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仕事・働き方

連載 | デジタル地方創生記 くじラボ!

100年企業の挑戦 昭和製作所 兵庫県神戸市長田区

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くじらキャピタル代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。

今回は、昨年創業100年を迎えた神戸市長田区の株式会社昭和製作所様を訪ね、4代目の奥野成雄代表取締役と、ご子息で5代目の奥野雄大取締役にお話を伺いました。自動車や船舶、産業用機械など日本の主力産業を縁の下で支える長寿企業は、商機を求めてインドネシアに進出。新たな取引先を開拓し、デジタル化にも積極的に取り組んでいました。

目次

「モデル作り」のエキスパート

竹内 最初に、昭和製作所の事業内容を教えて頂けますでしょうか?

奥野成雄社長(以下、奥野社長) 我々は主に鋳造用の木型(きがた)を製造しています。鋳造用の木型ってどんなものかイメージが湧きますか?

竹内 鋳物(いもの)を作るための最初の型ですよね。

奥野社長 そうです。鋳造という造形方法では、最終的な製品形状をかたどった木型が必要とされます。木型をガチガチに固まる特殊な砂に埋め、固まった砂から木型を抜くと、その抜いたところに空洞ができます。その空洞に溶けた金属を流し込むと、木型と同じ形状の金属製品が出来上がるという仕組みです。量産が必要な製品の場合は、木型は製造数量分、何回も利用されます。木型の形状が、鋳造によって製造されるモノのオリジナル形状となるため、木型の品質が最終製品の品質を左右します。

木型を使用して製品形状がかたどられる鋳造の工程
木型を使用して製品形状がかたどられる鋳造の工程

我々は1919年に創業し、昨年(2019年)で創業100周年を迎えたのですが、創業から70-80年は主に船舶向けエンジンや発電所向けポンプの鋳造用木型を作ってきました。

これらのお客様とは今ももちろんお取引をさせていただいているのですが、昔に比べると案件数は減っています。発電所向けポンプに関しては東日本大震災以来、ガクッと需要が減りました。船舶関連の案件に関しても、神戸は歴史的に造船の街として栄えてきましたが、今は造船メーカーでの開発が昔よりも減っていることもあり、過去に製造した木型のメンテナンスが主な取引となっています。

代わって、今メインの仕事として、売上の多くを占めるようになったのが自動車用シートモデルの製造です。「モデル」というのは、木型の別称で、自動車用シート業界ではこちらの呼び方を使っています。皆さんが普段乗っている自動車のシートの中身は「発泡ウレタン」という、スポンジのような素材で作られています。当社ではその発泡ウレタンを成形する金型を作るためのモデルを製造しています。

自動車用シートの発泡ウレタン製品の形状は、車種毎に異なります。また、前部座席なのか、後部座席なのかなど、車内での設置位置における機能を考慮したデザインが必要になります。金型での発泡ウレタンの成形は、鯛焼き屋さんが鯛の形をした型を使っているのをイメージすると分かりやすいかもしれませんね。自動車シート用の金型に発泡ウレタンの原液を流し込んで蓋を閉め、熱を加えると製品が出来上がります。この製品に布や人工皮革を被せると皆さんが座る自動車用シートになります。

また、発泡ウレタンという素材は柔らかいので正しい形状で量産製造できているかどうかの検査が非常に難しいんです。そのため専用の検査治具を当社で製造し、お客様に納めています。モデル製造から、検査治具製造を含めた、自動車用シートに関連する製品の製造ノウハウは我々の競争力の一つです。

自動車シートに使われる発泡ウレタン製品の試作
自動車シートに使われる発泡ウレタン製品の試作

竹内 検査用の治具まで自ら作られているのですね。

奥野社長 はい。また、新規でシートモデルを製造する仕事に加えて、改造や微調整の対応も承ります。お客様がシートデザインを検討、検証される際に、既にあるモデルや、成形した発泡ウレタン製品そのものに追加工を施し、デザイナーさんの意見を製品形状に反映していくことも当社の得意とする技術です。

例えば、シートデザインをマイナーチェンジ、フルモデルチェンジする時も、ゼロから新しいモデルや金型を作ると時間や費用がかさむので従前のデザインを一部流用することがあります。その際は、既存の発泡ウレタン製品を持ってきて「ここをちょっと盛ってくれないか」「ここはもっと削って」という様なやり取りを経て、出来上がった試作品にカバーをかけて乗り心地がオーケーなら「じゃあ次の開発ではこの方向性でいきましょう」という風に進めていきます。

竹内 なるほど。お客様の試作工程を一緒に進めていく。御社の業態を分かりやすく言うと、「金型屋さん」ではなく「モデル屋さん」という方が正しいのですね。

奥野社長 そうです。

奥野雄大さん(5代目。以下、雄大取締役) この業界では「木型」という言葉をあちこちで使っていますが、実際には木型製造にはもはや木材はほとんど使われておらず、多くはケミカル素材を使用しているのですが、言葉だけが今も残り、使われています。

竹内 自動車も非常に競争の激しい業界ですが、自動車シートのモデル製造をする時に大事なこと、競合上のポイントになるところはどの辺りなのでしょうか?

奥野社長 もちろん精度を確保した上でという前提ですが、今はスピードだと思います。30年前はシートモデル作りのお仕事を頂いたら1ヶ月程度の時間をいただけました。今は同じものを1週間で製造するよう要望されます。1つ1つ手で作っていた昔と違い、今は3DのCADデータが送られて来て、夜中も機械で加工を進めることができるようになっていますし、昔よりもスピードが求められています。

3DのCADデータによって24時間の機械加工が可能となっている
3DのCADデータによって24時間の機械加工が可能となっている

自動車開発の工程の中で、シートの開発は結構後ろの方になるんです。シートに合わせてボディを設計する訳ではなく、ボディの設計があって、そこに合ったシートをデザインするという順序になるため、どうしても着手が開発工程の後半になってきます。例えば、蓄電池を置くスペースをこれだけ確保しないといけない等の仕様要求は開発の最後の方にならないと決まらない時もある。そうなると、自動車シート開発にあてられる時間が少なくなってきます。

雄大取締役 後工程(あとこうてい)になる分だけしわ寄せが来やすいので、必然的に当社での製造にはスピードが求められてきます。そういう工程でお仕事をさせていただいているからこその辛さもありますけれども、それが我々の競争力にもなっています。

竹内 後工程へのしわ寄せ・・・。システム・インテグレーションの会社を以前経営していた者として、身につまされる話ですね。スピードが求められる中、神戸や大阪に取引先がいるのであれば、同エリアにあたる神戸・長田に工場を持ち続けるメリットがありそうですね。

インドネシア進出を牽引した若き5代目

竹内 そんな中で御社は数年前、インドネシアに進出されたと聞いています。

奥野社長 インドネシアに進出したのは2014年です。実は2009年、2010年位から、付き合いのある金型屋さんに「これからは海外だよ」と言われていました。その時はこの人何を言っているのだろう、という感じでしたが、とりあえず一緒に海外視察に行ってみました。視察では、インドネシアだけでなく、タイやベトナムにも行ったのですが、しばらくすると、その方から電話がかかってきて「うちはインドネシアに決めたよ、昭和製作所さんも早くおいで」と。

当時は今よりも社員が少なかったですし、私が主力となって工場をまわしていたので日本を離れる訳にも行かず、結局インドネシアに進出できたのは誘ってくれた金型屋さんに遅れること1年後のことでした。

雄大取締役 私が東京のデジタルマーケティングの会社を辞めて神戸の実家に戻ったのが2014年9月でした。インドネシアに現地法人を作るという話は、前職在職中の2014年春頃に聞きました。

話を聞いたタイミングは、インドネシア現地でローカルのスタッフを雇わないと会社を設立できないので、1人マネージャークラスのスタッフを雇おうと計画していたところでした。社長から、「応募者から英文で履歴書が集まっているが、言葉が分からないので訳してくれないか」と依頼され、「いやいや、履歴書くらい自分で読めなくてどうするの?これからどうやってコミュニケーションを取るつもりなの?」とすごく心配になりました。自分も語学が堪能なわけではないのですが、社長のインドネシア進出を息子として不安に思う気持ちが湧いたのも事実です。

奥野成雄代表取締役(写真左)と5代目を担う奥野雄大取締役(写真右)
奥野成雄代表取締役(写真左)と5代目を担う奥野雄大取締役(写真右)

私は幼い頃からで手先が器用ではなく、それは自分でも分かっていました。また、モノ作りにものすごく惹かれていた訳でもなかったし、会社を継ぐつもりもなかったんです。ただ、大学卒業後、東京の会社に就職して、30歳を目前にして漠然と「次は東京以外の場所で働きたい」と思っていたタイミングで、社長からインドネシア進出の話を聞きました。これがきっかけとなり、自分に何か手伝えることがあればとお願いし入社させてもらいました。

もしインドネシア進出の話がなければ、自分は戻って来ていなかったかもしれません。

奥野社長 インドネシア進出当初の目論見としては、日本で取引のある自動車シート関連のお客様2社がインドネシアに拠点を構えており、顧客が2社いれば何とかなるかなと考えました。また実際に自分が視察に行って、現地のモデルメーカーが作ったというモデルを見てみると、ボロボロ。「これで納入価格はいくら?」と聞くと、もちろん日本よりは多少安いものの、大きくは変わらない。競合となる日系メーカーもないことも踏まえると、これなら戦っていけるのでは、と。

加えてインドネシアという国は、行けば行くほど可能性を感じる国でした。若い人口も増えており、商流に関するしがらみもないので日本ではできないことができるなと思って最終決断し、雄大と久保というスタッフを現地に駐在させる体制で、現地法人を立ち上げました。

雄大取締役 2014年9月、入社と同時にインドネシアに飛びました。最初はローカルスタッフを3人雇い、工場を借りてセッティングして、試行錯誤しながら操業してきました。人員的には、2015年からも年に1人のペースで従業員を増やしていき、今は8人のローカルスタッフがいます。

インドネシア進出によって新規顧客開拓も進む
インドネシア進出によって新規顧客開拓も進む

奥野社長 現地法人に駐在しているもう1人の久保はどちらかと言うと技術面、工場内での製造を管理し、雄大が主に現地での営業を担当しています。インドネシア進出後は、とあるご縁で日系大手自動車メーカー様と直接取引をさせて頂くなど、自動車シート以外での新規顧客開拓も進めています。

竹内 現地スタッフの技術水準はどうでしょうか?

雄大取締役 技術の覚えは非常に早いと思います。最初は技術指導のために日本から先輩社員に渡航してもらい、基礎的な技術を教えましたが、その後はそれを踏まえた上で自分たちなりのやり方を編み出していきました。まだ所得水準も低くハングリーな分、日本人より向上意欲が強い人も多いかもしれません。

また、日本だと資材や工具に恵まれすぎていて、足りなければすぐに買いに行こうとなるのですが、インドネシアでは簡単に買えないですし、あっても質が低いことも多いので、常に創意工夫が必要になります。

奥野社長 自分も日本のスタッフに「ちょっとはインドネシアを見習え」と言うこともあります。

雄大取締役 当社は、国内では自動車や船舶、発電所向けポンプ、航空業界などに対しての仕事がありますが、インドネシアでは今のところ自動車向けが9割なので、業績がインドネシアの自動車産業の商況に大きく左右されます。特に当社のビジネスで言うと、自動車の開発/設計がインドネシア国内で立ち上がらないと仕事に繋がってこないのですが、幸いにも2020年以降は徐々にインドネシア側での開発も多くなっていきそうなので、それを確実に捕まえていくのが大事だと思っています。

デジタル対応は、世代交代や海外進出がチャンス

竹内 順番が前後しますが、御社の創業から現在までの経緯と、その中でのデジタル対応の推移を簡単に教えて下さい。

奥野社長 自分の祖父、雄大の曽祖父にあたる創業者の奥野福三郎は、元々三菱重工に勤めており、その後ここ神戸・長田の地で独立して船舶向けエンジン木型の仕事を始めたと聞いています。

創業してから、何度か工場を移転し拡張してきたようですが、第二次世界大戦中の神戸大空襲で工場が焼失してしまいました。戦後、今のこの場所で工場を再興し、それ以降はずっとここで営業をしています。創業者・福三郎の長男 義一が2代目を継ぎ、福三郎の三男で私の父である清路が1989年に3代目社長に就任。その頃にCADシステムを入れました。

昨年創業100年を迎えた株式会社昭和製作所の歴史を刻む写真の数々
昨年創業100年を迎えた株式会社昭和製作所の歴史を刻む写真の数々

雄大取締役 昨年、創業100周年ということで、社史をまとめました。創業した1919年は第一次世界大戦の終戦の翌年で、神戸には三菱や川崎の造船所があり、様々な船舶関連の企業が設立されていた時勢でもあったようなので、このタイミングで当社が創業された経緯が非常に気になりますが、残念ながら詳細な資料は残っていません。

竹内 丁度シベリア出兵の時期で、船舶需要が旺盛だったのかも知れませんね。

奥野社長 1995年の阪神大震災の後にはCADに加え、NC工作機械も導入しました。導入の目的は、自動車用シートの案件獲得のためです。この頃のCAD ・NC工作機械の導入は、木型業界としては早かったのですが、自動車用シートの業界ではやや後発でした。巨額の設備投資を伴うため周囲からの批判もありましたが、今後、自動車用シートの仕事を受注するのであれば導入せざるを得ない、導入しないのであれば仕事を諦めるしかない、という覚悟でした。

竹内 自動車製造のサプライチェーンに組み込んでもらうためには、対応が必須だったのですね。

奥野社長 導入後、3代目社長だった父からは「CADやNC工作機が来たらすぐに製造できんねやろ?何でも作れるんやろ?」と言われ閉口しましたが、そんなに簡単なものではなく、実際にお客様に納品できるようになるには半年以上かかりました。

ただ、あの時、思い切って機械を入れていなかったら、今この会社はないと思います。船舶向けや発電所向けの仕事が細っている中でも会社が存続しているのは、あの時機械を入れて自動車向けの仕事を太くしていったからです。

雄大取締役 デジタルの取り組みについては、長く続いている企業でベテラン社員が多い程、導入の障壁は高いと思うんです。その中で、当社は丁度若い世代に移り変わるタイミングであり、またインドネシアの事業をゼロから立ち上げるという契機もあったので、比較的柔軟にトライできている部分があると思います。

例をあげると、インドネシア法人では、メールやファイル管理はG Suiteに集約していますし、会計周りのツールもクラウド化しています。2020年からは勤怠や人事労務管理に関してもクラウドサービスに移行予定です。さらには社内コミュニケーションに関しても、Slackなどを利用して改善を図りたいと思っています。小規模の製造業者ではありますが、海外にも拠点がある当社は、デジタルとの親和性は非常に高いと感じています。

一方で、入社して5年やってきた中で言うと、直接製造に関わる部分や品質に関わる部分については、なかなかデジタル化が難しいのも事実です。例えば、図面と製品現物を照合する時、PCの画面やタブレットで表示された図面だと非常にやりにくく、ミスが発生しやすい。ペンタブレットを使っても、チェックやメモの作業性では紙に劣ります。

製品やサービスの品質を下げずにどう効率化していくのか。色々なチャレンジを通じてうちなりの最適解を見つけるのが当社にとってのデジタルとの付き合い方になるのかな、と思っています。

次の100年に向けて

竹内 最後に今後の課題や展望、目標をお聞かせ下さい。

奥野社長 日本でも、インドネシアでも、常にお客様から新しいことを要求されます。それをいかにクリアしていくかがこれからの課題です。今までやったことのないことに挑戦することも、既存の技術をさらに洗練させ高精度化していくことも共に重要だと思っています。

次の100年に向けたビジョンをお話する奥野成雄代表取締役
次の100年に向けたビジョンをお話する奥野成雄代表取締役

雄大取締役 当社内でも、この20年程でNC工作機での加工が製造の中心になり、手で作ることの比率が下がってきました。これまで蓄積されてきた、従来の「手の技術」に求められる役割は変わりました。
今後、機械化はますます進んでいくでしょうし、機械が行う業務は広がっていくと思われますが、時代に合わせた形で「手の技術」の必要性は存在し続けると思っています。大きく時代が変わっていく中で、継承というマインドではなく、新しく技術を作っていくマインドを持って、移り変わるお客様の要望に応え続けていかなければならないでしょうね。

例えば、3Dプリンティングの技術は、造形精度や造形可能サイズ、製造できる素材の面でまだまだで、現時点では当社の製造に使用される頻度は高くありません。ただ、これから技術が進化していき、どんどんと出来ることが増えていったときに、その技術とどう向き合うか。我々のスタンスとしては、お客様の要望に対して、最適な製造アプローチを取れるよう、準備する必要があると思います。

奥野社長 今、当社がインドネシアで作っている製品は、直接ではないのですが、輸出されてタイ、パキスタン、マレーシア、フィリピンなどに輸出されていたりもします。世界というと広すぎるかも知れませんが、少しずつ海外での展開拡大も見据えていきたいです。

また「下町ロケット」ではないですが、周囲には「いつかロケットを飛ばすぞ!」と言っていますので、世界を見ながら宇宙に飛び立ちたいというのが、大きすぎるかも知れませんが、今の自分の夢ですね。

雄大取締役 自分の夢は少し観点が違っていて、今はお客様からいただいた図面をベースにモノを作っていますが、いつかその「モト」のデザインを担う仕事、ゼロからモノを作り出す仕事をしたいと思っています。前職のデジタルマーケティング会社でもクリエイティブに関わるのが好きでしたし、今は工業デザインに関わる仕事をさせてもらっているので、これまでの経験を活かして新しいことを生み出したいという思いがあります。

世界にあるクリエイティブ・ブティックのような機能を持てたらいいですね。当社が得意とする製造の技術を活かして、模型や試作品を実際に作った上でコンセプト提案ができるようになりたいです。

竹内 工業製品のプロトタイピングですね。素晴らしいと思います。本日は長い時間、ありがとうございました!

昭和製作所と竹内真二

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