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海辺に暮らしの種をまく〜釣りガール大学院生が考える“海と地方の幸せ”〜

松村瑠璃佳

松村瑠璃佳

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今回より、連載を担当させていただくことになりました松村瑠璃佳(まつむらるりか)です。初めての記事をご覧になる方もいらっしゃるかと思いますが、「松村瑠璃佳って何者なの?」と疑問に思われている方も多いと思います。

そこで、今回の第一回では、ソトコト編集長の指出さんと同じく「釣り好きな」私の生い立ちや「消滅可能性自治体」とも呼ばれている私の地元について、藻場の再生や地方に関する研究を行っている大学院での研究についてご紹介していきたいと思います。

目次

実家は魚屋、趣味は釣り。生まれた頃から海は「私の日常の一部

三重県鳥羽市の、小さな海沿いの町で育ちました。

ここでは、文化や暮らし、観光や漁業が生活と地続きで存在していて、どこか日常の中に自然と産業が溶け込んでいます。かつては、魚が水揚げされると町内放送が流れ、「おおしきであがった〜ピンピンの〜」というアナウンスが、風に乗って響いてきました。私たちは校庭でそのフレーズを復唱して、町の人たちは「ああ、魚が揚がったな」とすぐに分かる。そんな風景が日常にありました。今ではその放送もなくなってしまいましたが、あのメロディは今でも耳に残っています。

私の幼少期はゲームもスマートフォンも、今ほどは普及していなかった時代。まだ「学校用連絡網」がギリギリ使われていた頃です。夏は海で泳ぎ、放課後は近所の神社や市場に集まって遊んだり、貝や海藻を拾っては観察して過ごす毎日でした。自然は遊び場であり、学びの場でもあった幼少期。小さな発見の積み重ねが私の好奇心を育ててくれたように思います。

実家は魚屋です。大学も地元から通い、家業を手伝いながら過ごしました。生まれてからずっとこの町に住んでいて、「地元が好き」という気持ちは、歳を重ねるほどに強くなっている気がします。大学で、地元の方言について研究をしたこともまた地元にぐっと近づいた時間だったと思います。

そんな私にとって、少し意外だったのが「釣り」との出会いです。4年前、父に誘われてなんとなく行ってみた釣り。それまで全く興味がなかったのに、自分の手で魚を釣ったときの感覚が忘れられず、「どうして釣れたんだろう?」という疑問がどんどん膨らんでいきました。それがきっかけとなり、一気に釣りの世界に引き込まれました。それ以来、気になった釣りは何でも試してみるようになりました。

いま特に夢中なのは、「アジング」。アジをルアーで狙う釣りです。繊細なあたりをとらえる感覚、釣れた時の手ごたえ、海の読み合い──奥深さが尽きません。釣りを続けるうちに、季節の変化や潮の流れ、魚が暮らす環境に自然と敏感になっていく自分がいました。

釣りをして、魚貝を売る。暮らしの中で自然と向き合う時間が増えたことで、「この海、これからどうなるんだろう」と思うようにもなりました。

そんな日々のことを、Instagram(@ruri.maru_ajing.gogo)でゆるやかに発信しています。釣果や景色、そのときどきの気づきを、私なりの言葉で記録しています。

私の地元は「消滅可能性自治体」

 三重県鳥羽市の中に、人口が200人に満たない小さな町があります。この町こそ、私が暮らしを営んできた地元です。今では高齢化率が50%を超え、「消滅可能性自治体」にも含まれています。

 ここで暮らしてきた私にとって、子どもの頃の当たり前は少し変わっていたのかもしれません。通っていた小学校は、周囲5つの地区の子どもが集まる場所でしたが、同級生はたった11人。同じ町に住む同い年の子は、3人しかいませんでした。それでも、にぎやかさが足りないと思ったことはありません。どの家も知っていて、どの顔も名前で呼べて、理由なんてなくても話しかけることができる。その関係の濃さが、私の「暮らし」の原風景です。

この地域では、昔から漁業や観光業が営まれてきました。魚の卸や小売、建設業や観光業など、地域の産業は多様です。以前は、港に魚があがると「おおしきであがった〜ピンピンの〜」という放送が町中に流れてきました。もう聞かれなくなったそのアナウンスも、今も多くの人の記憶の中で響いているのではないかと思います。

自然との距離が近いことも、この場所の大きな特徴です。たとえば、風が吹いたときや雨が降るとき、私たちは「風があたる」「雨があたる」と言います。漁業や林業など自然が相手の仕事が多く根付いており、海、風、空、季節の変化が日々の生活に直結している土地ならではの表現なのではないかと思います。

こんなに素敵な街ですが、もちろん、課題も多くあります。人口は減り続け、地域を支える人の数も少なくなっています。それでも、畑には野菜が育ち、港からは船が出て、祭りには誰かが灯りをともす。小さな営みが積み重なり、まだ確かに暮らしが続いています。

観光地として知られる鳥羽市の中でも、注目されることの少ないこの集落。でも、私はここで生きているからこそ見える風景があると思っています。消えていくのではなく、変わりながら残っていく未来を、この場所でつくっていきたい。そんな思いで、今日もこの町で暮らしています。

釣りから興味を持った、“海のゆりかご”「藻場(もば)」の再生の研究

いまは、地域社会や自然環境の再生をテーマにした研究を進めながら、もちろん釣りも行っています。むしろ、釣りが研究の一部になっているような感覚さえあります。

とくに関心があるのは、「藻場(もば)」と呼ばれる場所の再生です。藻場は、魚たちの産卵や生育の場になる、いわば海のゆりかごのような存在。アジが育つのも、こうした環境があるからこそ。釣りを通して感じた「海の変化」、魚屋として見てきた「資源の減少」。どちらの視点も、机上の研究にリアリティを与えてくれています。

もうひとつ取り組んでいるのは、「地元という選択肢」に関する研究です。子どもたちが地域をどう見ているのか、どうすればこの場所が“残りたい”と思える場所になるのか──。フィールドワークを通して、地方の抱える課題や秘めている可能性に向き合っています。

自然の豊かさに胸をときめかせていた小学生の頃の自分。

田舎であることに少し複雑な思いを抱えていた中学生の自分。

地元の記憶を見つけ、地元の良さに趣味を通して気づけた大学生の自分。

それらの点が、いま、研究というかたちで少しずつつながり始めている気がしています。

「自然との距離が近い暮らし」の中で育ち、文化や産業、環境、そして言葉を通して地元とつながってきた。

これからも、海や地域の声に耳をすませながら、学んだことを行動に変えて、誰かに届けていけたらと思っています。

「消滅可能性自治体」を「復活可能性自治体」へ

これからも、まず第一にやっていきたいことは、やっぱり釣りです。

気になる釣りがあれば、とことんやってみる。フィールドに立って、海と対話する。その時間は、私にとっていちばん大事なものです。釣りの楽しさは奥深くて、誰かと分かち合うことでまた新しい見方が生まれる。

「まあ、やってみるか。」と思って始めたことが、いつの間にか人生の軸になっていた──。そんな経験を持つ人と出会いたいし、これからもそんな仲間を見つけていきたいと思っています。何より、楽しむことを忘れずに。

そして研究では、「消滅可能性自治体」という言葉に縛られすぎず、この場所が持っている新しい可能性を掘り出していきたいです。

ラベルひとつで地域が語られてしまうのは、もったいない。光も影もあるけれど、それでも確かに“変わらない温度”がここにはあって、新しい光だって、ちゃんとある。

それをただ「知る」のではなく、自分で感じ取りながら、地域の中で一緒につくっていけたらと思っています。

「サステナビリティ」って、結局なんなんだろう。

「豊かさ」って、どこにあるんだろう。

問いの答えはひとつじゃないから、探し続けようと思います。

海に森を、暮らしに海を。それがわたしの目指す景色です。

撮影:ざっこClub

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