1 時々起きる民事での逆転判決
「裁判官はきっと正しい判断をしてくれる」という言葉を依頼者が口にすることがよくあります。僕ら弁護士も「正しい判断をして貰いたいですね」「相手の主張はおかしいですからね」と依頼者に合いの手を入れます。しかし内心では「トンデモ判決もある、トンデモ裁判官もいるしなぁ」「この前も変な判決もらったしどうなるかわからないなぁ」と考えている弁護士も多いのではないかと思います。
その一方で、弁護士が「さすがにこれは負けないだろう」と思って判決に臨むケースも少なからずあります。その典型が、刑事裁判が先行している場合です。
先行して刑事裁判の判決が出されている場合、後続の民事裁判でも同じ判断をしてくれるだろうと安心して訴訟に臨みます。刑事裁判で有罪判決が出されているなら民事裁判でも有罪を前提にした損害賠償を認めてくれるだろう、刑事事件で無罪判決が出ているなら民事事件でも責任を否定してくれるだろう、という予断です。
逆に刑事裁判の判決が不本意だった場合は、その後の民事裁判は、かなり不利な状態から盛り返さなければならなりません。しかしこういった展開で、逆に民事裁判でひっくり返してやろうと躍起になること、心が燃える事件になることも多くあります。
今回取り上げる事件は、まさに民事事件で弁護士がジャイアントキリングをやってのけた事件です。
2 福井准教授教え子殺人事件
2015年3月12日、福井県勝山市内に停めた自動車内で、大学院に通う当時25歳の女性の扼殺遺体が発見されました。その後逮捕されたのは、被害女性と不倫関係にあった福井大学の准教授でした。
2016年にこの事件の刑事裁判(裁判員裁判)が福井地裁で始まりました。
検察官は准教授が不倫関係のこじれから保身・口封じのために殺したものであって殺人罪が成立すると主張しました。これに対し弁護人は、被害女性の従前の言動や准教授の供述を根拠に、被害女性が准教授に殺害を委託したのだとして嘱託殺人が成立すると主張しました。
この事件は検察官・弁護人双方が被害女性の精神疾患の有無を鑑定した医師を証人請求するなど、法廷での丁々発止の審理がなされたようです。
そして裁判員らは、被害女性の依頼に基づいた犯行だとして嘱託殺人の成立を前提にした懲役3年6月の実刑判決を下しました。
この判決に対し、検察官は控訴をしなかったため、嘱託殺人を前提にした判決が確定しています。しかし、この刑事事件の判決に被害女性の遺族は全く納得していませんでした。
3 民事裁判での逆転
2017年3月、被害者遺族が原告となり、准教授を被告として総額約1億2000万円の損害賠償御請求を、その居住地である千葉地裁に提起しました。
被害者遺族は、福井地裁の嘱託殺人との判断は誤りである、被害女性は「もう殺してください」などとは言っていない、准教授は自身の家族を守るため、また被害女性の感情の高ぶりに窮して殺害したのだとして単純殺人だと主張しました。
これに対し、准教授側は、福井地裁の判決を踏まえて、本件は嘱託殺人であって、准教授は責任を負わないか、負うとしてもその責任は限定的だと反論しました。
この民事裁判提起から約4年を経た2021年1月13日、千葉地裁は「(被害女性は当時)精神的に非常に不安定な状態であった」と指摘し、「被害者が真に死を望んだものと認めることはできない」「被告において嘱託があったと誤信したとも認められない」などと判断して正面から福井地裁の判決を否定し、単純殺人であるとして合計8593万円の支払いを命じる判決をしました。
この大逆転劇、ジャイアントキリングは被害者遺族にとっては長きにわたり求め続けてきた「正しい判断」、そして担当弁護士にとっては弁護士冥利に尽きる判決だったのではないでしょうか。
4 異なる判断はなぜ?
真実は一つのはず。それなのになぜ二つの裁判所で異なる判断がなされたのか。その理由は大きく2つあると思います。
まず一つ目は刑事裁判の有罪のハードルの高さです。刑事裁判は国が個人に対して刑罰という重大な不利益を科す手続ですので、被告人が罪を犯したことが「間違いない」といえなければ有罪判決を下せないという刑事裁判のルールがあります。つまり今回の事件であれば「嘱託がなかったことが間違いない」とまではいえず、嘱託があったかもしれないという疑問が残るのであれば嘱託殺人にしなければならないのです。
その一方で、民事裁判はどちらが正しいかの比較、高得点を争うスポーツのようなものだとも例えられます。ですので今回の事件であれば「どちらかといえば嘱託がなかったと考える方が合理的」と考えれば単純殺人の判断ができるのです。
この判断方法の違い、判断のハードルの違いが結論に影響していることが多いです。
もう一つは、判決も所詮は人の判断だということです。裁判官も人ですから、どの証拠を重視するか、証拠にどの程度の価値があるのかは、人によって受け取り方が区々でしょう。さらに同じ人の判断でも、体調や精神状態などによって判断が変わることもあるでしょう。裁判官や裁判員も人である以上、日によって判断が変わることも、ヒューマンエラーを起こすこともあるということです。
とはいえ、裁判所には証拠の評価の仕方、証拠の重要度などは、先人らの智慧の集積もあります。判例などがよい例です。
裁判所で判決を受けた人は、その判決に拘束されることになります。その判決が、その人の人生に多大な影響を与えることは多いです。僕ら弁護士も、「正しい判断」を受けられるよう、依頼者関係者の話をしっかり聞き、現場に行き、証拠を検討し、裁判官を説得する作業に手を抜いてはいけないなと思います。