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多様性

連載 | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか

見えないものを見る力

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 「超能力でも持っているということかな?」。就職活動の面接で「未来を想像することが好き」と自己紹介したところ、とある大企業の面接官から真顔で切り返された。はるか昔のことではあるが、いまも志向の変わらぬ僕においては、ふと思い出してしまう一場面。冗談ならばなかなかウィットに富んでいるのだが、面接官の硬直した表情からはそれを微塵も感じなかった。むしろ冗談を言っているのは僕のほうだと言わんばかりに、会話は終始淡泊に閉じた。柔な学生の僕にとっては、社会がいかに目の前の現実に偏重したものかを突きつけられて負った擦り傷のよう。

 その後、起業家としての道を歩む中で、新しいものを創造するにあたっては、一部の賛同と大多数の否定から始まるという原理原則を学ぶ。目新しいものほど、周囲の評価よりも自分の内側にある自分だけの尺度にこだわることの大切さを知った。もはや否定ですら栄養素みたいなもので、盤上の少ない賛同の石をひとつずつ増やしていく過程が苦痛どころか楽しくなる。固定観念に縛られないはずの起業家の世界ですら、時に起業家たるものという像をつくりかねない。そんな時、むしろ僕は起業家ですらいたくなくなる。自分にとって起業家は活動の一端であり、自分を何かに固定化しないための手段でもある。起業家像という枠に収まるのはどうにも心地悪い。

 とはいえ、この手の考え方が一般的かといえばそうでもない。人間は安定を脅かす創造を嫌う性質を持つとの研究結果もあるように、変化を恐れる生き物である。状態や環境に調整が加わり、いまの枠組みに収まらなくなることにストレスを感じやすい。アメリカの社会生理学者であるホームズとレイ(Holmes & Rahe)がライフイベントのストレス量を得点化した一覧表である「社会的再適応評価尺度」は、社会や個人差を考慮せねばならないものの、生活の変化にはストレスが伴うことを示す。結婚や休暇のようなポジティブと思われる出来事でさえストレスの原因になるというのだから、人間は変化に過敏なのだ。「一生懸命やっている自分の仕事を人工知能が奪ってしまう」「仮想通貨により新しい経済の仕組みができる」という刺激的な説を聞いてしまったものならば、信じてきた常識や情報が使いものにならなくなる恐怖の度合いが高いのもうなずける。わからないものを恐れ、変化を避けようとする人間にとって、受け入れがたい未来だろう。

 「自分は相手のことをよく知っているが、相手は自分のことをよく知らない」と解釈し、さらには「相手のことは相手自身よりも自分のほうがよくわかっている」と捉える「非対称な洞察の錯覚」という現象により、自分とは相反する見方や情報を軽視し、自分の常識に固執する。脳が変化を強いる新しい情報を拒絶し、自分に同調する仲間を探し徒党を組む。これも変化に対する本能的な抵抗だ。

 変化を嫌う性質が組み込まれた人間ではあるが、とんでもない変化を生き抜いてきたこともまた事実。だからこそ、僕たちはいまここにいる。テクノロジーは異次元の変化を人間へ連続的に与えることになるだろうが、まだ見ぬ変化を乗り切るために養うべきは、「見えないものを見る力」だ。

 未来は予言者のように言い当てる対象ではない。既成の殻を脱ぎ、可能性を切りひらいた結果が未来である。見えないものを見る力は超能力なんかじゃないのだ。想像を膨らまし、いまはカタチになっていないものを頭の中でカタチにする。できれば頭の中のカタチを現実のカタチにしてみる。新しいカタチが生む変化を嗜み、頭ごなしに否定しない。この一連のありよう、柔らかさこそがその力なのだ。未来を美化するためではなく、いまをしっかりと生きるための力でもある。未来に踊らされないために。

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