ドイツの中央やや西寄りに位置するカッセルという町で、5年に一度開催される「ドクメンタ15」という芸術祭に参加し、作品としてパフォーマンスを行ってきました。「ドクメンタ」は、アートの方向を決める世界で最も重要な芸術祭ともいわれます。もともとは第二次世界大戦後の1955年にドイツの芸術の復興を目指して開催されたもので、今回で15回目です。
社会の転換点
また、デジタルに代表される技術革新の結果、より多くの人が創作や表現、そして情報を発信することが可能になりました。例えば、これまでは大資本がテレビ局を経営し、映像によって情報を伝える能力を独占していましたが、現在ではインターネットの動画配信サービスを使えば、世界に向けて情報を発信することが可能になり、電通の発表では2019年にはネットの広告費がテレビの広告費を追い抜いています。
「ドクメンタ15」のシンポジウムの中で、チャールズ・エッシュという、アート界で大きな影響力を持つ人が「これまでのアートは5パーセントの人に向けられたものだったが、これからのアートは、より多くの人に向けられたものになるだろう。今回の『ドクメンタ』は、そうした21世紀型の芸術祭として、初めて行われたものだった」と述べました。ただ、そうした文化の移行期には、さまざまなトラブルも引き起こされるものです。「ドクメンタ15」でも数々の疑惑や問題が生じました。そのことについては後に述べさせていただくとして、日本を旅立ち、実際に「ドクメンタ15」の会場のカッセルに着いてみると、そこには牧歌的ともいえるような、リラックスした雰囲気の中でアーティストや観客たちが触れ合う作品が展開されており、驚きを感じました。
絵や彫刻やインスタレーションが並ぶ代わりに、植物が植えられた庭や、レストランやマーケットがあり、そこでは人々がお茶を飲んだり、ベンチに座っておしゃべりをしたりして、ダラダラと過ごしていました。なんだか日本のお祭りの縁日に来ているかのようでした。そこにあるのはリヒターやデュシャンの作品といった西洋的なアートとは明らかに異質な作品群でした。それらを前にしたとき、「アートって、こんなに自由なものだったんだ」と僕はうれしくなりました。
マーケットでは土でつくられた代替通貨が使われていたり、チーズでつくられた貨幣が展示されていたり、ブロックチェーンの技術をもとにしたトークンエコノミーの原点を垣間見るような、あるいはそれを先取りしたような試みが繰り広げられていました。
穴に籠もる
作品の内容は、簡単にいえば庭に穴を掘り、その中に籠もり、3日後に外に出て芸能を行うというものでした。山伏の文化の中では、山に籠もったり、洞窟に籠もったり、籠もることが大切にされます。日本各地に残されている古い習俗の中にも、成人儀礼として小屋に籠もり、その後で祭りを行う場所がいくつも存在します。海外に目を向けてみると、数万年前のフランスのラスコーの洞窟などでは、人々が何らかの儀式を行い、そこで洞窟に壁画が描かれており、それが人類の最も古い芸術活動であるとされます。僕はカッセルの町外れの庭に掘った穴に籠もることで、芸術の原点に触れる実験を行ってみたのでした。
穴に入ってしまうと、当たり前ですが、外でどのようなことが起きているのかわかりません。でも、何だか2日目あたりから外が騒がしくなってきたような気がしていました。実は僕が穴に入った翌日に、僕のパフォーマンスのことが地元の新聞に掲載され、その記事をほかの新聞やネットメディアなどが拡散して、ドイツのみならず、ヨーロッパ中に連日ニュースとして報じられていたのでした。「ドクメンタ15」のプレス対応をする部署にも取材が殺到して、大変なことになっていたと後で聞かされました。でも、穴に入っているときにはそんなことは、まったく思いもよらないことでした。
さかもと・だいざぶろう●山を拠点に執筆や創作を行う。「山形ビエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「リボーンアートフェス」等に参加する。山形県の西川町でショップ『十三時』を運営。著書に『山伏と僕』、『山の神々』等がある。
記事は雑誌ソトコト2023年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。