ソーシャルでエシカルな関心をもつ人を惹きつける、街の中に広がる学びの場「ソーシャル系大学」。今回は、近世日本の儒学から発達した「会読」という学習方法について振り返る。門閥制度を維持し、科挙による立身出世の仕組みを持たなかった江戸時代に、人々がなぜ熱心に本を読み、学問に取り組んだのか。明治維新を用意した近世の学びを解説する前田勉の『江戸の読書会』を参考に、学習の系譜をたどる。
現代に求められている学びの方法は、江戸期の青年たちを魅了した“会読”である。
ドイツの政治哲学者ユルゲン・ハーバーマスは『公共性の構造転換』において、一般の人々がどのように公的な事柄に関心を持ち、議論するようになったのかを描いている。18世紀のヨーロッパでは、貴族がゲストを招いて演奏や朗読を楽しんだサロンや、身分を超えて男性たちが集い議論したコーヒーハウスのなかで、文芸作品についての解釈を議論しながら文芸的公共性が形成され、やがて国家と社会を切り結ぶ政治的公共性、市民的公共性へと展開したという。日本では今日まで市民が対等な立場で議論する文化がないと指摘されてきた。だが、明治時代の自由民権運動を振り返ると、討論会や演説会が盛んで、学習結社が各地に誕生し、身分を超えて政治運動が展開された。日本では、どのようにして人々が自由に討議する技術を身につけたのだろうか。
近世日本思想史を研究する前田勉は、儒学の学習方法である「会読」という学習方法に着目する。会読とは、音読する「素読」の段階を終了した上級者が集まる会で、「所定の経典の、所定の章句を中心として、互いに問題を持ち出したり、意見を戦わせたりして、集団研究をする共同学習の方式」である。17〜18世紀初頭に儒学者の伊藤仁斎と荻生徂徠によって取り入れられ、その後、蘭学と国学の普及とともに定着したという。会読にはいくつかのルールがあった。討議の際には、お互い虚心に討論すべきであること、付和雷同したり分かったふりをしないこと、さらに未熟であることを恥じて言葉を出さないことはNGといったルールだ。
前田はこれが、厳しい門閥制度が続く江戸時代にあって、自由で対等な言論空間を実現したと見る。そして、そこでの討議が互いに対等でありながら、より習熟した者を上位とみなす競争でもあったため、一種の競技的な遊びとして成立していたのではないかという。
たしかに、このような自由な言論空間は青年たちを魅了する。会読が行われたのは、主に武士階級の子弟が学問と武芸を身につける教育機関である藩校と、国学と蘭学を志す青年たちによる私塾だった。寺子屋は庶民の読書熱を高めたが、テキストの概念や構造の解釈をめぐって意見を戦わせる会読という手法は、官民を問わず青年たちの高度な学びを支えた。そしてそれは、江戸末期においては決定的に重要だった。オランダ語やその他の言語による天文学・暦学・地理学・化学・兵学といった領域の文献が、各地の私塾で翻訳されたことが、維新後、身分を超えて団結する青年たちを広く巻き込む自由民権運動を可能にしたからである。
しかし、会読という学習方法は明治の学校制度の中には取り入れられなかった。会読はあくまでも学び合いの方法であって、知識を効率よく伝達する教授方法ではなかったためである。その後、学校教育では長く、音読と暗記の素読を第一とする学習方法が是とされた。近世日本から400年。虚心にテキストに向かい合い、立場を超えて議論する学びの方法が、現代ほど求められている時代はない。
参考文献
前田 勉著 『江戸の読書会─会読の思想史』(2018年) 平凡社刊/ユルゲン・ハーバーマス著 細谷貞雄・山田正行訳『公共性の構造転換第2版』(1991年) 未来社刊/鈴木俊幸著『江戸の読書熱─自学する読者と書籍流通』(2007年) 平凡社刊
さかぐち・みどり●明治学院大学社会学部教授。2000年、東京大学大学院博士課程単位取得退学。研究領域は生涯学習論。共著に『ポストリベラリズム』、共訳書にアーリー・ラッセル・ホックシールド『タイム・バインド』など。
写真・文●坂口 緑
記事は雑誌ソトコト2021年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。