離島と離島が協力し合い、未来につながる新しい仕組みをつくる。全国に416ある有人離島。その多くが人口減少や産品の販路開拓などの課題を抱えている。一つの島の力では解決が難しいことでも、離島全体で力を合わせることで新しい道を切り開く。「イノベーションの時代にこそ、離島の価値が評価される」。そう確信を持つ『離島百貨店』理事・青山富寿生さんに話を伺った。
離島同士の連携で、発信力・解決力を高めていく。
現在、日本にある有人離島の数は416島。その多くが人口減少や後継者不足、情報発信の難しさなどの課題を抱えている。2019年2月に設立された『離島百貨店』は、離島同士で連携し、企業や関係省庁も巻き込むことで、「離島ファン」全体に対する発信力を高め、最終的には参加する離島それぞれに「利益」を還元していこうとしている。具体的にはイベントへの出展や企画、地域オリジナル商品開発支援によるブランディング、物流や販路の開拓などを行う。
その仕組みを考え出し、加盟する離島を増やそうと奔走しているのが、理事の青山富寿生さん。自らも離島である島根県・海士町出身で、町役場を退職し、新たに『離島百貨店』での新規事業に挑む。青山さんにその誕生の経緯や意図を尋ねた。
ソトコト(以下S) 『離島百貨店』のアイデアはどうやって生まれたのですか。
青山富寿生(以下青山) 最初は2009年、東京などでキッチンカーを使った「離島キッチン」という名前の移動販売を、海士町や全国の離島の情報発信を目的に海士町観光協会で始めたことにさかのぼります。そこでは海士町の特産品を使った「さざえカレー」「寒シマメ漬け丼」などのほか、連携をお願いした鹿児島県・奄美大島の名物「奄美鶏飯」や、香川県・小豆島産のキーマカレーなどを販売していました。
S 海士町が行う事業でも、名称は「離島」だったんですね。
青山 島の内外の方から「なぜ『海士町キッチン』でないのか?」と、よく言われました。でも多くの人が「海士町」といわれてもピンとこないであろう状況では、「離島」という言葉のイメージで集客をして、そこから入ってきた人に海士町について発信していくほうが、訴求効果が高いという確信がありました。結果として海士町だけでなく、離島全体のPRにもなりましたし、離島キッチン自体も2015年に固定店舗として東京・新宿区に神楽坂店がオープンして以来、東京・日本橋店、札幌店、福岡店の計4店舗を展開することができました。現在、離島キッチンと連携している離島は83島になります。

S そこから『離島百貨店』にはどのようにつながっていくのでしょうか?
青山 離島キッチンを続けてより明確にわかったのですが、多くの離島が人口減少、人材育成、空き家対策、観光・インバウンド対策などといった共通する問題を抱えています。離島キッチンがそれまでになかった流通経路を開拓し、それぞれの島の魅力を伝えられたように、一島ごとの離島の力は小さくても、連携することでより多くの人に届き、問題に対して効果的な手が打てるのではないかと考えました。いわば離島キッチンの進化形です。

結果を見せて、加盟島を増やしていく。
S 現在、『離島百貨店』に加盟している離島の数は?
青山 10島です。積極的に参加を希望してくれる離島もありますし、声をかけても、離島キッチンよりもやることの規模が大きいだけに「連携したときのメリットがうまく想像できない」という理由で参加を悩む島もあります。これまでになかったことに挑戦しているわけだし、そこはもう結果を見せていくしかありません。
S 声かけはどんなふうに?
青山 海士町では海鮮物を新鮮なまま冷凍する『CAS凍結センター』を2005年に設立し、海士町海産物ブランディングの確立につなげていきました。当時の町長・山内道雄が自らの給料や役場職員の給料を下げ、費用を捻出し、島民に納得してもらったうえで踏み切った事業です。その山内元・町長が『離島百貨店』の会長に就任しています。山内が「全国町村長大会」などの機会をとおし、ほかの離島の首長と会う際に、話題にしてもらうことが多いです。手応えのあった離島には私が足を運んで、じっくりお話しします。

S 最初はどんな反応が多いでしょうか?
青山 自島の名前ではなく、「離島」として一つにまとまることに引っかかりを覚えることがあるみたいですね。それだけ自分の島への愛着が強いんです。もちろんこれは悪いことではなくて、上手に活かしていくべきことです。加えて、いろいろな島の代表と話してみたら、むしろ今の海士町にあるような考え方を持っているほうが少数派なのではと思えてきました。
S 海士町の考え方とは?
青山 行政が率先して島を活性化させる、という考え方です。一方で島への愛着が強いゆえに逆に行政に頼らず、自分たちで何とかしたい、しなければと思う人もいる。私はそこに、海士町でもともと自分も持っていた「原点」を見いだした思いがしました。同時に行政が入ってもやはり人手不足や後継者育成が課題として残る海士町を振り返り、行政の力の限界と疲弊も感じました。そして、これから課題解決のための新しい風を入れるとなったときにどちらの姿勢でいるべきかを考えたら、それは前者だろうと思ったんです。視察でいろんな島を回ったこの1年で、私の価値観も大きく変わりました。自分の島が好きで、自分たちでどうにかしたいという気持ちを、『離島百貨店』に加盟する意味合いにつなげて考えられるような成果を出していきたいですね。

S 『離島百貨店』は離島キッチンの進化形とのことですが、『離島百貨店』ならではの特徴は何でしょうか。
青山 「離島に興味のある人」から見れば「百貨店」、離島から見れば「地域商社」のような場所であることです。離島キッチンは食文化を軸にした発信でしたが、さらに幅広く、旅すること、働くこと、住むことなどの情報も発信しています。「建物」のイメージでたとえると、地下階では離島のおいしいものが食べられ、1階には観光向けのカウンターがある、2階では物件や仕事の情報が見つかるというような、暮らしが丸ごとわかる場所を目指しています。

暮らしをそのまま伝えることが、島への興味になる。
S たしかに、まさに百貨店ですね。
青山 島の魅力がいちばん伝わるのは、「島の暮らし」そのものを見せることではないかと思っているからです。
S 「島の暮らし」の魅力とは?
青山 便利ではないこと、都会のようないろんなものが「ない」ことです。都会であればごく普通に与えられるものが、島では当たり前ではありません。遊ぶにしても、お金を払ったら誰かや何かが楽しい思いをさせてくれるわけではない。せいぜい「釣り竿を買えば魚釣りができるようになります」というぐらいですね(笑)。島で「楽しいこと」をしたかったら、頭をひねって自分でつくらないといけない。それがいいんですよ。「ないものをつくる」ってどこまでも自由だし、「楽しいこと」を考えること自体がすでに「楽しい」んです。
仕事や生活も同じで、都会のように便利ではないからこそ、自発的に考えればいくらでも「楽しい」を生み出せるし、それぞれの「楽しい」をつなげていける。ほかの人の「楽しい」と掛け合わせることもできる。イノベーションの時代というのは、まさしく離島の価値が伝わる時代なんです。
S なるほど。意義がよく理解できました。
青山 さらに一歩踏み込んで、「島に行ってみたい」という人に対しても、できれば数日の観光で終わらず、暮らしを見て、体験してほしい。そういう点でワーキングホリデーがもっと広がってほしいですし、海士町では「しごと体験」をコーディネイトする「ローカルコーディネイター」を観光協会所属で置いています。そこから島暮らしの魅力を知り、移住につながった例も多くあります。
S 2019年11月下旬に都内で行われた、『離島百貨店』主催の「離島×旅×複業」をテーマにしたシンポジウムは大盛況でしたね。若者が多かったのが印象的でした。

青山 新潟県の粟島浦村や鹿児島県の三島村の村長が各々の島のよさを語ってくれたり、提携する人材派遣業の『パソナ』グループや、大手旅行代理店『JTB』担当者などが「旅するように働くこと」を切り口にしたモデル事業のプレゼンを行ってくれたのですが、都会の人々が「働く」や「住む」のあり方を変えたいと思っているであろうことを、これまで以上に実感しました。既存の働き方、暮らし方に閉塞感があるのかもしれません。であれば、今後は多拠点居住を視野に入れる人も増えるでしょうから、離島の空き家をシェアハウスなどにして管理や発信ができる不動産業者とも力を合わせていきたいです。
現在、日本が抱える問題は、「都会」と「田舎」に分けられがちですが、視点を変えることでひとつの流れになります。『離島百貨店』ならではの連携の力でそれぞれの課題をつなげることが、離島の問題解決にもなるはずです。