今から1300年以上前、奈良時代に泰澄大師というお坊さんによって開かれ、日本の山岳信仰のひとつとして崇められている白山。信仰の拠点となった白山中居神社がある石徹白地区は、信仰として山に登る登拝の道として平安時代につくられた美濃禅定道の途中にある。かつて石徹白は神社に仕え、お守りした社家社人の人々が暮らす村だったのだそう。
石徹白の人たちが白山に登拝し、下山後に山で見たもの感じたこと、山の様子を歌や踊りで伝えていた時代があったという。それが石徹白の民謡、そして盆踊りの源流だと言われている。また、神に仕える者として禅定道を守ることは大切な務めであるとともに誇りでもあった。野宿をしながら何日もかけて道の整備をする「道刈り」が江戸時代には始まっていたようだ。草刈りをして道を整えながら年長者と若者が一緒に作業し、寝食を共にする。その時間の中で白山のこと、石徹白の歴史が口づてに伝えられてきたのだという。そうやって石徹白の人たちは自分のアイデンティティを確立していったのではないかと想像する。道刈りは道の整備だけではなく、伝承の場として大切な役割を果たしていたのだ。頂上では白山の神を崇め、輪になって盆踊りを踊り、下山したら山で見てきたことを歌や踊りで表現していた。歌や踊りがコミュニケーションのひとつとして人々の生活の一部であったことがわかる。道刈りは昭和中期まで続き、今でも毎年「白山清掃登山」という形で石徹白内外のボランティアによって継承されている。

楽しみにしていた石徹白盆踊りの夜。ゆらゆらと揺れる提灯の方へ足を進めると、歌の掛け合いや下駄の音、手拍子が聞こえてくる。歌は録音ではなく、民謡の歌い手の方の生歌。私も途中で何度か輪の中に入って踊ってみる。掛け声に合わせて手拍子を打っているというのに、どこかフワフワぼんやりとしてしまうのはなぜだろう。私はとうとう輪から外れ、ただただその場に立ち尽くしていた。その景色はその場にいた人たちが皆笑顔で、歌い手の声、踊り手の掛け声、そして下駄の音がこだまして、まるで夢の中に迷い込んだかのようだった。
石徹白の暮らしや営み、生業の中で身体の動きとそのまま繋がるように歌や踊りが生まれ、伝わってきたということ。この土地に歌があることが、これほどまでに人の心を結びつけるものなんだと。言葉が口づたいで伝わることの意味、持っている力を体感した夜になった。
帰り道、石徹白民謡保存会の方から「昔は誰が歌い手ということもなく、上手い下手もなく即興で歌を掛け合って踊り、次々と違う人が歌を取り合って踊っていた」という話を聞いた。歌や踊りが一方的なものではなく、誰もが我がごととして自己表現する場だったのではないだろうか。「今は歌える人が減ってしまってできないけれど、いつか昔のようにやりたい」と話す真剣な眼差しが印象的だった。時代が移り変わり形式的なことは変わっていくこともあるけれど、ここで暮らす人たちの精神性は脈々と受け継がれているのだ。
私はそんな土地に移り住み、今こうして暮らしていることがとても嬉しい。来年はあの輪の中で最後まで踊れるよう、日々を積み重ねていこう。