地域を知り尽くした人が描くからこそ伝わるまちへの愛情。島根県松江市で広がる「手書き地図」

地域を知り尽くした人が描くからこそ伝わるまちへの愛情。島根県松江市で広がる「手書き地図」

 初めて訪れるまちに行った時、観光地や飲食店はどんな方法で調べているだろうか。旅行ガイドブック? インターネットで検索? SNS? 観光案内所や宿泊施設で聞く? 人によって好みの手段はあるだろうが、「手書き地図」を活用したことはあるだろうか。 地元のおすすめスポットを独自の視点で手書き地図として描き続けている女性が、島根県松江市にいる。趣味で始めた手書き地図は15年以上も続いており、今や有料で販売されるほどの人気ぶりだ。さまざまな地域・団体からも依頼が入るようになった彼女の手書き地図がどのように生まれ、愛されているのかを紹介する。

まちへの愛情が伝わる手書き地図


松江城
島根県松江市にある国宝・松江城は全国に現存する12天守のうちの一つ。

 松江市は”水の都”とも言われている、島根県の県庁所在地。観光スポットとしては国宝・松江城や穴道湖(しんじこ)などが有名で、松江城の周りは「堀川めぐり」として一年中遊覧船で巡ることができる。


 そんな松江市内の観光スポットやお店を、丁寧に描かれたイラスト付きで紹介しているのが、今回紹介する手書き地図だ。色鉛筆を用いてさまざまな色を塗り重ねて描かれているお店や食べ物のイラストは、色彩豊かでどこかかわいらしさを感じる。さらによく見てみると、建物のイラストは屋根瓦や石垣などがかなり細かいところまでしっかり描かれているし、お店や観光スポットの紹介文は短いながらも初めて訪れる人への配慮が感じられる。作家のまちに対する愛情を感じるこの手書き地図は、眺めているだけで「ここに行ってみたいな」とワクワクさせてくれる。


手書き地図


 実際にこの手書き地図は、さまざまな用途で使われている。ゲストハウスで偶然この地図を見かけた観光客は、手書き地図を片手にお店や観光地を巡る。また松江市に移住してきたあるご夫婦は、休日のたびに地図を持って出かけ、今まで行ったことがないお店を開拓することが楽しみなのだという。さらに松江市内に住むある若い女性は、偶然カフェで販売されていた手書き地図を購入し、部屋やトイレの壁に貼ってインテリアの一部として楽しんでいる。


趣味で始めた手書き地図


 そんな手書き地図は、松江市内のお店・飲食店内で有料販売されているものもあれば、松江市中心市街地活性化協議会のHPで無料ダウンロードできるものもある。地図上には「CHIE」という作家名だけが書かれているが、今回は縁あって、作者である伊藤知恵(ちえ)さんにお話を聞かせてもらうことができた。


伊藤知恵さん
手書き地図の作者であり、松江市中心市街地活性化協議会・まちづくりコーディネーターの伊藤知恵さん

 松江市在住の伊藤知恵さんは途中何度か引っ越しをしながらも、学生時代を含め、ずっと島根県内で歳を重ねてきた。現在は松江市のまちづくりコーディネーターとして働いていて、松江市内で商売を始めたいという方に地域の人や物件をつないだり、視察の受け入れなどをされている。「地域のみなさんがやりたいことを実現するためにサポートする役目」だと伊藤さんはいう。


 また過去にはレストランでのシェフ経験やカフェでの勤務経験もあるため、フードスタイリングやレシピ開発、さらにはイベント企画などの副業もされている。そして今回紹介する手書き地図も、数ある副業の一つでありながら、趣味でもあるのだという。


C!C!C!地図
伊藤さんが過去に手掛けたイベントの出店者マップ

 お話を聞いてみると、もう15年以上も描き続けているという手書き地図。描き始めたきっかけを聞いてみた。


伊藤さん 「もともと大学では建築を専攻していたので、建物は簡単に描けたんです。でも手書き地図を描き始めたのは、大学の友人が県外出身者も多かったこともあり、卒業後に県外へ帰ってしまったことでした。友人とは学生時代に自転車で一緒に松江市内をまわっていたのですが、卒業後もその当時のことや松江のことを思い出してほしいなと思い、最初は写真を撮ったり、手紙を書いて送っていました。でも私自身が筆不精で、たびたび書くのは面倒だなと思っていた時に、地図を描いて『新しいお店ができたんだよ!』『ここ一緒に行ったよね!』みたいなやりとりができたらいいなと思い、描き始めたのが発端です。


手書き地図
松江観光はサイクリングが便利ということでつくられた「松江サイクリングマップ」は、大学生と実際に松江市内を巡りながら制作。

 そして地図を更新するたびに県外の友人に郵送していたんですが、たまたまそれを松江に住んでいる友人に見せたら『私も欲しい!』と言ってもらい、配るようになりました。印刷代も自己負担でしたが、みんなが喜んでくれるのが嬉しくて当初はタダで配っていたんです。」



タダで配っていた手書き地図を有料で販売するために重ねた工夫や仕組みづくりとは

楽しく地図をつくり続けるために


伊藤知恵さん


伊藤さん 「でも10年ぐらい経ったある時、『あれ?』と思ったんです。タダで配り続けていたけど、実はものすごく印刷代がかかっているかもしれないと思い、ざっくり計算してみたら大体10万円分ぐらいは配っていたことに気づいたんです。みんなは喜んでくれるけど、仕事にもならず、お金が出ていく一方で続ける趣味は自分が苦しくなってしまう。だからこれはいかんなと思っていた時に、自分でお店をやっている友人が『それなら地図を売りなよ。うちで売ってあげるよ!』と言ってくれたんです。当時の私は『フリーペーパーがこんなにあふれている世の中に、こんな地図が売れるわけじゃん』と思いましたが、でも友人が『まずは売ってみよう』と言ってくれたこともあり、一枚200円で売り始めました。」


 伊藤さんはその後も、地図をつくり続けるために販売の仕組みや売り方にも工夫を重ねたという。


伊藤知恵さん
筒状に巻いた地図を立てかけて販売するアイディアも伊藤さんが発案。

伊藤さん 「最初は地図の原画をカラーコピーし、それを紙のままで販売していました。でも山陰は雨の日が多く、すぐ地図が濡れてダメになってしまうと友人に言われ、途中からは地図を透明なビニール封筒に入れ、濡れずに使い続けられるよう工夫しました。またお店に地図を置いてもらう時も、クルクルと筒状に巻いた地図をエリアごとに立てて店頭に置いてもらうようにすると、フリーペーパーではなく”商品”みたいに陳列することができ、『うちのお店でも置きたい』と言ってもらえるようになりました。


 また地図を置いてくださっているお店にもできるだけ負担がないよう、地図の仕入れ方も〈買取〉または〈販売枚数に応じた後払い〉の2種類から選んでもらえるようにしました。〈買取〉であればお店側にも1枚あたり50円分は利益が出る仕組みですし、〈販売枚数に応じた後払い〉であればお店側も在庫等のリスクを負わなくても販売できるので、どちらか好きな方を選んでもらっています。


 結果的にはタダで配っていた頃の経費は一年で回収できましたし、今でも利益はほとんどゼロですが、マイナスにはならなくなりました。でもお金以上に、この地図を見たことで別のお仕事をいただけるようになったので、手書き地図が”歩く宣伝広告”みたいになっていますね。」


 手書き地図に限らず、自分の作品を販売したいと考える人はいるかもしれないが、多くの方はお金の問題がどこかで立ちはだかる。でも伊藤さんは、自分が楽しく活動し続けられるようにお金もうまく回収する仕組みをつくり、工夫を重ねた。そういったアイディアが、15年以上も地図づくりが続けられている理由なのだと思った。


地図に店構えを描く理由


手書き地図


 伊藤さんに、地図づくりにおいて意識していることも聞いてみた。


伊藤さん 「基本的には建築や建物が好きなので、『この建物かっこいい』など外観を見て掲載するお店を選んでいることが多いように思います。やっぱり店構えがかっこいいと、お店の人もかっこいいんですよね。またお店選びに関しては、地図を描いているとどうしても時間の経過とともに閉店してしまうことも。だから『このお店は何年もずっと続くだろうな』とか『続いて欲しいな』という視点で選ぶようにしています。」


 伊藤さんの手書き地図にはお店の外観がよく描かれているが、お話を聞いてみると、そこにも初めてまちを訪れる人への配慮があった。一般的にインターネットやインスタグラムなどで投稿されている写真は商品や店内の写真は多いが、店構えはあまり載っていないことが多い。伊藤さんはそこに着目し、「地図を持ってお店を探している方が見つけやすいように」という想いから、店構えを描くようにしているのだという。


 そして載せたいお店を見つけたら自分で何度も通いながら、店主の個性や店構え、「このお店を教えたい」という感覚を大事にしながら、地図にその想いを落とし込むのだそう。最近は松江市以外の地域から地図づくりを依頼されることもあるそうだが、伊藤さん自身があまり詳しくない地域に携わる場合は「まちのことを知らないのに勝手に書くのは失礼だから」と2年ほどその地域に通い続け、イラストを描いたことも。それだけ誠実にまっすぐ地域と向き合っているからこそ、地図全体から地域への想いや愛情が伝わってくるのだなと感じた。



4メートルの巨大手書き地図が完成!ここでも光るアイディアとは

4メートルの巨大手書き地図


 そして現在では、松江城のふもとにある遊覧船のりば「大手前広場乗船場」の待合室に、4メートルほどの手書き地図が設置されている。伊藤さんを含めた松江市内のイラストレーター3名で描きあげた作品は、その大きさに誰もが驚くだろう。


4メートル手書き地図
左右は黒板になっており、中央は印刷された地図上に透明ボードが貼られている。

 この巨大手書き地図は、黒板に描かれた地図(左右)と透明ボード上に描かれた地図(中央)で構成されている。一般的にはポスターのように印刷された地図が多いが、今回は黒板や透明ボードを使っているところにも理由がある。それはもし将来地図に載っているお店や町並みが変わったとしても、すぐに更新できるよう”更新型地図”として簡単に描いたり消したりできる素材をあえて使っているのだ。実用性も兼ね備えたアイディアは、ここでも光っていた。


4メートル手書き地図
お店の情報だけでなく、観光情報についても書かれている。

 また巨大手書き地図の下には、行政が制作した観光マップと肩を並べて伊藤さんの手書き地図も設置されている。松江城を訪れた観光客も、遊覧船を待つ人々も、待合室には気軽に出入りできるので、ぜひ立ち寄り、手にとってみてほしい。


「地図に載せきれないディープな松江を知ってほしい」


手書き地図(デジタル)
最近ではデジタルイラストも描いているが、手書きと同じような雰囲気や色合いを表現するのが難しいのだそう。

 最後に今後の展望についても聞いてみた。


伊藤さん 「今までリリースした既存の地図は、できる限りこれからも更新していきたいと思っています。そして『自分のまちを地図で描いてほしい』というお話は時々いただきますが、まだ島根県以外の地域では実現したことがないんです。今の状況下ではなかなか移動はできませんが、尾道や京都、長野など、自分が関わった地域の手書き地図もつくってみたいと思っています。知らないまちの地図はお店の外観写真があれば描けると思うので、リモートワークであっても、まちへの想いがある人の『こんなお店があって、こんな文章を書いてほしい』という想いを聞かせてもらえれば挑戦してみたいですね。


 また松江に関しても、地図にはどうしても載せきれないもっとディープな場所もたくさん紹介したいです。地図を描いていると『まちを案内してほしい』と言われることもあるので、今後はまち歩きワークショップや手書き地図づくりワークショップなどもやってみたいですね。いろんな方に松江の良さを知ってもらい、もっともっと松江に来てほしいなと思います。」


 知らないまちに出かけた時に、まちへの想いがこれほどまでに溢れている人に出会えたら、どんなにその時間は濃密で充実するだろう。取材中も「このお店のクロワッサンが最高に美味しいんですよ!」とキラキラした目で紹介してくれた伊藤さんの姿はとても印象的だった。心から良いと思っている人の声ほど、信じてみたいと思わせるものはないのかもしれない。


 移動できない今は地図を眺めて楽しみ、そしていつか松江を訪れた際は、手書き地図を片手に町歩きをしてみてはどうだろうか。


伊藤知恵さん


 


▼手書き地図(一部)は下記HPよりダウンロード可能
松江市中心市街地 活性化協議会HP
※その他エリアの手書き地図(有料)は、松江市内のカフェや古本屋等で販売


▼4メートルの巨大手書き地図は、堀川めぐりの「大手前広場乗船場」の待合室で見ることができる
松江堀川めぐりHP

編集部ピックアップEDITER’S PICK UP