のほうが免疫系の防衛反応の速度を上回ってしまい、その結果、生命に危機が迫ることさえある。ちょっとした風邪(ウイルス)や肺炎(細菌)のようなものでも、長引いたり、こじらせたりすると死に至ることがあるのは、免疫系が攻めあぐねているうちに敵が増殖し、そのことで身体の恒常性や臓器の機能が損なわれてしまう、ということだ。
 こんなことが起こらないようにするにはどうすればよいか。それは免疫システムに記憶を湛えておけばよい。免疫システムは、過去に経験したことがある敵については敵の特徴を覚えておくことができる。そしてその敵がもう一度、襲ってきたときには初回よりもずっとすばやく攻撃を開始して、敵が増大するよりもずっと早めに敵を制圧することができる。これを免疫学的記憶という。
 いったいどのようにして敵を記憶することができるというのか。特定の抗原(敵の錠前)に対して、特定の抗体(味方の鍵)がある。しかしそれに合致する鍵を自前のストックの中から探し出すのには時間がかかる。100万通りのうちのひとつを探しださねばならないからだ。でも免疫システムは、過去の闘いに使われた鍵については、また使う可能性を考えて、そのコピー(合鍵)をある程度ストックしておくことができる。たとえばその鍵を100本つくっておく。そうすれば100万通りのうち1本を見つけるよりも、100万通りのうち100本のどれかを見つけるほうが100倍も早くなる。そして一度合致する鍵を見つければ、その鍵をどんどん量産することもできる。
 ここで鍵をつくる、という表現で例えているのは、抗体を生産する免疫細胞のことだ。ひとつの免疫細胞は1種類の抗体(鍵)をつくる。その鍵が将来も使われる可能性があるのなら、その免疫細胞が自ら細胞分裂してある程度増やしておくことによって、鍵の生産能力を高めておくことができる。これが合鍵を100本用意しておく、ということ。免疫細胞は自分が敵と闘った経験を記憶し、自分のクローン(細胞分裂によって増えるコピー)を増やしておく。過去にかかった病気に再度かかりにくくなったり、かかってもそれほど重症化しないのは、このようにして免疫細胞が経験を記憶し、闘う準備をしておくからだ。
 予防接種もまさにこの免疫学的記憶の原理にもとづいた医療行為である。敵(抗原)をあらかじめ記憶させておく、いわば免疫系に対する「教育」を施しているわけだ。こうしておくと、その免疫細胞は次の敵の襲来に備えて自分の勢力を増やして守備態勢を整えておくことが可能となる。もちろん、この教育過程において、ホンモノのウイルスや細菌をそのまま接種すると、その病気にかかってしまうことになる。免疫系には、ウイルスや細菌の表面抗原の形さえ覚えさせればよいので、予防接種に使われるのは、ふつうはウイルスや細菌の断片(ほんの一部なので、これだけでは増殖できないので無害)や加熱などで無力化したもの、弱毒化したものが用いられる。記憶や教育といった用語をたくさん用いたが、細胞はまさに擬人化して説明してもまったく問題がないほどに、主体性をもって生命活動に参画しているのだ。

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