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連載 | “大継業時代”の担い手たち|齊藤 隆太

後継者やチャレンジしたい人にポジションをつなぐ渡り鳥のような存在でありたい【粟津佑介×齋藤隆太】

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relay対談企画の記念すべき第一弾は、relay「事業承継ストーリー#38」にご登場いただいた、ムクヤホーム代表取締役の粟津佑介(あわづゆうすけ)さん。今では赤字経営や家業再建に悩む人たちの相談にも乗る承継界のカリスマ、粟津さんと対談をさせていただきました!

目次

父との無言の攻防戦

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齋藤 よろしくおねがいします!youtube見てます!

粟津 ありがとうございます(笑)

齋藤 今日は粟津さんの承継のお話をぜひお伺いしたいなと。元々卒業後すぐに家業を継がれたのではないのですよね。

粟津 はい。大卒で大手のインテリアメーカーの営業を5年やってベンチャー企業に転職しました。主に転職しようと思った理由は2つあって。1つは結婚して子どもができたタイミングだったんです。子ども手当とか手厚くなり給料もあがって条件がよくなるたびに危機感を覚えたんですよね。このままだと自分が絡めとられるような気がして。

齋藤 絡めとられるっていう感覚分かります。僕も大手に就職して5人で創業したので。ちなみにもうひとつの理由は?

粟津 家を継いでほしいと言われないようにするため(笑)

齋藤 笑。その心は?

粟津 それまで1回も言われたことなかったんですけど、25歳になった頃から親父が継いでほしいという空気を出してきたんですね。言われてはいないんですよ。急に「お前明日空いてるか、飯でも食いに行こう」って、多分親父はそういう話をしたいんだろうけど、僕が言わせないように空気を出すんで言えないみたいな。

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齋藤 なるほど。そんな攻防戦が(笑)。

粟津 僕は当時継ぎたくなかったので。どうしたらいいかなと思ったときに、自分で起業しちゃえばいいんだと。意識高くて起業したいとかじゃなくて、単純に自分が社長になっちゃえば、家業を継いでほしいと言われなくなるんじゃないかなと思ったのもあって。

齋藤 どうして継ぎたくなかったんですか?

粟津 祖父からの代から始まったレールの上を走らされるような、他人に生き方を決めてほしくないなという想いが強かったので。

齋藤 なるほど。将来的にも全く継ぐつもりなかったんですか?

粟津 いえ、これは「家業を持ってる人あるある」だと思うんですけど、自営業の家に生まれると「いつかは自分が継ぐだろう」と思い続けてる部分はありますよね。結局就職時にインテリアメーカーを選んだのも、いつか親父と仕事できたらいいなというのは正直あったと思います。

齋藤 いつかはこの時がくるなっていうタイミングを待ったみたいな感じなんですかね。

粟津 そうですね。タイミング。心のどっかではいつか自分がやらなきゃっていうのはあったので。それはそうだと思いますね。

齋藤 ところが、思ったよりも早くそのタイミングがきたと。

新郎のスピーチと喪主のスピーチを同時に考える事態に

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粟津 転職して半年後くらいに母親から「お父さんが体調悪いから病院行ってきてもらえる?」と連絡がありました。父は言葉数も少ないし昭和の頑固おやじって感じなんですけど、その親父が初めて息子の僕に頭を下げて、「もうお前しかいないから継いでくれないか」と。さすがに僕もこれまでの恩も考えると、この約束は無下にできんなということで。「じゃあ継ぐよ」って。

齋藤 やっぱりご家族の、しかもこれまでの頭も下げられたことのなかった親父さんからのお願いというのもあったんでしょうけれども。転職から半年後って、一番仕事も楽しくなってる頃だったんじゃないですか?

粟津 そうなんですよ。むちゃくちゃ楽しくて。たった半年でやめるのは辛かったですね。今でも社長さんとはお付き合いありますし、ここで学んだことは今も役立ってます。

齋藤 すばらしい。ほかに心残りはなかったんですか?

粟津 一個だけお願いしたのが、「家業を継ぐ前にちゃんと結婚式を挙げたいんだ」って。結婚はしてたんですけど式を挙げていなかったので。

齋藤 素敵ですね。

粟津 でも家業に戻った2か月後に父親がすっと亡くなってしまって。引継ぎはほとんどなく家業を継ぐことになってしまいましたね。しかも親父の葬式の1週間後が結婚式だったんですよ。だから当時は新郎のスピーチと喪主のスピーチ同時に考えるっていうわけわかんないことをしてました。

齋藤 すごいなあ。

粟津 なかなかないですよね。

「先に言っておくと多分相続放棄した方がいいよ」

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齋藤 借金があることはお父さんが亡くなってから知ったんですか?

粟津 そうです。親父は家庭にも会社の人にすら現状を話さない人だったので、唯一内情を知っていたのは税理士さんくらいで。父が亡くなってすぐ税理士さんがうちに来て、「これから会社の内情をお話するけど、先に言っておくと多分相続放棄した方がいいよ」って言われたんですよ。僕はもう継ぐと言ってしまっているしやる気まんまんだったんですけど。

齋藤 そこで「借金が1億ある」と知ったんですね。融資とは言え、それを抱えてやってかなきゃならないっていうのも、パワーってどっから出るのかなって。

粟津 1億になると、もうわけわからないですよ。1億返すってなんなんだろうみたいな。逆に言うと、桁が一個変わると思考が停止してたのでよかったなって今なら思いますね。

齋藤 リアリティが逆にないっていう。

粟津 そうそう、3000万円なら諦めてました(笑)。1億は逆の意味で諦めましたよね、考えることを。

齋藤 いきなり大きくなる桁だから、確かにそれはそうだなと思いますね。

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粟津 そもそも僕は相続放棄する気はなかったんですよ。綺麗な理由は正直親父との約束を守りたかったっていうのと、もう一個現実的なのは実家も担保に入ってたので。祖母や母も住んでましたからね。

齋藤 誰かに相談はしたんですか?

粟津 工務店をしている親戚のお兄ちゃんに連絡をしました。「引継ぎもなくて、何からしたらいいか教えて」って言ったら、開口一番「とりあえず請求書は払っとけばつぶれることはないから大丈夫だよ」って言われたんですよ。たった一言そのアドバイス。今思うと笑えますが、そのときの僕はむちゃくちゃ救われましたね。

齋藤 そのアドバイスは響きますね。現場を知ってるからこその凄みすら感じます。

粟津 借金ってみんなマイナスに捉えがちだと思うんですけど、逆に言うと失うものないですからね。0から起業して10積み上げた人は10失うのを恐れるけど、僕マイナススタートだったので。何も持ってなかったからこそ常に謙虚でいられるし、誰にでも学ぶ姿勢を今でも貫けるのっていうのはよかったと思います。

親父をこんなに笑顔にさせるこの仕事ってなんなんだろう

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お客様への引き渡しの写真。上が先代、下が粟津さん
齋藤 ご家族からの影響はありましたか?

粟津 妻は「なんとかなるでしょ、なんともならなかったら、二人でまた頑張ればいいんじゃない?」って言ってくれて。今でも忘れられないですね。なんともならなかったときのことばかり考えてたけど、別に命とられるわけではないし、だったらやろうかなって納得ができました。

齋藤 奥さんも結構腹くくってくれたっていうのがあるんですかね。

粟津 それと、ずっと前に妻の親に「家業を継ぐ気はないのか」って聞かれたことがあって。「今は考えてないです」って言ったら、「この会社で家を建ててもらった人、お世話になってる人がたくさんいると思うんだよね。粟津工務店があることで救われている人たちは絶対にいるから、やっぱりそこは途絶えさせちゃいけないと思う」って言われたんです。それが心にあったのかもしれないですね。これまで関わってくれた人たちの期待やかけてきた時間、想いを僕は裏切っちゃいけないのかなと思いました。

齋藤 素敵ですね。自分の代で終わらせればいいと思っている社長さんは多いですけど、結局、事業は一人じゃ絶対できないですからね。

粟津 もうひとつ、僕は親父が仕事をしている姿をほとんど見たことなかったんですけど、親父が家庭でも見せたことのない笑顔でお客様と笑ってる写真があったんです。最初は作り笑いかなと思ったんですけど、いや多分親父心から笑ってるなと思って。親父をこんなに笑顔にさせるこの仕事ってなんなんだろう、知りたいって思えたのもありましたね。

契約前の5組のうち4組がいなくなった

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齋藤 逆風からのスタートだったと思いますが、実際どうやってやっていったんですか?

粟津 約2年は僕と叔母の2人で色々頑張りながら、自分の力で仕事をとれるようになって、売り上げ的にもだいぶ安定してきて、そこから社員を増やしたり新規事業を作ったりというところまで手が回ってきたっていう状況ですね。

齋藤 すごいですね。「色々頑張りながら」って一言で収まらないくらいなんでしょうけど。

粟津 当時契約前のお客さんが5組いて。「親父が亡くなって、僕が引き継いで今と変わらない体制でやっていきます、安心してください」って言って、4組いなくなりました。そのときはやばいなと思いましたね。それだけ親父の力が大きかったというか、皆さん親父を信じて家づくりを始めようと思ってくれたんだなということがよく分かりました。

齋藤 衝撃的ですね。逆に残った1組ってなんで決めてくれたんですか?

粟津 先代のことを大好きで尊敬していて、うちで建てたいという気持ちを強く持ってくれていました。息子さんがやるのであればそのまま契約で大丈夫ですって、本当の意味でムクヤホームと先代のことも考えたうえで信頼してくれました。僕にとっての初めての現場に近かったです。

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齋藤 何も分からない状態でそういう交渉に臨んでいったってことですもんね。

粟津 そうです、未だに覚えていますね。絶対無理だろって思ってましたよ。当時28歳で、特に建設の知識も経験もないし資格もない。住宅ローンを組んで自分で家を建てたこともないやつから、どうして家を買いたいと思うんだろうって。

齋藤 自分自身でも思ってたと。

粟津 そうですね、こんなやつから誰が買いたいって思うんだろうって最初は思ってました。だから本当に早く年とりたいって思ってました。親父みたいな貫禄や知識があればって。

齋藤 いやでもなんかもう、もう貫禄ありますよ(笑)。その中でまたなんとか踏ん張って大変な時期を乗り越え、売り上げも3倍になったのは、営業力だったんですか。

粟津 いわゆるコミットビジネスですね。例えば大手のハウスメーカーさんに100人以上いる営業マンの1人と社長の僕では「あなたの家を一生守り続けます」の言葉の重みが全く違う。印象的だったのが、あるお客様に契約理由を聞いたら「粟津社長が一番逃げなさそうだと思ったから」って言われたんですよ。創業50年以上続く会社で、しかも事務所の裏が実家なので、もし何かあったらいつでも殴り込みにきてくださいって言うんです。何も隠すことないし、なんなら母親を人質にしてくださいって(笑)。そういう覚悟と責任感はそこらへんの営業マンに負けることはまずないなって思います。

齋藤 腹のくくり方が違う。クロージングがすごいですね。

粟津 家って一生に一度の買い物になるのがほとんどで、そこに何千万とお金をかけるってなった時に、当然慎重になるし信頼できる人に任せたいじゃないですか。どれだけ本気で向き合ってくれるどうか。なのでほとんどの方が僕の姿勢を見てくれたって感じがしますね。

何の経験もなく借金がいっぱいあったことで頑張れた

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齋藤 承継当時と今では当然フェーズも変わってきてると思うんですけど、今会社として目指しているところはありますか?

粟津 僕がいなくても回る組織をつくること、それから多角化経営です。僕だけのコミットビジネスでは限界がくる。最近の契約理由は「粟津社長だから」から「ムクヤホームが、求める家造りにマッチしたから」という風に変わってきた実感はあります。

齋藤 なるほど。ずばり、会社をV字回復できた要因はどう分析していますか?

粟津 1つは皮肉にも親父がいなくなったことです。2つめは僕が何の経験もなく借金がいっぱいあったことですかね。

齋藤 深い…!

粟津 親父が早くに亡くなったことによって苦労もしたんですけど、逆に自分で責任をとるってところがスタートラインだったんで、そういう意味で成長がすごく早かったのかなと。親父の下で働く期間が長かったら親父と同じことしかできなかったと思うし、やっぱり制約や天井みたいなものはあったと思うので。

齋藤 決裁を自分で全部持って、さらに自分で全部責任をとる環境だったから思い切りよくやれたという感じですかね。

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粟津 それと、中立の立場でいるために、あえて専門知識はいれないようにしています。設計士さんが図面を作ってきたときに、お客さん目線でお客さんと一緒にリアクションとるんです。知識って筋肉と同じで、つけすぎても動きにくくなるものだと思ってるので。仕事をし続けていればスポーツと同じである程度の筋肉は勝手に付いちゃいますしね。

齋藤 専門知識はその道のプロに任せるってことですかね。HPからも職人さんへのリスペクトを感じました。

粟津 HPも一新したんですよ。家業を継いである意味守る立場になりましたけど、やっぱり守っていくべきものと自分で崩していくべきもの、新しく生み出していくものも絶対に必要だなって思ってて。僕の代で残ってるものもありますけど7〜8割は変わっちゃったんじゃないですかね。

齋藤 ちなみに、守る部分ってどういうところですか?

粟津 祖父や親父が繋いでいてくれた意思の部分と、既存のお客様ですね。今までうちを信じてくれて頼ってくれた人たちを受け継いだと思っているので。でもそれ以外に関してはここからは僕のストーリーなので。継いだ当初は経営が上手くいくかどうか分からないなかですごく不安だったんですけど、今はそういう不安もなくできてます。

新しい後継者やチャレンジしたい人たちにポジションを渡していきたい

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齋藤 ちなみに…粟津さんはお子さんにムクヤホームを継がせたいですか?

粟津 継いでもらえたら嬉しいですけど、息子が継ぐ前に第三者で血縁者以外の方に社長をやってもらいたいですね。承継してまず「粟津工務店」から「ムクヤホーム」に社名を変えたんです。
粟津工務店を継ぐ人が粟津以外ってなんか変じゃないですか。これは僕なりの意思表示で、誰から見てもムクヤホームの社長やりたいですって言ってもらえるような、魅力的な企業を目指すことが大事だと思っています。僕自身は新しい巣、つまり新規事業を軌道に乗せて、また新しい後継者やチャレンジしたい人たちにポジションを与えていくっていう渡り鳥みたいなことをしたいですね。

齋藤 渡り鳥。いいですね。僕らは地域の「蝶番(ちょうつがい)」のような存在になりたいと思っているので、近しいところがありそうです。粟津さんは跡取りの方たちの相談にも乗ってますよね。

粟津 実際に承継してみて、起業する経営者と家業を継ぐ経営者って、持っておくべきベースみたいなものが圧倒的に違うと思ったです。マインド、決算書の読み解き方、既存社員とのコミュニケーション、業者さんとの関係構築等も含めて、自分自身が継業する前に知っておきたかったことを伝授してます。

齋藤 それはめちゃめちゃ貴重ですね。

僕らの一番の武器は「歴史」

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粟津 家業って宝の山だと思っていて、やっぱり僕らの一番の武器って「歴史」なんですよね。その歴史の中にストーリーがあるから、共感していただけるようなストーリーを生み出せると思うし、歴史の中で積もり積もった誇りや強みが絶対にあると思うんです。

齋藤 同意です。僕はずっとクラウドファンディングをやってきて、小さくてもストーリーや共感が大きく跳ねるのを何度も見てきて、一般的に誰も欲しがってないかもなって思われる会社こそ、開いたら手が上がる未来がくると感じたんですよね。クリアにしたい課題ポイント、捉えてる事業承継の問題とか、通ずる部分がありますね。

粟津 借金があっても魅力や可能性にあふれた会社はいっぱいあるし、実際僕もここまで事業を広げてきました。M&A業界ではじかれるような会社を僕は救いたいんですよね。そうしない限り事業承継の根本的な解決はないって思ってます。

齋藤 誰も扱ってくれないんだけど、きらりと光るものを持っている。そこに若い力が入ったときに、地域に人が呼べるくらいのめちゃくちゃユニークな事業者になるっていうのが、たくさん起こる。そういう時代にしていきたいと僕らも思ってますね。

今は廃業がフォーカスされますけど、粟津さんみたいな方がしっかりとメッセージを送ることがすごく必要な時代に入っていると思ってます。relayでも継業した方々のためにできることを増やしたい。せっかくご縁もできたので、この業界を盛り上げるために何をしたらいいか、またぜひディスカッションしましょう!!

聞き手:株式会社ライトライト代表取締役|齋藤隆太
クラウド継業プラットフォーム「relay(リレイ)」

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