「丁寧な暮らし」と聞いて、あなたは何をイメージするだろうか?有機野菜?土鍋ご飯?お花を飾る? 人の数だけ「丁寧な暮らし」も多様なスタイルがあると思うが、今回は調味料について取り上げる。日本の食生活には欠かせない調味料の一つ、醤油だ。 京都府綾部市にある株式会社今しぼりでは、誰でも簡単に昔ながらの醤油づくりに取り組める「育てる醤油」を販売されている。その場で搾って食べる“生きたままの醤油”を通じて、今しぼりが提案したい「暮らし方」について取材した。
醤油づくりを通じて「暮らし方」を提案する
株式会社今しぼりは、京都府綾部市志賀郷(しがさと)地区にIターンしてきた9家族によって、2017年4月に立ち上げられた会社だ。販売する商品は主に3種類。「育てる醤油」は、誰でも簡単に昔ながらの醤油づくりが始められるキット。また「今しぼり醤油」は、2年熟成したもろみを瓶詰めしたもので、食べる直前に自分自身で搾り出し、新鮮な一番搾り醤油を楽しむことができる。そして「食べる醤油」は、醤油を搾った後のもろみを”食べる調味料”としてアレンジした商品だ。
今しぼりで販売している醤油の原料はすべて、有機認証を取得している小麦や無農薬の有機肥料で栽培された大豆を使用。現代では添加物などを使うことで、安価で大量生産が可能な醤油が多く出回っているが、今しぼりでは昔ながらの醤油づくり(古式醸造法)にこだわり、現代社会で忘れられつつある人間本来の暮らしを提案・発信している。
醤油づくりの昔と今
今しぼりの代表を務める多田さんによると、醤油づくりはここ数十年で変わってしまったと言う。

多田さん 「実は日本でも、100年ぐらい前までは全国各地で醤油づくりをやっていました。しかしその後、戦争で食糧難になったこともあり、醤油の原料である大豆や小麦が主食として重宝され、それらを2年も寝かしておくような醤油づくりのために大切な主食を使うのはもったいないということで、大豆や小麦が材料として回ってこなくなったようです。そこへさらに発酵促進剤やアミノ酸合成剤などの技術も発達し、短時間で大量に、しかも安く醤油ができるようになりました。
その結果、もともとは高級品だった醤油の値段は下がり、全国の醤油屋が倒産し、昔ながらの醤油づくりをする醤油屋は激減してしまったんです。私が住む京都は、特にその影響を受けている地域。『和食は世界遺産』と言っているのに、本物の醤油の味や昔ながらの醤油づくりが無くなってしまうのはどうなのかなと思い、今しぼりではそこにこだわって販売しています。」
「育てる醤油」が生まれたきっかけ

現代の食生活や食べ物の作り方に疑問を感じ、「食のあり方や生き方、そして世の中についてもう一度考えてみませんか?」という提案をしているのが、今しぼりという会社だと言う。
その多田さん自身はもともと高校の教員で、その時の経験が今しぼりの立ち上げにつながる。
多田さん 「教員生活は楽しかったし充実していたけれど、自分の子どもが独立したこともあり、これ以上は収入をたくさん得るというより、自分が食べていけたらいいわという風に思ったんです。そうなると自分の食べ物を手作りする、田舎での自給自足生活ができればいいなと思い、早期退職をすることにしました。」
多田さんは57歳で退職後、綾部市で農業をしながら暮らすうちに、同じようにIターンで綾部市にやってきた人たちと仲良くなっていったそう。
多田さん 「田舎で子育てがしたいとか、自然の中で生きたいとか、そういう思いを持って綾部市に来ている30代ぐらいの若い人たちが周りに7~8家族いて、その方達と仲良く楽しく過ごす中で、その人たちが抱える不安を耳にしたんです。食に関しては自給自足でなんとかなるけど、子どもが大きくなると学校に行かせるために現金が必要になる。だから現金を溜めておかなければいけないが、一方で私たちが住む辺りには現金を貯めるような仕事はない。だから、子どもの学費を貯金できる仕事を作るにあたり、力を貸してほしいと声をかけてもらい、今しぼりという会社ができました。」
その会社の商品として選んだものが、自身の経験からずっとやってみたかった醤油づくりだった。
多田さん 「教員時代は文化祭が好きで、クラスのみんなと一生懸命文化祭に取り組むタイプの教師でした。でも高校3年生になると『文化祭どころではなく、受験勉強を優先するべき』という空気があったんです。だから高校2年生の文化祭後すぐに味噌を仕込んで、それが出来上がる高校3年時にその味噌を使って文化祭をやる、ということをやったんです。
そしたらその取り組みがとてもウケて、他の先生からも保護者からも美味しいと評判で、PTAから『来年も多田先生のクラスは味噌をやってください』と言われるほどでした。その時にいろいろ調べる中で、いつか醤油もつくってみたいなと思っていましたが、インターネットで調べてもなかなか作り方は出てこなかったんです。」
しかし綾部市に移住後、当時はできなかった醤油づくりに縁がつながる。
多田さん 「そしたら偶然、綾部市にIターンしてきた大先輩(20年ぐらい前に移住してきた方)が醤油作りをやっていた方で。その方にIターン後、醤油づくりを教えてもらったんですが、これが結構簡単にできるんですよね。だからその時に、本物の醤油が自分たちでこんなに簡単に作れるんだったら、都会の人もやってみたいと思う人はいっぱいいるだろうなと思い、醤油づくりを販売する会社にしようと決めました。」
「同じ味は二度と食べられない」

多田さん 「私たちの醤油は、生きたままで販売しています。醤油づくりに使われる菌たちは、日本各地の水や気候風土に合わせて発酵し、味をつくっていきますが、そんな発酵や微生物たちのすごさはまだ解明されていない部分もあります。でも私は、出来上がるものの味が違うことが、本物の基準だと思うんです。だってたとえ同じ木になったリンゴでも、収穫する時期によって味は違うだろうし、枝や日当たりによっても味が違うはず。だから同じ味は二度と食べられない。そういうものだと思うんですよね。」
今しぼりでも、立ち上げ当初から”生きたままの醤油”を販売したいと思う一方で、法人化する過程で迷う瞬間もあったと言う。
多田さん 「会社というのは、いつも同じ品質を提供しなければいけないという声もありました。最初は『そうなんか~』と思ったんですが、でもよくよく考えたらそんなことはないだろうと思って。農産物や自然のものを均一化することはできないだろうし、それができるのは、やっぱり自然のものではない、”作り物”の味だろうと思ったんです。だから『違うことに値打ちがある』と開き直り、うちの商品は発酵も止めず、生きたままのもろみを売っているんです。」
その結果、今しぼりで販売する商品の特性や取り扱い方を理解しているお店やインターネットでのみ販売をする、今の形になったそう。
「育てる醤油」を実際に始めてみた
「育てる醤油」を実際に始めてみた
私も発酵生活に興味があったこともあり、この取材を機に「育てる醤油」を始めてみたが、これが驚くほど簡単だった。
まず公式サイトで「育てる醤油」を購入すると、数日~1週間ほどで箱が届いた。箱の中には、醤油麹、育て方の説明書、ビン、専用の木蓋が入っている。手順は、育て方の説明書をもとに作ればとても簡単で、ビンに醤油麹を入れ、説明書通りの分量で水を注ぎ、スプーンでかき混ぜ、木蓋をかぶせれば、仕込みは終わりだ。
また育て方は、最初の一週間だけ塩を溶かすために毎日かき混ぜるが、それ以降は週に1回~月に1・2回程度でいい。そんな風にして仕込みはあっという間に終わったが、これからどんな醤油に育つのか、私も家族もワクワクしながら毎日眺めている。
多田さんによると、仕込んだ醤油は半年以上かつ夏を越すと色も醤油色になり、ビンから醤油のいい香りがしてきて、しぼり始めることができると言う。半年・一年・二年と、時間の経過とともに味も変わるので、どんどん置いておくと塩っぽい醤油がまろやかな味に熟成され、旨味も出てくるそうだ。途中で味見をしたり、熟成期間の違う醤油を仕込んだりして、食べ比べるのも楽しいだろう。

また気泡も見え始め、発酵している様子がわかるようになった。
育てる時間が教えてくれるもの
「育てる醤油」は熟成までに半年から一年以上はかかるため、その間に「食べる醤油」や「今しぼり醤油」を楽しみながら育てている方も多いと言う。
特に「食べる醤油」は、兵庫県・城崎温泉の高級レストランで使われていたり、有名料理人から「これこそご飯のお供じゃないか!」と言われるほどの人気商品だそう。軽く醤油を搾った後のもろみに、それぞれの調味料を加えた”食べる調味料”だ。

多田さんは取材時に、「育てる醤油があれば、醤油を搾った後に残ったもろみで、食べる醤油と同じようなものが簡単にできるから!」と作り方まで教えてくださった。人気商品であるにも関わらず、「食べる醤油」の作り方をさらっと教えてくれた多田さんの優しさや人柄がにじみ出た瞬間だった。
醤油づくりを楽しみ、搾った醤油を楽しみ、発酵によって変化する味を楽しみ、そして最後に残ったもろみまで楽しむ。何度でも楽しめる「育てる醤油」づくりだが、醤油として味わうまでにはどうしても時間がかかる。
けれどもこの時間は、現代の生活で私たちが効率化や手軽さと引き換えてしまったものを、そして自分たちの暮らしを、もう一度見つめ直すために必要な時間なのかもしれない。ぜひ次回は、工房やワークショップにも参加してみたいと思う。