静岡県浜松市の舞阪町。浜名湖に面したこの町で、100年以上前に世界一の栄誉に輝いた幻の落花生「遠州半立(えんしゅうはんだち)」を復活させ、ピーナッツバターを作り続ける人がいます。杉山ナッツ代表の杉山孝尚さん。ダンサーから会計士へ、そして農家へ。ニューヨークで過ごした12年間を経て、故郷に戻り、農業経験ゼロから始めた挑戦の物語をご紹介します。
ニューヨークで見つけた、故郷の宝物
高校卒業後、ダンサーになる夢を追いかけてニューヨークへ渡った杉山さん。ダンススクールで学び、舞台やCMでダンサーとして活躍していましたが、生計を立てるためにレコード店でアルバイトを始めます。
そこでの事務作業が認められ、本社の著作権担当部署へ。計算を間違えずにこなすと「ハカセ」と褒められたことがきっかけで、もっと学びたいと思うように。大学で本格的に会計を学び、なんと公認会計士の資格を取得。大手監査法人で会計士として働く日々が始まりました。
「仕事は好きでしたし、何ひとつ不自由もなかったんです」と杉山さんは当時を振り返ります。
そんなある日、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に目を通していた杉山さんの目に、ある文字が飛び込んできました。「ENSHU-PEANUT」。
記事には、1904年のセントルイス万博で「遠州半立」という浜松の落花生が世界一に輝いたことが書かれていました。普段の生活で「JAPAN」の文字すらあまり目にする機会がない中、静岡の、それも地元「ENSHU」が新聞に。
「その時、故郷に対する気持ちがブワッと溢れ出してきたんです」
ピーナッツバターは、人をつなぐもの
杉山さんにとって、ピーナッツバターは特別な食べ物でした。
ニューヨークに来たばかりの頃、どのスーパーマーケットにも落花生のグラインダーがあり、挽きたての美味しいピーナッツバターが買えること。そして経済格差が激しいアメリカにおいて、裕福な家庭にも貧しい家庭にも、ピーナッツバターは食の風景に溶け込んでいました。まるで日本の「味噌」や「醤油」のように。
言葉も宗教も食べ物も、人によって違いがあるアメリカ。でも、ピーナッツバターはその大きな垣根を越え、どの家庭にも自然と置かれていたんです。
「ピーナッツバターは人と人とをつなぐことのできる存在だと実感しました」
そんなピーナッツバターを支える落花生が、故郷で作られ、それが昔、世界一に輝いた――。
「世界一の落花生で、アメリカに負けないピーナッツバターを作ってみたい」
杉山さんの新しい挑戦が、ここから始まりました。
幻の落花生を探して
2013年、杉山さんは日本に帰国します。
しかし、「遠州半立」は現在栽培されていない幻の品種でした。農業経験もない若者が、その品種を探し、再び育て、加工可能な量を生産するなど、誰が見ても無謀な挑戦です。
それでも「調べることが好き」という根っからの勉強家である杉山さんは、来る日も来る日も図書館を巡って文献にあたります。得た手がかりは「遠州小落花を作っていた組合が存在した」ということ。
その組合員の家を1軒1軒訪ね歩き、ついに、当時の畑をそのまま残している農家に出会いました。
その畑に足を運んだ杉山さんが目にしたのは、自生している遠州半立の姿。庭に植えてあるから持って行っていいよ、と言われ、ようやく手のひら一杯の実を手にすることができました。
でも、その時胸を満たしたのは、嬉しさや感動よりも「責任感」だったと言います。
「世界一にまでなった遠州半立を、自分がまた蘇らせることができるんだろうか」
そんな思いを胸に、素人農家の果てなき挑戦がスタートしました。
ゼロから始めた農業
農業経験は全くなく、鍬も握ったことがありませんでした。それでも、農地を借りて耕し、草むしりをして畑を作るところから始めます。
最初は、100年前の農法を真似て栽培すれば、きっと味を再現できるはずと考えました。しかし、できたのはかつて世界一と評された味とはおそらく違う味。
「100年前とは、土地も気候も、農具も何もかもが違う現代。ならば、同じ環境を作れば同じ味が再現できるのでは」
そう考えて始めたのが、炭素循環農法でした。落花生と葉物の二毛作によって、大気中の二酸化炭素を土の中に貯蔵していく。落花生を育てながら、地球温暖化を改善して、100年前と同じ環境を作ればいい。
地元浜松で手に入る牡蠣殻や米ぬか、藁や海藻などで土を耕す昔ながらの農法と、農地温度測定や肥料・土壌の養分を分析しデータ化するなど、ITを駆使した農法を組み合わせます。
農薬・化学肥料は一切使用しません。自然を知り寄り添うことで、繊細で力強い”遠州の味”を作り続けています。
3年目にして、やっとピーナッツバターが作れる分の落花生を確保できるようになりました。
日本の文化に合わせたピーナッツバター
栽培した落花生を使い、レストランのシェフや友人と試作を重ね、日本の文化に合わせた味に調整していきました。
「遠州半立」は、通常の落花生よりも一回りほど小さく、その分旨味が詰まっています。半立は国産落花生の中の最高品種で、甘みが強く濃厚な味が特長です。
杉山ナッツのピーナッツバターは、この「遠州半立」を100%使用。砂糖や塩などは一切加えず、ピーナッツそのものを食べているような濃厚な味わいと香りが特徴です。
ラインアップは3種類。
プレーンは、遠州半立のみを使用。ピーナッツそのものの風味が味わえます。蓋を開けると心地よい香ばしさに包まれます。
ハニークランチは、浜松北部で少量のみ作られている内山養蜂場のみかん蜂蜜を加えた、優しい甘さが魅力の一品。みかん蜂蜜のすっきりとした甘みが、ピーナッツの旨味をより一層引き立てます。
みかん(期間限定)は、浜松産のオーガニックみかんをたっぷりの陽の光と風で乾燥させ、遠州半立100%のピーナッツバターに練りこんだもの。上にはみかん蜂蜜とクラッシュしたピーナッツをトッピング。みずみずしいみかんの香りとカリッとしたナッツの食感が楽しめます。
出来立ての美味しさを届けたい
出来立てのピーナッツバターを食べると、香りと濃厚なうま味に驚きます。その新鮮な美味しさをお客様にお届けするため、杉山ナッツでは注文を受けてから莢を剥き、焙煎・加工します。
加工は11月から始まり、全て注文を受けてから加工し始め、出来立てを届けます。毎年5月〜6月には売り切れるので、そこから畑作業に切り替えます。つまり、今季の製造が終了すると、次の11月まで手に入らない貴重な商品なんです。
「ワインも◯年物といって、同じワイナリーから作っても毎年違う商品を楽しみにしていますよね。それと同じで、ピーナッツバターも毎年同じものは作らないです」
今年はどういう商品を目指して、なぜこの商品を作ったのか。そんな想いも伝えるために、商品に付くしおりには文章で想いが綴られ、内容も毎年変わります。
杉山ナッツのファンは、毎年新しい味を楽しみに待っているんですね。
パンだけじゃない、料理にも
杉山ナッツの商品は「ピーナッツバター」という名前ですが、油も砂糖も入っていない遠州半立100%のペースト。パンに塗って食べるだけでなく、実は料理との相性もとてもいいんです。
特に和食がおすすめ。ポイントは、香りを逃さないために火を止めてから優しく溶かすこと。
味噌汁の仕上げに入れてコクを出したり、サバの味噌煮はタレに溶かすだけで高級料理店のような味を表現できます。
「少し入れるだけで料亭のような深みのある味に変わるので、使わない方がもったいないですよ!」と杉山さん。
子どもたちに農業の魅力を
「買ってくれる人がいるから農業ができている。だから恩返しがしたい」
そんな想いから、杉山さんは全国の幼稚園から高校までの特別講師として子どもたちに農業の魅力を伝えています。
また、「一人一株農業」と題して、近隣の学校と協力して落花生を育ててもらうプロジェクトも始めました。
遠州半立を学校におすそ分けして、生徒さんに育ててもらう。収穫した落花生を預かってピーナッツバターにする。学校の皆さんで食べてもいいし、販売した分の売り上げを学校活動の充実にあててもいい。
ただ育てて終わりではなくて、その先のことも考えてもらう。そんなプロジェクトです。
「自分の地元に世界一のものがある。それを子どもたちに考えてほしい。今と昔の地球環境の違いに気づいて欲しいんです」
農業を通して、子どもたちに未来を考えるきっかけを作りたい。杉山さんはそう考えています。
ストーリーを直接届けたい
杉山ナッツのピーナッツバターは、大手流通網やECサイトでは販売していません。地元店舗や一部百貨店、イベントでの出店を主としています。
「僕たちのピーナッツバターはただの商品ではないんです。『落花生で人とつながり、自分たちもお客さんも、関わった人すべてが幸せになれるようなピーナッツバター』。このストーリーを直接お客さんに訴えかけたい。だから大きなスーパーやオンラインでは展開せず、お客さんに直接届けることを大切にしています」
地元の酪農家とコラボレーションしてホワイトチョコレート入りの限定品を出したり、ピーナッツバターと農家が作ったジャムとを組み合わせたサンドウィッチ作りのワークショップを行ったりと、地元のアピールも兼ねた商品作りにも積極的です。
「農業はものづくりであり、社会との共同体。誰かが買ってくれるから作れるし、作るためにお互い助け合い、支え合う。自分のものづくりで町を良くしていくことができればいいなと思います」
杉山さんにとってピーナッツバター作りは、自分を支えてくれる人たちへの恩返しでもあるんですね。
100年後の誰かに、「美味しい」と思ってもらうために
「毎年、栽培を始めるときに考えるんです。『今年はどう育てよう』と。同じことを繰り返すだけではなく、常に何かを変えていく。その成果を少しずつ感じます」
でも、やっぱりまだ幻の味にはなっていない気がする、と杉山さんは言います。
「試行錯誤は続けるけれど、自分がその味に辿り着くことは難しいかもしれない。一人でできないなら、みんなでやればいい」
100年前に評価された幻の品種をもう一度作りたい。世界一の品種で作ったら、世界で一番のピーナッツバターが作れる。それを世界に発信できたら、浜松のことをもっと知ってもらえるはず。
そして、100年後の誰かに「美味しい」と思ってもらうための挑戦。
「毎日の食卓に、杉山ナッツのピーナッツバターがあれば、そんなことを考えるきっかけがきっと作れる。食べるたびにその味に感動して、昔を思い、未来を考える。そんな商品をお届けできるように、今日も私たちは挑戦を続けます」
ニューヨークから始まった物語は、浜松の畑で、新しい章を紡ぎ続けています。


















