8年越しの思いを叶え、家族で新潟へ。Uターン移住で実現した、“理想の子育て”とは。

8年越しの思いを叶え、家族で新潟へ。Uターン移住で実現した、“理想の子育て”とは。

 「子どもが生まれたら地方へ移住したい」――そんなふうに考えている人も多いのではないでしょうか? 地方移住を検討する人にとって、そのきっかけのひとつにもなる「子育て」。今年3月に新潟市へUターン移住した木村愛子さんも「いずれは新潟で子育てがしたい」と思い続け、8年越しでその思いを叶えました。実際に移住を決断するまでの道のりや、新潟での現在の暮らしについて、お話を伺いました。

サンプル
木村愛子さん●1984年生まれ、新潟県新潟市出身。大学進学と同時に新潟を離れ、都内の企業に就職。大・中・小のベンチャー企業での経験を経て2019年に独立したのち、2020年3月に家族4人でUターン。現在は、新潟市で株式会社Pepoを設立し、ご主人とふたりで、企業の業務システム開発やソフトウェア導入支援などの事業を行う。

子育ての中で意識した、新潟へのUターン。


 新潟市出身の木村愛子さん。大学進学と同時に地元を離れ、そのまま東京の企業に就職し、結婚。東京出身のご主人とともに、都内での生活を続けていました。そんな中で、新潟へのUターンを意識し始めたのは、一人目のお子さんが生まれた頃だったといいます。


木村さん「子どもが生まれるまでは、新潟へ戻ることは全然考えていなかったんです。でも子どもが生まれたらすごく大変で、頼れる人が近くにいてほしいという気持ちが強くなりました。一人目を生んだあとは、連休があればすぐに新幹線で新潟へ帰ってましたね。子どもを育てていくうえでは、やっぱり親の近くにいるほうがいいのかなと思い始めていました」


新潟の風景


 そんな気持ちを抱きつつもすぐに移住に踏み切れなかったのは、東京と同じように新潟で働けるイメージがつかなかったからと振り返ります。ご主人も新潟への移住に関して前向きに考えてくれていたものの、仕事の目処がつくまでは「いつかできたらいいな」という、あくまで理想のようなものだったそう。


“働き方”を見直し、夫婦で起業、そして新潟へ。


 しかし現在は新潟で会社を立ち上げ、ご主人と二人三脚で業務にあたっています。木村さんが新潟での起業に至ったのは、なぜだったのでしょうか?


木村さん「二人目を妊娠したときに、夫も私も仕事について考えるタイミングがあって。私は出産や子育てに追われる中で、今後の“働き方”について考え始めていました。新潟に戻りたいという気持ちもあり、別の会社に移ることや、当時勤めていた会社のサテライトオフィスを新潟に作れないか、なども考えていて。いろいろ考えた末に、自由な働き方を求めるなら、自分でやったらどうかという結論に至ったんですよね。会社の社長にも相談したら『いいじゃん』と背中を押してくれて。それで、当時やっていたシステム開発の仕事で独立することを決めました」


すべり台と桜。


 もともと新潟オフィスを開設する話も出ていたという流れも手伝い、職場からの後押しを受けた木村さんは、独立を決意。ご両親も夫婦で自営業をされていたこともあり、木村さん自身も夫婦で一緒に働く生活が理想だったといいます。そうした流れの中で、ちょうど同じ頃、ご主人も退職することに。そんなタイミングも相まって、いよいよふたりで働く準備をスタートさせました。


木村さん「背中を押してもらって『よしやるぞ』となってから、とりあえず個人事業主としてやってみようと思い、東京で1年間の準備期間を設けました。その間に夫も仕事を離れることになったので、私がもともと勤めていたシステム開発の会社で、営業職の見習いみたいな感じで働かせてもらうことにしたんです。そこでふたりで仕事をするイメージを具体的にして、ある程度かたちを作ってから新潟に移りました」


 そんな1年間の入念な準備期間を経て、今年3月、満を持して新潟市へUターン。移住後、新潟で「株式会社Pepo」を設立し、業務システムの開発やソフトウェアの導入支援等の事業を行っています。事前にイメージしていた通り、木村さんは主にシステムの開発を、ご主人は営業担当として、それぞれ業務を分担しながら働いています。現在は、独立前に勤めていた会社から来る仕事をベースにしつつ、徐々に新潟でもクライアントが増えてきているそう。


打ち合わせ
現在、新たに進んでいるシステム開発の案件で、新潟市内で打ち合わせ。

 地元へのUターンを意識し始めてから、ここまで8年。当初抱いていた仕事への不安をすべてクリアにするためにここまで時間がかかった、と木村さんは振り返ります。



8年越しに実現した“理想の暮らし”とは?

 はじめは「子育てで頼れる人が側にいてほしい」という思いから、新潟へのUターンを意識し始めたという木村さんですが、それ以外の面でも、東京での子育てに対する不安があったのだそう。


木村さん「東京は、進学や習い事などの選択肢が多いぶん、最初に決めた環境でその先が決まってしまうのではないかというのが、すごくストレスになっていました。進学に関して言えば、新潟は私立の学校が少ないので、公立に行く人のほうが多いんですよね。新潟でなら、小学校や中学校の受験をしなくても、のびのび自由に育てられるんじゃないかという思いがありました」


遊ぶ子どもたち
現在、新潟市内の小学校に通う息子さんと、2歳の娘さん。自然の多い広々とした公園で、子どもたちものびのび遊べます。

 そうした進学に対する価値観の違いも、新潟での子育てを選ぶ理由のひとつになったといいます。また、子どもの安全面や住宅の広さなど、東京の住環境に不自由さを感じていたことも大きかったとか。


木村さん「もともと賃貸に住んでいて、いずれはマイホームを購入したいと思っていたのですが、やっぱり東京だと高くて。子どもの声や物音を気にしなくていい戸建ての住宅がほしいと思った時に、新潟なら自分たちの収入でも十分なスペースの住居が構えられたんです。しかも、東京で払っていた家賃よりも、月々の支払いは安くなりました。そういった点もUターンを決める大きな理由になりましたね」


 現在は、新潟市内の新興住宅地で戸建てを購入し、家族4人で暮らしています。新しい住宅地のため周辺には同世代の家族が多く、新設された自治会もみんな同じところからのスタート。そうした環境の中では、さまざまな地域活動もやりやすいと感じているそうです。


流しそうめん
夏には息子さん自作の装置で流しそうめんも。東京ではできなかったことにも、気兼ねなくチャレンジできるようになりました。

東京にはない“ローカル感”に戸惑うことも。


 一方で、初めての地方暮らしとなる東京出身のご主人。新潟での暮らしに不便はないのでしょうか?


木村さん「今のところはないみたいですが、強いて言うなら方言ですかね(笑)。私は新潟弁も標準語も両方使い分けることができるけど、夫は東京の言葉しか知らないから、たまに聞き取れない言葉もあるみたいで。テレビも本もすべて標準語なのに、なぜわざわざ方言を使って話すのか、すごく不思議みたいです。新潟弁ネイティブの私は、そんなこと考えたこともなかったですが(笑)」


新潟の日本海


 本州で日本海側唯一の政令指定都市にもなっている新潟市は、県内の他の地域に比べて雪も少なく、程よく都会で暮らしやすいと県内でも人気のエリア。暮らしの面での不便さはなさそうですが、独特の方言や新潟の情報に特化したローカル番組の多さなど、東京の生活では感じにくい“ローカル感”に戸惑うことがあるのだそう。


 そんな東京出身のご主人ならではの視点も夫婦で共有し、その違いも楽しみながら暮らす様子も印象的。方言など地域特有の文化に戸惑うことはあっても、夫婦でどちらかが理解できていれば安心感もあります。お互いに知らない土地へ移住するIターンよりも、どちらかの地元へUターンするメリットは、そういったところにもあるのかもしれません。


安心できる環境で、のびのび子どもを育てる。


 そんな新潟での暮らしをスタートさせてから、もうすぐ半年。人との繋がりが強い地方ならではの安心感を感じているといいます。


木村さん「新潟に来てから、仕事で人に出会うたびに『あの人知ってるよ』とか、聞けば父親の知り合いだったとか、本当に社会が狭いんですよね。すごく横の繋がりが強い。良くも悪くもみんな誰かの知り合いだから、下手なことはできないし、家族以外にも信頼できる人に出会えるチャンスが多いなと思います」


 都会で暮らす人の中には、そんな地方特有の世間の狭さをネックに思う人も多いかもしれません。しかし、子どもを育てるうえでは、そうした顔の見える繋がりがあるからこそ安心できると木村さんは感じています。それは、東京での子育てを通して、力になってくれる人が近くにいる大切さを実感したからだと話してくれました。


新潟_公園


木村さん「昔から『女の子は親元の近くにいなさい』と言われてきましたが、それは古い価値観だとずっと思ってたし、若い頃は自分の力でなんとかできると思ってたんです。でも実際にやってみたら、子育てや家のことになると自分ひとりではできないこともたくさんあって。そのときに、頼れる人が近くにいてほしいと思ったんですよね。きっと今まで私が言われてきたのは、『自分の味方の近くにいたほうがいい』という歴代の女性たちからの教えだったんだなと思いました」


 自分の家族も含めて、近くに住む親族やご近所同士の繋がりが、必要な時には助けてくれる。先に出産や子育てを経験してきた女性たちからのそんなメッセージを身を持って感じたからこそ、気兼ねなく頼れる家族の存在や、安心できる地域のつながりの大切さを改めて感じているといいます。


木村さん「先日も、息子のお友だちのおばあちゃんから枝豆を大量にもらったりもしました(笑)。うちへ遊びに来た時に『おばあちゃんから持ってけって言われた』って言って持ってきてくれて。そういう日常の何気ないやりとりも嬉しかったですね」


そら豆
おすそ分けでもらった、そら豆。実家やご近所から食べ物のおすそ分けを貰うことも多いのだそう。

自分たちらしい理想の暮らしへ、もっと近づく。


 そうした安心できる人たちとの暮らし中で、今までよりもさらに自分たちらしい生活ができるようになったと、木村さんは感じています。


木村さん「新潟に住み始めて、周りに気兼ねなく自分のペースで暮らせるようになったのが一番良かったなと思います。東京に住んでいた頃は、子どもたちだけで外に遊びに行かせることもできなかったですが、今では息子もお友達と一緒に自由に外へ出かけて遊んでいます。我が家でも、好きなだけ兄妹げんかをしたり、家の前で花火ができたり。自分たちで事業をしているのもあって、やりたいことがのびのびとできて、自分たちらしく暮らせている実感がありますね」


新潟_浜遊び


 今は移住後のギャップもほとんどなく、木村さん自身がずっと思い描いてきた理想の生活へ、着実に近づきつつあります。8年前に新潟へのUターンを考え始めてから、自分や家族にとっての“安心な”生活を突き詰めたからこそ実現した、現在の充実した暮らしです。


 「いつか移住したい」と思いながらも、今いきなり何かを変えることが難しいという人も多いはず。木村さん自身も、初めはそうした思いを抱えたひとりでした。それでも常に、頭の片隅にでも「移住」という選択肢を持ち続けていたことで、念願のUターンを叶えています。移住に限らず、まずは自分にとっての“理想”を描き、それに向かって考え続けることこそ、日々の暮らしをより良いものにする大事なプロセスなのかもしれません。


日本海_夕日

編集部ピックアップEDITER’S PICK UP