写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。
20歳を過ぎて実家を離れ、いろいろな場所に住んできました。アメリカやドイツなど海外の生活も長くなりました。そしていろんな場所から実家のあるさいたまに帰るたび、やっぱり何もない所だなと思うのです。駅前のうどん屋がなくなり、デパートが新しくなり、新都心ができても、私の実家のまわりはほとんど変わりません。もし、私のドイツ人の友達がさいたまに来たなら、きっと世界の果てにきたような気持ちになるに違いないと思います。
ある時、さいたまで初めて行われる芸術祭のポスターのために写真を撮ることになりました。私の育った場所の写真です。それならば、ぜひさいたまに行ってみたいと思うようなドラマチックな写真を撮らなければと、張り切って撮影を始めました。早朝から夕暮れまで、写真になりそうな場所を必死になって探しました。今まで行ったことのなかったさいたま市の観光名所も隈なく歩きました。けれど何もないのです。人に自慢できるようなものが本当に何もないのです。そして最後には、多分これが、この何もないということが私の育ったさいたま市の姿なのだと思い、子どもの頃に自転車でよく行った、実家の近所のなんでもない川をパチリと撮りました。
2020年にコロナウイルスが広がり始めると、展覧会やイベントが次々と中止や延期となり、今住んでいる沖縄県にいる時間が急に長くなりました。沖縄には海も山もあります。観光客のいない沖縄はどこか清々しく、最初の1年は少し贅沢をしているような気持ちで日々を過ごしていました。今こそ沖縄で作品をつくろうと張り切っていました。
2年目になると、どこにも行けない生活がだんだんと息苦しくなってきました。やっぱりどこかに行きたい。知らないところに行ってみたい。知らないところで知らない人と出会ってみたい。今まで旅したきれいな場所を思い出しては、遠くのことばかり考えていました。
そして3年目、思い出すのはあの何もないさいたまの風景です。気がつくとさいたまのことばかり考えています。今までいろいろな美しい所に行ったのに、結局一番行きたい場所は、何もないさいたまなのです。あの何もないさいたまで夢見た世界のなんと広かったことか。なんとキラキラしていたことか。私の夢見る力は、あの何もないさいたまで鍛えられたに違いありません。何もないということはなんと素晴らしいことなのだろうと思いました。
想像力さえあればどこにだって行けるはず。今あらためて、そんな風に思うのです。