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連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶローカルプレイヤーの働き方とは

震災で痛感したコミュニティの大切さ。 子育てを支えるのは、「できない」を言える場

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NPO法人子育ての輪Leiを立ち上げ、子育てを支える地域コミュニティの運営に精力的に取り組む海野さん。子育ては家族で行うものだと思っていたという海野さんですが、東日本大震災をきっかけに地域コミュニティの重要性に気付きました。海野さんがコミュニティ活動で目指す未来とは?お話を伺いました。

海野 美和
うんの みわ|NPO法人子育ての輪Lei理事長
婚を機に退職し、神奈川県中井町へ転居。2011年、第一子出産直後に起きた東日本大震災での経験から、地域の子育て世帯が繋がれる場「子育ての輪Lei」を発足。2017年にNPO法人化し、防災事業やコミュニティ食堂、コミュニティハウス作りやマーケットなど、笑顔溢れる社会づくりに取り組む。
目次

第三の居場所に救われた中学時代

東京都杉並区に生まれました。10歳上に兄が、3歳下に弟がいます。一人娘なこともあってか、母親にはあまり褒められることがなく、厳しく育てられましたね。

兄弟の後ろに隠れている引っ込み思案な子どもでしたが、小学校に上がったあとはヤンチャなタイプに変わりました。男兄弟しかいなかったため、女の子らしくいるのが嫌で、スカートは履かず男の子のように振舞っていました。6年生では応援団長を担い、どちらかというと目立つタイプになったんです。

中学に入ってから、標的が移り変わっていくタイプのいじめが起こり、私も被害者になってしまいました。靴を隠されたり、体操服を捨てられたり。でも、本当に耐えられなかったのは、自分が被害者だったときではなく、他の子が被害を受けていたときでした。

やめさせようと加害者に挑んだのですが、先生に呼び出されたのは私。先生はいじめが起きていることに気付いていなかったので、私の行動しか見えていなかったんです。意見を言ったり行動に起こしたりすると叩かれるのだと学び、目立つ行動を控えるようになりました。

親にも先生にも頼れなかった私の救いとなったのは、通っていた地域の児童館でした。職員のほかに、ボランティアでいろいろな大人が集まっていました。そこで、自分の考えや学校での出来事を聞いてもらっていたんです。聞き手が職員ではない大人であることが、絶妙な距離感でしたね。自分をわかってくれる近所のお兄さんがいるようで、居心地がとても良かった。家庭や学校ではない、第三の居場所の大切さを強く感じていました。

子どもたちの思いを伝える側に

児童館の職員になりたいと思い、どうやったらなれるのかと職員の1人に尋ねたところ、保育士資格が必要と教えてもらいました。そのため、高校は保育士資格が取得できる短大の付属女子高校を選びました。女子しかいない環境ということもあってか、一筋縄ではいかない人間関係でした。自分にとっては中学に引き続き安心できる場所ではありませんでした。

私は授業料を自分のアルバイト代でまかなっていたこともあり、学校を休みたくはありませんでした。どうすれば馴染めるのだろうと考えた結果、見た目を派手にしたんです。性格を派手に変えることはできないけれど、見た目なら相手を威嚇するような強い雰囲気に変えられると思って。そうすることで何とか休まずに通学を受け続けられました。

その後、短大に進学。実習で保育士の仕事を経験しました。心底大変な仕事だと感じて、保育士にはなりたくないとすら思いました。でも、子どもたちの笑顔を見ると、全部すっ飛んじゃうんですよね。だから、やっていける自信はこれっぽっちもなかったんですけど、卒業後も資格を活かして働くことを決めました。

最初の勤務地は、狛江市の学童保育でした。親御さんたちは、仕事終わりで本当に疲れてヘロヘロになりながら、子どものお迎えにくるんですよ。親御さんたちの大変さを知って、「せめてお迎えに来たときくらいは愚痴を言って、楽しい気持ちになって帰ってもらいたい。学童保育をほっとできるような場にしたいな」と考えるようになりました。

第三者である学童職員だからこそ、子どもたちが話せる気持ちもあります。そして、日頃から親子双方と関わりのあるからこそ、親御さんに適した伝え方も工夫することができます。子どもたちの思いを親に上手く繋げたときは、「この仕事をやっていて良かったな」と感じましたね。

親のケアを担う場所の必要性

合戦でお揃いのコスプレをするなど、親御さんも私たち職員も本気で頑張るんです。一体感があり、地域コミュニティ全体を大きな家族のように感じていました。先生と親、先生と子どもではなく、大きな家族のなかの1人として関われる。親にとっても子にとっても、こうした関係性を築ける場が必要だと思っていました。

働き始めて気付いたのは、子どもをケアする場やサービスと比べて、親のケアを担う場所は案外ないこと。子育ての多くを担うことの多い親御さんたちのケアは、子どもたちのためにも本当に重要なんです。まず親の心が豊かでないと、子どもに優しく接するのは難しいですから。なのに、現実には親御さんたちのケアは後回しになっているなと感じました。

いつか保育の現場を離れたら、子育てしている親のケアをメインでやっていきたい、と思うようになりました。

“本当に必要な”情報共有を

保育園や児童館など、さまざまな職場を経験し、働き始めて7年後の27歳のとき、結婚して退職しました。結婚を機に、両家の実家のちょうど中間あたりということで、神奈川県中井町に転居しました。何もかも初めての場所で、新しい生活が始まったんです。

ところが、転居して1年足らずだった2011年3月、第一子を産んで1週間が経った頃に、東日本大震災が起こったんです。夫は仕事で連絡を取れず、両家の実家とも行き来ができない状況に陥りました。自治体にも加入していなかったため、本当に誰とも関わりを持てませんでした。

泣き声で迷惑をかけるかもしれないと思うと、生後一週間の赤ちゃんを連れて避難所に行くことにためらいを感じました。そもそも避難所がどこなのかもわからない。我が家には愛犬もいたため、必然的に自宅にこもるしかなかった。テレビを付ければ震災関連の番組だらけ。頻繁に緊急地震速報が流れてくる状況で、不安を煽られてばかりいました。さらに、計画停電のためにミルク用のお湯を沸かすことすらままならない。備蓄品を買い溜めていたわけでもないので、とにかく不安でいっぱいでした。

その中で、「せめて、近くに住んでいる友達と電話で話せたら不安を拭えただろうな」と思ったんです。

その思いから、震災から約1年後、子育て世代から発信する防災活動グループを立ち上げました。それまでも、この辺りでは防災講座が開かれていましたが、年配の男性が主体で、教えてくれる情報と、現役子育て世代が得たい情報とのギャップを感じていました。

そのため、子育て世代が自分事として考えられる防災教育を始めたら役に立つんじゃないかと思ったんです。親御さんたちの手でワークショップをやったり、必要な情報を集めたりする活動を始めました。

子育ては、地域でやらなきゃ

自分がほしい場所を自分で作ってみたら、思いに共感した人たちとの出会いに恵まれました。組織の名前は「子育ての輪 Lei」。Leiは、ハワイで首元からかける花輪のことです。笑顔が花のように繋がったらいいなという想いを込めて名付けました。

防災活動の次に始めたのは、コミュニティ食堂です。震災後の引きこもり経験中に抱いた「友達がいたら不安が軽減できたかもしれない」という思いから、地域の親御さん同士が出会える場所を作りたいと思ったんです。ニュースなどで「子ども食堂」が増えていると見聞きしていたことから、食堂を作ろうと決めました。

当初は子ども食堂にしようと思っていたのですが、活動に協力してくれていたお母さんたちから、「ただご飯を食べられる場所ではなく、自主性を持って活動できる場がほしい」と意見をもらい、コミュニティ食堂というスタイルに決めました。子ども食堂は主に虐待や貧困に苦しむ子どものための場ですが、私たちがスポットを当てたいのはお母さん。親が笑顔になれる場所作り、活動内容にこだわることにしました。

コミュニティ食堂は、集まった人たちで夕飯を作って、一緒に食べる場です。現役子育て世代だけではなく、子育てを終えた先輩ママも参加してくれるようになりました。先輩ママが作ってくれたおいしい手料理をきっかけに、「どうやって作るの?」と会話のきっかけになったり、次の機会に一緒に作ってみたりといった流れが生まれています。世代を問わず、近所の人と関われる場として、定期開催するようになりました。

コミュニティ食堂の活動を始めたのち、3人の子どもを出産しました。そのうち、下の2人は年子だったため、寝かせるために上の子を公園に遊びに連れていけなかったり、子連れで買いものを済ますのが大変だったりと、子育てに行き詰ってしまったんです。

すると、そんな状況を知らせたわけでもないのに、Leiのメンバーから連絡がきました。それも、「大丈夫?」とこちらの状況を聞くのではなくて「今日、手が空いているから上の子を見ていてあげるね」。そんな自発的な関わりに、すごく救われたんです。

Leiに来てくれているお母さんが、「やっぱり子育ては地域でやらないとね」と話していたことを思い出しました。実は、その意味を最初は理解できなかったんです。子育ては家族でするもので、他人の子育てには口出しするものじゃないと思っていたので。でも、4人も子どもがいると、家族だけで抱えるのは無理なんですよね。困ったときに手を差し伸べ合える人が地域にいることの大切さを痛感しました。だからこそ、子育てを助け合える関係性をもっと広げていきたいと思ったんです。

でも、お母さんのなかには「役に立たなきゃ」「何かしなきゃ」と頑張りすぎた結果、限界がきて関わりを断ち切ってしまう方が多くいました。Leiは、肩の力を抜いて助け合える関係性を築くための場所。それでは本末転倒なんです。

お母さんたちって、子育てに自信が持てないというか、自分を追い詰めてしまいがちなんですよね。がんばりすぎてパンクしてしまうのも、自分を認められていないからなのだろうと思います。無理をさせてしまった経験から学び、こちらから積極的に「がんばらないといけない場じゃないんだよ」「細く長く糸を紡いでいってくれたらいいんだよ」というメッセージを発信するようになりました。

ある日、実家の母に、「こんな活動を始めたんだよ」と活動について伝えました。すると母は、「私が子育てをしている時にこういうコミュニティがあったら、あなたをひどい目に合わせずに済んだかもしれない、幸せに子育てができたかもしれない」と泣いてしまったんです。「だから、あなたがそういうコミュニティを作ってくれたことに感謝する」と、言葉をかけてくれました。

子ども時代、母が私に特別厳しかった裏には、母なりのつらさも関係していたのかもしれません。母の言葉を聞いて、子どもを幸せにするには、まず親が満たされ、安心していられることが大切なんだと、あらためて感じましたね。神奈川県は、相模川を越えてしまうと途端に地域コミュニティが激減するんです。そんな地域に住んでいるからこそ、助け合える場をもっと広げたいと考えるようになりました。

「恩送り」が笑顔溢れる社会を作る

今は、神奈川県中井町を中心に、子育ての輪Leiの活動を続けています。2017年に、活動を守るためにNPO法人化しました。真新しい活動を始めると、新しい価値観になじみのない人から心ない声を投げかけられることもあります。お母さんたちがせっかく活き活きと活動していても、その1つの声で委縮して、やりたいことができなくなってしまう。それは嫌だなと思って、組織化しました。上から打たれるのは、トップに立つ私だけでいい。私にしかできない役目だと思っていますね。

活動としては、まずコミュニティ食堂です。食堂は中井町と秦野市の2カ所。それぞれ親子合わせて50人以上集まることもあります。

また、空き家を活用したコミュニティハウス「れいんち」も運営しています。ゴミだらけだった空き家を、みんなで掃除して、改修工事をしたんです。ほかにも、キッチンカーやハンドメイド作家さんを公園に呼ぶマーケットも開催してきました。

今は、新型コロナウイルス感染症の流行を受け、どの活動も今まで通りにはできない状況が続いています。でも、今やれることはやりたい。そこで、フードバンクに声を掛けて寄付を受け、その食べものを地域のお母さんたちに配布する活動を始めたんです。家庭にこもらざるを得なくなっていたお母さんたちには、届けた食べものに対してだけではなく、「やっと人と話せた」とも喜んでもらえました。

同じく、マーケットも今まで通りにはできないため、今は「クイックデリ」とイベント名を変え、テイクアウトメニューを提供してもらう形にしています。子どもがいて買いものに行くのがしんどかったり、1日3食作り続けるのが大変だったりする実体験から発案しました。毎回5店舗くらいのキッチンカーが参加してくださっています。キッチンカーの方にも、イベントが軒並みなくなってしまったなか、「ここが唯一売上を立てられる場所なんです」と喜んでいただけていますね。

お母さんたちには、相談のためではない場所で雑談をするなかで、ぽろっと吐き出せる弱音もあるんです。はっきりとは言っていなくても、声色の変化で「何かあったのかな」とこちらが気付けることもあります。そうしたSOSに気付いたとき、必要に応じて行政サービスや専門家を紹介できるコーディネーターとしての役割も担っていきたいと思っています。

私たちが目指しているのは、笑顔溢れる活動です。大きく言うと、「全世界が笑顔で包まれる活動をし、みんなが笑っていけるような社会」を目指したい。そのために大切にしているのは、「できない」や「困った」を言える関係性作りです。

副理事長は、よくお母さんたちに「自信持ってる?」と尋ねるんです。たいていのお母さんは、「ないです」「不安です」と言うんですよね。そこで副理事長が返すのは、「自信は、自分を信じること。だから、できないときにできないと言うことも、一つの自信なんじゃない?」という言葉なんです。

全部パーフェクトにできる人間なんて、いないんですよ。私も家事も子育てもできないことばかり。できないことは「できない」ってすぐ言っちゃう(笑)。でも、それでいいと思っています。やってもらったときに「ありがとう」と言えて、自分ができるときにできることを返せたらいい。ペイフォワードと呼ばれる恩送りの活動ができれば、いつか社会全体が笑顔溢れるものになる。その一歩として、ひとりで抱え込まない、我慢しない子育てができる場を作り続けていきたいです。

この連載記事は、自分らしく生きたい人へ向けた人生経験のシェアリングサービス「another life.」からのコンテンツ提供でお届けしています。※このインタビューはanother life.にて、2020年8月22日に公開されたものです。
インタビュー:粟村 千愛
ライティング:卯岡 若菜

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