コロナ禍で人気が高まっている首都圏近郊のエリア。都心に通いながら自然の近くで生活できる、東京と地域の両方を味わえる点が魅力のようです。そんなエリアに位置する茨城県龍ケ崎市で暮らすフォトグラファーの梶山泰央さんは、移住したからこそ、本当にやりたかったことに挑戦できたのだとか。移住先で挑戦を続ける想いについて、梶山さんに聞きました。
子育てと挑戦を両立できる暮らしを求め、たどり着いた龍ケ崎市。

都心から電車で50分ほど、茨城県南部にある龍ケ崎市。ここでフォトスタジオ「SMILE CAMERA」を営む梶山泰央さんは、2013年に家族で龍ケ崎市に引っ越してきた。
もともと住んでいたのは、東京23区内。夫妻ともに東京で仕事をしていたが、子どもが生まれた頃から「のびのびと子育てしたい」と考えるように。本格的に移住を検討し始めたのは、2011年。東日本大震災のボランティア活動を行い、被災地の光景を目にしたことがきっかけだった。
被災地で日常が奪われる苦しみや痛みを目の当たりにした梶山さんは「もっと人の役に立てるようになりたい」と思うようになった。その一歩目として、挑戦しやすく、住みよい環境へ移り住むことを決めた。
梶山さん夫妻は、関西や北陸をはじめとする複数の候補地に足を運んだ。しかし2人とも「ここがいい!」とぴったり気持ちが重なる場所は、なかなか見つからなかった。そんなとき、梶山さんの友人が「一応見てみたら?」と声をかけてくれた場所が、龍ケ崎市だった。
夕陽に照らされる龍ケ崎市の自然が、夫妻の決意を後押し。
せっかくなら見に行こうと軽い気持ちで龍ケ崎市を訪ねたものの、ここでも物件は見つからず諦めかけていた。そんなとき、最後に案内されたのが、のちに梶山さんがフォトスタジオをオープンすることになった土地だった。
当時はまだ空き地。しかし梶山さんは、夕陽に照らされて金色に輝く空き地を眺めたとき、「ここなら挑戦できるかもしれない」と直感した。「自然が身近で、子育てするには最高かも」とも。帰り道、妻ののぞみさんに思いを話してみると、初めて夫妻の意見が一致。まさに「龍ケ崎に呼ばれた」感覚を味わった。

梶山さんが龍ケ崎市に惹きつけられた魅力は、空だった。「引っ越してきた初日に家族で見た夕焼けは、今でも忘れられません。空の広さと夕焼けの美しさにあまりにも感動して、ここで生きていくんだな、ここに来てよかったなと思いました」。
龍ケ崎市で暮らし、挑戦する理由。
龍ケ崎市に引っ越してきて、「のびのびとした時間が流れていて、暮らしやすい」と感じた。しかし、夫妻ともに東京へ往復約3時間かけて通勤を続けていたことで、子どもと過ごせる時間が限られた。梶山さんは「都心から引っ越してまで、こういう生活をしたかったんだっけ?」とふと立ち止まった。
龍ケ崎市に移り住んだ理由は、子どもや妻がのびやかに過ごせる土地で暮らしながら、挑戦したかったからだ。梶山さんの心に再び「人の役に立ちたい」という気持ちが芽生えてきた。「龍ケ崎なら、新しいことに挑戦できるかもしれない」。しかし、このとき特別なスキルがあったわけではなく、古くからの友人のいる地元でもない。挑戦することに不安が募った。想いを妻に相談したところ、「写真を仕事にしてみたらいいんじゃない?」と言われた。

当時の梶山さんは、あまりピンときていなかったという。人の役に立ちたいという想いと写真を撮ることが、明確に結びついていなかったからだ。梶山さんはその後も妻の助言の意味を考えた。
「思い返すと、いい写真を撮れたときには友人やその家族も喜んでくれました。そんなふうに一枚の写真をきっかけに笑顔が連鎖していったときにはじめて大きな幸せにつながるのかもしれない、写真は人を幸せにするチカラを持っているのだと感じることができたんです。だから僕が撮った写真で人が笑顔になってくれるのであれば、それが自分の人助けだと思えました」
写真を撮ることで人の役に立てることに気づいた梶山さんは、写真を仕事にすることを決めた。
とはいえ、44歳まで続けてきた公務員を辞めて、趣味で続けてきた写真を仕事にする不安は大きかった。

それでも、「うまくいかなかったら、私もサポートするから」と妻に背中を押してもらい、梶山さんは退職を決意した。退職後、撮影機材を一式購入して、独学で猛勉強。退職から約半年後に念願叶ってフォトスタジオ「SMILE CAMERA」をオープンした。
屋号を「SMILE CAMERA」にした理由は、「笑顔につながる一枚を届けたいから」。一枚の写真から一人が笑顔になり、その笑顔が連鎖して大きな幸せにつながっていく。梶山さんが見つけた、自分の「人助け」への思いが込められている。
地域との関係を育んできた8年間。いい種をまけば、いい花が咲く龍ケ崎のまち。

スタジオをオープンしてから8年が経った。決して順調に進んできたわけではなく、今でも苦労はある。それでもスタジオを続ける梶山さんの支えとなっているのは、お客さんの存在だ。
オープン直後は特に、フォトスタジオの存在を知ってもらうことに苦戦した。当時スタジオに来てくれたお客さんの言葉を、今でも鮮明に覚えている。
「本当にいいものは、知ってもらえるまでに時間がかかる。今はまだ新しい土地に来て種まきをしているのだから、焦らずに梶山さんが大切にしていることを続けていけば、きっと写真をとおしてやろうとしていることが、龍ケ崎に住んでいる方々にも伝わっていくはずだよ」。

少しずつお客さんがお客さんを呼び、梶山さんがシャッターを切る回数が増えていった。梶山さんからは、一人ひとりのお客さんとのエピソードが次々に飛び出してくる。「ある常連のお客様のご家族が病気になられてしまって……。撮影後に『家族の何気ない日常を撮っていただけてほんとうによかった』と涙ながらに仰ってくださったんです」。梶山さんはお客さんと関わりながら、写真を撮り続ける意味を見出していった。


移住で叶えた「人の役に立つ」という目標、手にしたたくさんの支え。
客足が増えてきた矢先、新型コロナウイルスの影響が直撃。宣伝がはばかられ、廃業を考えたこともあった。それでも「スタジオは開いていますか?」「写真を撮ってもらえますか?」と問い合わせがあり、「待ってくださっている方がいるんだな」と励まされてきた。
「誰かの役に立ちたい、と思ってフォトスタジオを始めましたが、気づいたらお客様に支えてもらっている場面のほうが多くて。龍ケ崎に来て、写真の仕事がつなげてくれたご縁です。この仕事を選んでよかった、と心から思うんです」。
常に全力投球で仕事に向き合う梶山さんにとって、龍ケ崎市でのびのびと暮らす家族の姿を見ることが息抜きになっている。
「妻にとっては、故郷と龍ケ崎の雰囲気が似ているようで、穏やかに過ごしています。娘も自由気ままに過ごしていて、家族でよく公園に遊びに行くんです。龍ケ崎に移住してから空の広さに驚きましたし、自然ってこんなにいいんだな、と思うようになりました」。

移住してから、龍ケ崎市の魅力をどんどん見つけてきた梶山さん。これからも写真の仕事を続けながら、龍ケ崎市にしかない魅力を発信していきたいと考えている。

「龍ケ崎に来てから、これからも人を笑顔にする写真を撮り続けたい、とより強く思うようになりました。龍ケ崎と写真が繋げてくれたご縁で僕は今ここにいるので、恩返ししたいと思っています。そのためにも、お客様の笑顔につなげられるように、目の前のワンショットを大切にしていきたいです」。

構成:菊池百合子
編集・写真:小松崎拓郎
企画:龍ケ崎市シティセールス課
◆龍ケ崎市移住・定住サイト「龍ケ崎で暮らす」
HP:http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kurashi/emigration/index.html
facebook:https://www.facebook.com/ryugasaki.city