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連載 | やってこ!実践人口論

移住は修行だけど覚悟ある?

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「実践人口」を増やすための合言葉が「やってこ!」である。「やってこ!」が世代を超えたつながりを生み、ローカルをおもしろくする。無理を生じた心の“余白”に「やってこ!」あり。

間が変わる方法は「時間配分」「住む場所」「つき合う人」を変えることだと、経営コンサルタントの偉いおじさんが言葉を残している。そして、決意を新たにすることほど無意味なことはないとも……。みんなそんなのわかって抱負を垂れてるんだよ。さて、新年一発目の連載でなぜこんな話を引用したのか?それは偉いおじさんが考えた法則をすべて満たす方法が「移住」だからであり、3年前に長野と東京の二拠点生活を始めて、現在は完全移住を果たしている先輩として、言えることができたからだ。

目次

二拠点生活も移住も“無理ゲー”

 もう最初にはっきり言っちゃおう。二拠点生活も移住も基本は“無理ゲー”だ。世の中のメディアは「移住の成功論」ばかりを採り上げてしまう傾向がある。それは私の会社でも同じ。「なにかを成功させるために苦労をして目立っている人」じゃないと、そもそも企画に挙がらないし、取材をしてもおもしろい話になる確証が得られないからだ。この構造はなかなかに罪深いことを告白しておこう。

 世の中の裏側では人知れず移住をして、人知れず諦めたケースも多い。住む場所を替えれば、おのずと慣れ親しんだコミュニティを捨てることになる。会社も学校も行きつけの飲み屋もぜんぶリセット。結果、新しい環境になれば、つき合う人もガラッと代わる。暮らす土地によって習慣やルールが変わるのもまた必然。いつでもゴミを捨てられる都心のマンションと違って、地域によってはゴミ捨ての曜日は限られている。雪が積もるエリアなら早起きして雪かきも必要だし、自治会や消防団といった日本固有の文化が色濃い土地なら人づき合いの優先度もぐっと上がるはずだ。そして車社会の地方では、バスや電車の本数の違いに戸惑いを覚えることも少なくない。もうここまで要素が揃ってしまえば、都心の時間配分は通用しなくなってくる。二拠点生活の駅までの移動は自家用車が使えず、呼んだ時間にタクシーが来ない&新幹線に合わせたバスも来ないで何度も冷や汗をかいた。

 それ以前に、移り住んだ先で満足に稼げる仕事をつくれるのか。家族は新しい環境にフィットするのか。転勤や上京のような強制的な変化を求められるイベントは存在するものの、人生のすべてをチェンジする動きは「移住」しかないと思う。そこには根本的な「暮らしそのものを変えたい」という大きな動機づけがあるからだ。そのハードルは実践しないとわからないほどに高く、環境変化の複雑な過程を乗り越えた先には、必ず「人が変わる」状態に行き着いている。

移住は修行と思おう

 ダイナミックな変化を求めるのは、ないものねだりを抱える人の常であり、移住自体を修業として捉えればどうだろうか? 私自身は縁もゆかりもない土地に移住したが、仕事は東京の企業から受けている。全国の土地を行き来してローカルと中央の価値観に触れ続けているが、そりゃ、東京に住んで仕事をしたほうが圧倒的にラクだ。移動する必要がほぼない。この3年間を東京に集約すれば、短期的な稼ぎは倍近かったとも思う。だけど、自然豊かな環境に触れて、決して働きすぎず、しっかり遊ぶ生活サイクルを最近になってようやく掴めたのは修業の成果なのかもしれない。土いじりも、釣りも、近くにその環境があったからこそ容易に取り組めたのだろう。

 激しい変化に身体と心を適応させながら、ふっと息を抜く瞬間をつくる。近所の温泉に浸かりながら、空を見上げれば四季折々の山肌が一年のグラデーションを伝えてくれて、挫けそうな一瞬の支えになってくれた。これは無理を生じた心の“余白”があってこそ。同じ瞬間の視界が高層ビルとカラスの群れと企業広告だったら絶望していたかもしれない。そもそもこの社会に安定なんてものは存在せず、弱肉強食の自然淘汰の仕組みは資本主義にもしっかりインストールされている。だったら主体的な移住という“無理ゲー”を選び取って、失敗をもにするような覚悟で挑めばいい。自分を変える決断はいつだって実践主義の“ガソリン”だし、幅のある価値観を拾うことが社会を変えるアクションにもつながる。その観点で移住を捉え直してみてはどうだろう?

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