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仕事・働き方

特集 | かっこいい農業 これからの日本らしい農業のあり方 !

「楽しく」「かっこよく」は大前提。『ロックファーム京都』の魅力。

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農業はきつい、汚い、儲からない……とネガティブなイメージがつきまとってきたが、やり方次第でポジティブなものに変わる。代表の村田翔一さんは農業の復興に奔走し、若者を惹き付けている。

目次

従来のイメージを変えたくて、農業の道へ。

ホームページを開くと、目に飛び込んでくるお揃いの黒いTシャツにジーンズ姿の若者たち。長靴を履き、手にはトウモロコシやネギ、スコップなどを持ってポーズを決めている。アーティストの写真のようなこのかっこいいビジュアルは、京都府久世郡久御山町にある『ロックファーム京都』で撮影された。2019年1月に設立されたばかりの農業生産法人だ。京都伝統野菜の「SAMURAI 九条ネギ」の栽培を中心に、白色で糖度18度以上の「京都舞コーン」や独特の香りとホクホクとした食感の黒枝豆「麻ろ美」などを手がけている。

再びホームページを見てみると、「地域からお客さんから社員からモテる会社」「農業をカッコよく」「楽しいことを仕掛けていきたい」とこれまでの農業とはひと味違う言葉が並んでいる。そもそも社名が『ロックファーム京都』で唯一無二だ。「もとの屋号の『村岩農園』にちなみ、『岩』のロックと“震撼させる”の意味を込めてこの名前にしました」と農家の4代目で、同社代表の村田翔一さんが説明してくれた。村田さんは元・消防士という異例の肩書で、今から4年前の32歳の時に専業農家へと転身を遂げた。曽祖父が農業を始めて、父が兼業農家として農地を守ってきたが、きつくて稼げない農業を息子には勧めなかったという。「安定した地方公務員の職を手放すことに両親は大反対。当時は子ども2人に妻は3人目を妊娠中でしたが、『やりたいことをやったらいい』と妻は反対しませんでした」と村田さん。

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村田さんの祖先が守ってきた農地にウッドデッキを設置。畑と青空を独り占めできる贅沢な空間だ。
学校帰りに田んぼを横断して近道をしたり、近くの農家さんへ遊びに行ったりと小さい頃から農業が身近にあった。その後、大学在学中にオーストラリアに1年間留学してサーフィンに夢中になったが、卒業を前にやりたいことが見つからず、消防士を志す友人の影響を受けて自身も同じ道へと進んだ。最初の3年は仕事と遊びに明け暮れるような生活を送っていたが、28歳で結婚したのを機に将来を真剣に考え始めた。消防士の仕事は、1か月のうち10日間の勤務、10日間の待機で残りは休みというサイクルだったため、空いた時間を利用して実家のネギや葉物栽培の手伝いに本腰を入れるようになったという。「種蒔きから人の口に入るまでが仕事の農業に、やりがいやおもしろみを感じるようになりました。自分がやればやるほどカタチになって、それが売り上げに直結する。憧れだった農業が現実味を帯びるようになってきました」。農業の師匠からの教えや、凄腕の農業従事者との出会いを通じて、村田さんは農業への思いを強めていったのだった。
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村田さんは自身のことを“爆裂せっかち”と笑う。

農業の未来に、明確な光が見えた。

実家の2軒隣に暮らす10歳上の村田正己さんは、農業と遊びの師匠。村田さんにいろいろなことを教わったという。「農家としての信頼を得るため、安定供給することの大切さを師匠から学びました。農業に関わり始めた時は出荷するネギを見て『これを出すんか』と笑われましたが、自分の成長とともにかけられる言葉が変わっていったことが、また励みになりました」と当時を振り返る。村田さんは、種蒔きや、ネギをカットして収穫するタイミングをノートに記録。これを積み重ねていって”攻略本“にして、年間の作付け計画を立てて365日供給できる体制を築き上げていった。

さらに、2017年の早々に全国規模の農業従事者が集う「次世代農業サミット」に参加。消防士か農業か、それとも二足のわらじを履くかで迷っていた時、インターネットで辿り着いた農業コンサルタントに自身の悩みを相談すると、先のサミットへの参加を勧めてくれたという。そこでは先進的な取り組みの事例発表やグループ討論などが行われ、村田さんは圧倒されてしまったそうだ。「地元では農業に対してネガティブな話が多かったのに、そこでは経営者として地に足がついている大勢の農家さんと出会って刺激を受けました。農業に明確な光が見えて、自身のやる気に火がつきました」。さらに、お世話になっていた中小企業診断士に「やりたいことを先延ばしにしているほど人生は長くない。憧れの人がいる世界に飛び込んだほうがいい」と言われて決意を固めたのだった。

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生産の主軸である九条ねぎ。

次々と改革を行い、若者の心をつかむ。

村田さんは消防士を辞めて個人農家となり、10人足らずの技能実習生とパートと一緒に4ヘクタールの土地で新しいスタートを切った。しかし、いきなり想定外のことが起きた。夏場に気温40度が数週間続いてネギが枯れ、さらに台風が3度直撃。ネギを出荷できなくなり、信頼を失わないためにもほかから買い付けて納品する羽目に。自分と同じ目線で現場を見てくれる、頼れる仲間が欲しいとの思いを強めた。そして、2019年1月に法人化して『ロックファーム京都』が誕生した。

同年4月には、医療機器メーカー、住宅メーカー、配送業に従事して農業経験はなかった3人が入社。40人から選ばれた。「どうやったら人が来てくれるのか、農業求人サイトで応募数が最も多い静岡の農家さんに話を聞きました。従来の農業にとらわれない発想で農業を確立させたい。その思いを明確に伝えるホームページが求人活動に必要だと思いました」と村田さん。東京のデザイナーに依頼して、会社のロゴからこだわってつくった。従来の農業にはない、ワクワクする仕事しかないというイメージを打ち出せば、若い人に興味を持ってもらえるはず。その確信どおり、多くの心をつかむことができたのだった。

しかし、最初は大変だったと当時を振り返る。「全員素人で自分も下積みの経験がなく、販路をつくるために走り回っていた自分は教えられないので、3人に任せることに。作付け計画は自身が行い、おさえるべき項目は伝えるので、分からないことは自分や近隣の農家さんに聞いたり、必要があれば他府県に勉強に行ったりして、とお願いしました」。自分たちしかいないプレッシャーのかかる状況だが、自分たちで考えたことが形になるおもしろさがある。それにこの3人が応えてくれて、最終的に前年比200パーセントの売り上げを達成することができた。

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ネギの圃場。自然を相手にハードだが達成感があるという。
村田さんのチャレンジは続き、台風被害でネギの出荷が危うくなった経験から、ほかの生産者と一緒に『京葱SAMURAI』を設立。京都府全域で栽培地を確保して、ネギの供給を一年中切らさない体制をつくった。また同時に、さらに次を見据えて、2020年には「京都舞コーン」を、その翌年には黒枝豆「麻ろ美」を手がけてブランド化し、農産物の価値を高めることにも力を注いだ。同じ畑でネギ、コーン、枝豆の順に栽培して連作障害を防止。ネギの残渣を吸ってコーンがおいしくなり、リセットされた土壌で枝豆がよく育った後、根粒菌が残る土壌でネギもよく育つ。そんな好循環も生み出している。

このように次々と行動を起こす村田さんの下には、若者が続々と集まってきている。2021年4月に入社した少路和宏さんもその一人で、前職はアパレル業だった。「自分たちで工夫してやる農業にやりがいを感じていて、もっと身近なものにしていきたい」と話してくれた。せっかちな性格だという村田さんとは真逆のタイプで、ていねいに仕事を支えてくれているという。「自分にはスキルがないけれど、すべてにおいて人に助けられてきました。4代目として農業を復興させて、ネガティブなイメージを覆していきたいです」。村田さんのチャレンジは、まだまだ続いていく。

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村田さん夫妻とスタッフたち。明るく活気のある職場で、若者、女性も多く活躍している。
photographs by Katsu Nagai  text by Mari Kubota
記事は雑誌ソトコト2022年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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