農業はきつい、汚い、儲からない……とネガティブなイメージがつきまとってきたが、やり方次第でポジティブなものに変わる。代表の村田翔一さんは農業の復興に奔走し、若者を惹き付けている。
従来のイメージを変えたくて、農業の道へ。
再びホームページを見てみると、「地域からお客さんから社員からモテる会社」「農業をカッコよく」「楽しいことを仕掛けていきたい」とこれまでの農業とはひと味違う言葉が並んでいる。そもそも社名が『ロックファーム京都』で唯一無二だ。「もとの屋号の『村岩農園』にちなみ、『岩』のロックと“震撼させる”の意味を込めてこの名前にしました」と農家の4代目で、同社代表の村田翔一さんが説明してくれた。村田さんは元・消防士という異例の肩書で、今から4年前の32歳の時に専業農家へと転身を遂げた。曽祖父が農業を始めて、父が兼業農家として農地を守ってきたが、きつくて稼げない農業を息子には勧めなかったという。「安定した地方公務員の職を手放すことに両親は大反対。当時は子ども2人に妻は3人目を妊娠中でしたが、『やりたいことをやったらいい』と妻は反対しませんでした」と村田さん。
農業の未来に、明確な光が見えた。
さらに、2017年の早々に全国規模の農業従事者が集う「次世代農業サミット」に参加。消防士か農業か、それとも二足のわらじを履くかで迷っていた時、インターネットで辿り着いた農業コンサルタントに自身の悩みを相談すると、先のサミットへの参加を勧めてくれたという。そこでは先進的な取り組みの事例発表やグループ討論などが行われ、村田さんは圧倒されてしまったそうだ。「地元では農業に対してネガティブな話が多かったのに、そこでは経営者として地に足がついている大勢の農家さんと出会って刺激を受けました。農業に明確な光が見えて、自身のやる気に火がつきました」。さらに、お世話になっていた中小企業診断士に「やりたいことを先延ばしにしているほど人生は長くない。憧れの人がいる世界に飛び込んだほうがいい」と言われて決意を固めたのだった。
次々と改革を行い、若者の心をつかむ。
同年4月には、医療機器メーカー、住宅メーカー、配送業に従事して農業経験はなかった3人が入社。40人から選ばれた。「どうやったら人が来てくれるのか、農業求人サイトで応募数が最も多い静岡の農家さんに話を聞きました。従来の農業にとらわれない発想で農業を確立させたい。その思いを明確に伝えるホームページが求人活動に必要だと思いました」と村田さん。東京のデザイナーに依頼して、会社のロゴからこだわってつくった。従来の農業にはない、ワクワクする仕事しかないというイメージを打ち出せば、若い人に興味を持ってもらえるはず。その確信どおり、多くの心をつかむことができたのだった。
しかし、最初は大変だったと当時を振り返る。「全員素人で自分も下積みの経験がなく、販路をつくるために走り回っていた自分は教えられないので、3人に任せることに。作付け計画は自身が行い、おさえるべき項目は伝えるので、分からないことは自分や近隣の農家さんに聞いたり、必要があれば他府県に勉強に行ったりして、とお願いしました」。自分たちしかいないプレッシャーのかかる状況だが、自分たちで考えたことが形になるおもしろさがある。それにこの3人が応えてくれて、最終的に前年比200パーセントの売り上げを達成することができた。
このように次々と行動を起こす村田さんの下には、若者が続々と集まってきている。2021年4月に入社した少路和宏さんもその一人で、前職はアパレル業だった。「自分たちで工夫してやる農業にやりがいを感じていて、もっと身近なものにしていきたい」と話してくれた。せっかちな性格だという村田さんとは真逆のタイプで、ていねいに仕事を支えてくれているという。「自分にはスキルがないけれど、すべてにおいて人に助けられてきました。4代目として農業を復興させて、ネガティブなイメージを覆していきたいです」。村田さんのチャレンジは、まだまだ続いていく。