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場づくり・コミュニティ

誰かの目を通して映し出された世界。

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自分の目で見たものよりも、誰かの目=レンズを通して映し出された世界に圧倒されることのほうが多い。写真であれ、映像であれ、才能とセンスに恵まれた人間の目やセンサーは、凡庸な人間が見過ごしてしまうものをとらえ、表現しているのだから、当然といえば当然かもしれない。

紀行作家として注目される以前、美術鑑定家として成功し、考古学にも足を踏み入れていたブルース・チャトウィン。人類史にも関心のあった彼は、自分の心を動かしたものがどこからきたのか、その来歴を辿ろうと、自らの足で土地を歩き続けた。その延長線上にアボリジニの神話があり、ノマディズム(放浪)があった。

『歩いて見た世界―ブルース・チャトウィンの足跡』は、オーストラリアで出会って以来、チャトウィンの盟友だったヴェルナー・ヘルツォーク監督が、彼の足取りを辿り、その世界観を伝える作品だ。みずから聞き手となり、縁の地で縁の人々と対話するヘルツォークは映像の人であると同時に、卓越した言語能力の持ち主だと痛感する。

神話を心の旅として/土地は歌で覆われている/世界は徒歩で旅する人にその姿を見せる……。

歩くこと、放浪することを巡るふたりのことばは警句や格言に満ちている。
 
チリのラストホープ湾の洞窟。中央オーストラリアの乾いた大地。ボディペイントを施し、女装したウォダベ族の美しい男たちがアヴェ・マリアを歌いながら闊歩する南サハラの砂漠……。
 
風景は、決してただの風景ではなく、人の心の状態や質を表している。ヘルツォークがそう語るように、ふたりの放浪者の目というフィルターを通して現出する荘厳な景色、その力強さに息をのむ。土地に幾重にも折り重なる神話の時間を、その流れを心の目で見て、自身のことばで再生する。チャトウィンはそんな人だったのだろう。

目次

『歩いて見た世界―ブルース・チャトウィンの足跡』

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6月4日(金)より、 岩波ホールにてロードショー。
©️SIDEWAYS FILM
自らの意思と志向のままに歩き続ける者がいる一方、世界には移動を余儀なくされる人たちもいる。
 
故郷とは安全な場所、ずっといてもいい場所。『FLEE フリー』の主人公アミンはそう話す。彼が故郷・カブールを離れたのは、命が危険に晒されていたから。行き先がロシアだったのは、そこしか観光ビザを取れる国がなかったから。映画は1990年代初頭、戦禍のアフガニスタンからコペンハーゲンに逃れたアミンの実体験を元に、戦争が人々をどう翻弄するかを描いている。
 
公権力の腐敗が目に余るロシアから北欧へ。無事、辿り着く保証などないなか、彼らはブローカーに大金をわたす。コンテナ船での密航。国境警備隊による通報、難民センターへの送還。ロシアに戻り、そして再び北欧の国へ。
 
故郷では認められないセクシュアリティの問題も抱え、生きるために逃げ続けるしかなかったアミン。成功した今も、負い目を抱えていた彼は自身の体験を語ることで、ようやく過去と折り合いをつけたのではないか。
 
彼と家族のリスクを避けるため、映画はアニメーションで製作されている。この選択をしたヨナス・ボヘール・ラスムセン監督も、迫害を逃れ、ロシアを離れたユダヤ系移民の出身だという。

『FLEE フリー』

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6月10日( 金)より、新宿バルト9ほかにてロードショー、全国順次公開。
© Final Cut for Real ApS, Sun Creature Studio, Vivement Lundi!, Mostfilm, Mer Film ARTE France, Copenhagen Film Fund, Ryot Films, Vice Studios, VPRO 2021 All rights reserved
text by Kyoko Tsukada

記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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