人工知能にどのような仕事を託せるのか。そして託すべきか。大学での研究と産業での実践、その両輪を回す中で毎日のように考えている。イメージと期待(ときに不安)先行で、未来の象徴のような扱いを受けがちな人工知能。でも実際は、人工知能の研究や社会実装は現在進行形であり、日常だ。
1950年代からいくつかのブームの波があったことで、期待と失望を繰り返してきた影響もあるのだろう。ブームは終焉とセットの現象ゆえ、盛り上がってはいつの間にか終わったと解釈されてきた。
最初のブームで探索や推論により問題を解かせる研究が注目を集めたが、決められたルールの中での答え探しはできても、その枠を超えると機能しないことがわかり、「冬の時代」へ突入。コンピューターに知識を組み込む研究で息を吹き返し、各種専門分野の知識を備えたエキスパートシステムが医療や金融等の分野で使われるようになった。
人工知能が人間の専門家の代わりに推論を行い、仕事を担う。専門家による知識を蓄積した知識ベースをもとに推論し、結論を導く。ところが、膨大な知識量と共にルールが無数に増えると、ルール間の矛盾や誤判断が目立つようになり、再び冬の時代を迎える。曖昧なものの判断や広域な知識をつなぎ合わせることが想像以上に難しいことを思い知った。
その後、コンピューターが大量のデータを処理しながら自ら学習をする機械学習の仕組みで分別する力に磨きがかかり、判断や予測の精度が上がった。さらにはディープラーニングというアプローチの登場により、機械学習の弱点でもあった特徴の「変数(特徴量)」の設計を人間の手助けなしにできるようになりつつある。識別には前提として特徴の把握を伴うが、データから特徴を拾って形成するプロセスが人間の脳に近似することから、ニューラルネットワークと称される。
何かしらの目的に応じた人工知能を開発するにあたり、いきなりソフトウェアやシステムを実装するわけではない。それを実現するための数理モデル、そもそも何のために何を成し遂げるのか? という問いへのデザインが欠かせない。
僕の目下の研究テーマは、内発的・外発的動機づけと人工知能に関するものだが、脳科学や行動経済学にも派生していくので、深掘りすればするほどそのデザインは複雑になる。数理モデル、実装にたどり着くまでの「思考カロリー」を相当に要する。
将来的にこのデザイン自体を人工知能に託せる可能性があるか、、できるようになるとすればいつどのような方法か、我が人間の脳でデザインをしながら、ついついそんなことを考えてしまう。世の中を構成する無限のデザイン。それぞれの難度を考えると高い壁が立ちはだかるが、50年、100年と、長い時間を重ねていつかやり遂げてしまうのだろう。結局は時間の問題の範疇、という所感だ。
その時こそ、いよいよ人間の次なる仕事をつくることが必要になり、人工知能とロボティクスの進化が永続的ならば、人間の「仕事をつくる仕事」が途絶えることはない。人間が仕事そのものを放棄しない限り、唯一で究極の仕事になる可能性だってある。