『Hotorinite』で自然と対話し、 感覚を呼び戻す。

特集 | 続・ウェルビーイング入門 | 『Hotorinite』で自然と対話し、 感覚を呼び戻す。

2022.07.09

山梨県山梨市牧丘町。広大な森に囲まれた乙女湖のほとりに『Hotorinite』はあります。「宿」ではあるのですが、ここはその枠を超えた特別な場所。店主・高村直喜さんが提案する「人間と自然との際」で過ごす時間には、心身のよりよい状態を考えるヒントが満ちていました。

湖のほとりにて。 ここは"寓話"の入り口。

館内随所にある室礼も美しい。写真は休憩室の一つ「水の部屋」。中央の盆栽は奈良にある『塩津植物研究所』によるもの。

訪れた人たちの多くが、ここでの滞在によって自分を見つめ直したり、心身の感覚をリセットしたり、そんな経験をしてまた日常に戻るという。今回、1泊2日の旅程で実際に『Hotorinite』の時間を体感してみることに。

宿があるのは標高およそ1500メートル。八ヶ岳から秩父山系にまたがる国道140号、通称クリスタルライン沿いの乙女湖畔。冬季は道路が凍結するためゲートによって封鎖される(宿泊者と関係者のみ入れる)。周囲には原生林が広がり、ほんの数分歩けば見たこともないような絶景が。店主・高村直喜さんがご夫婦で営む『Hotorinite』は、1日1組限定。かつて山中湖のほとりで運営していた同名の宿は、宿泊予約サイトで世界的な評価も得ていたという。

チェックインの後、早速ガイドツアーへ。メニューは10近くあり、この日、案内してくれたのは、高村さんが「苔の王国」と呼んでいる場所。火山岩の上に、ヒノキ科の樹木であるサワラが群生し、学術的に貴重なものとして研究の対象にもなっている場所だ。森に入る前、高村さんが「ちょっと待ってくださいね。これを……」と、火薬銃を取り出した。「パーン、パーン、パーン」。静謐な空間が切り開かれる感覚。「熊とか、危険な動物に対しての『説明』ですね。『これから人が入るよ』って」。こちらも「自然の中に入る恐怖」を改めて認識する。

高村さんが「苔の王国」と命名した森は、小さな沢の周囲に広がる。樹齢100年を超える巨木が石を抱く。

森に入ってすぐ、圧倒された。樹齢100年を超す巨木があちらこちらに。足元には見渡す限りの苔の群生。道路のすぐそばにこんな絶景が広がっているなんて。

1時間ほど散策し、道路に戻る。すると、高村さんから質問された。

「なにか感じませんか?」

そう言いながら、靴でアスファルトを踏む仕草をする。「硬いんですよね。普段歩いていると全然気にならないんですけど。”制御“され過ぎているというか」。森の中はふかふかのクッションのようで、それが不安定かというとそうではなく、おおらかに受け止めてくれる安心感があった。それがアスファルトにはまったくない。「こんな硬いモノの上をいつも歩いていたのか!」と、普段感じることのない身体の感覚の違いに気づく。同時に、人と自然との関わりについて問いかけられたような気がした。

「都会だったら、通りづらいから木を切ったりもする。でも、森の中は自分たちの都合じゃ歩かないですよね。木や枝があったら避ける。人間が都合に合わせる。そういったことを自問して帰られる人も多いように思います」。高村さんのガイドには知識だけでなく、なにか大切なことに気づかせてくれるような、不思議な魅力がある。

「両極じゃないですけど、自分の”心地いい“を知るには、”心地よくない“ことも知らないとわからなかったりすると思うんですね。自然や、見知らぬ世界、人間のスケールだけでは測れない中に身を置くことで、お客さま自身が日々を見つめ直すというか、なにかを感じてくださっているようです」

宿に戻り、しばし時間を過ごす。清浄に保たれた空間は、どこも居心地がいい。随所の室礼、オブジェ、館内に置かれた本などに、五感が刺激される思いがした。接客も、おもてなしを”する“ような感じではなく、ゲストの呼吸を感じながら、双方で呼応するような。実際に館内には躙り口のある休憩室もあり、主観だが、どこか茶道のそれ、主人と客の関係性に似ているとも感じた。

ガイドツアーの間、そして夕食後に、高村さんにさまざまな話を聞いた。かつては音楽やアートの世界に身を置いていたこと、世界を旅していたこと。今の物件と運命的な出合いを果たし、体験を設けた現在の宿泊スタイルが自然とスタートしたこと。

運営するうえで大切にしている「二つの命」についても高村さんは教えてくれた。一つは物理的な命。危険な山菜を食べてしまったり、ガイドツアーで事故を起こしたりして命を落とすことのないよう、宿としては最大限注意を払う。そしてもう一つの命というものを、高村さんはていねいに扱う。「それは『思い出』です。人を生かす、ということに対して、計り知れない力を秘めていると思うのです。東日本大震災で被災された方が絶望的な状態のときに欲したものの一つに、写真や思い出のアルバムがありました。そう考えると、思い出とは命を支えるもの、生きる気力そのものなんだなって。自分自身、つい最近入院して、死を覚悟する出来事があったのですが、そのときに蘇ってきたのは、家族と過ごした記憶。改めて思い出って大事だなと実感しました」。

宿ではガイドツアーの様子をドローンなどで映像に残し、体験したゲストに後日届けるという。「もしなにか、辛いことがあったりしても、ここの場所を思い出したり、『あのとき楽しかったなあ、元気になれたなあ』って思ってもらえたらうれしいですね」。

宿という「装置」に触れ、 感覚を取り戻す。

2019年に生まれた『Hotorin-ite』は、閉店日がすでに決まっているという。それは2033年1月6日。「出会いや共有した時間がどれだけ大事か、普段の生活の中だとなかなか向き合えない。けど、一期一会のような、こういう儚さを孕んだ宿に、なにかを感じてもらえるかもしれないって」。

『Hotorinite』は、訪れてくれる人と共に「時間をつくる」ような、そんな場所なのだろう。そしてガイドツアーも映像も、自分たちの存在でさえ、高村さんは「装置」なのだと話してくれた。

「この宿を通してこの場所に来て、自然と対峙して、自分の中でなにかを得て、そこで自分が変わっていく。周りにはその変わった自分を見る人がいて、そこで初めて影響し合うっていうか。写真家・星野道夫さんの有名な言葉にもあるのですが、感動したものを伝える最良の方法とは『自分が変わること』。僕たちもここに来て、すごく変わりましたし、そんな連鎖みたいなものによって社会がよりよくなっていったら」。

圧倒的な自然と、その際で、なにか壮大な実験をしているかのような高村さん。現実と非現実の狭間を行き来するような、そんな感覚にさえなれる『Hotorinite』とは、きっとアートだ。そこには哲学があり、見るもの、触れるものに作用していく。ここに滞在し、なにを感じるか、どう変わるか、自分にとっての心地よさとはなにか。ぜひ自身で感じてほしい。

翌朝、高村さんが連れて行ってくれた「風の岩場」からの絶景。
店主の高村さん。「苔の王国」にて。

今回の取材で体験した『Hotorinite』の時間 1日目

宿に向かう途中、トンネルをくぐる。何となく空気が変わるのを感じた。
14時にチェックイン。エントランスをくぐり、『Hotorinite』へ。
自家製の熊笹茶がウェルカムドリンクに。地元の焼き菓子と共に。
14時30分、「土の部屋』にて。ガイドツアーの説明を高村さんから受ける。
ガイドツアーへ出発。この日は「苔の王国」を1時間かけて歩いた。
夕食後、暖炉の前で高村さんに取材。ていねいに言葉を選ぶ姿が印象的だった。
22時、就寝。部屋にはハーブティーの用意が。穏やかな眠りの世界に誘われる。

今回の取材で体験した『Hotorinite』の時間 2日目

6時起床。昨夜の雨が上がり、鳥の鳴き声が聞こえる気持ちいい朝。
「風の岩場」へのガイドツアー。この先を数メートル進むと……。
この日の朝食は『水の部屋』にていただく。絶景とともに味わった。
10時、チェックアウト。次回の滞在をすでに予約したくなっていた。

photographs & text by Yuki Inui

記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。