「デジタルx資本」で中小企業再建を手掛ける「くじらキャピタル」代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。
「鎚起(ついき)銅器」という銅器を知っていますか?平たい一枚の銅板を、鍛金(たんきん)職人が丹念に打ち起こし、独特のフォルムや鎚目(面)を持つ「やかん」や「ぐい呑み」などに立体加工する銅器のことです。初めて本物の鎚起銅器を目にした時、他に類を見ない鎚目の質感と、奥深い光沢に言葉を失いました。
今回は、鎚起銅器の老舗である新潟県燕市の玉川堂(ぎょくせんどう)の玉川基行(たまがわ もとゆき)社長に、オンラインでお話を伺いました。(新型コロナ肺炎拡大阻止の観点から、本社のある新潟県燕市は訪問していません。)
玉川堂は1816年(文化13年)創業。当時の燕地域では弥彦山(やひこやま)で銅が豊富に採れ、その銅を使った装飾品や鍋・釜作りが盛んだったといいます。玉川堂は、1873年(明治6年)には早くもウィーン万博に出展するなど、早くから積極的に海外展開を進めてきた気鋭の老舗企業です。
幾多の困難を乗り越えてきた200有余年
竹内 本日はよろしくお願いします。玉川堂様は、玉川基行社長が入社された直後こそ一度事業を縮小されたものの、近年は業績好調と伺っており、2017年4月には東京・銀座中央通りに面するラグジュアリーモール「GINZA SIX」に旗艦店を出店されました。私も何度もGINZA SIX店にはお邪魔していますが、今回コロナの影響はいかがでしょうか?
玉川社長 正直かなり厳しいですね。元々GINZA SIX店の売上は、約半数が中国や台湾などのアジア系の外国人です。その方たちが日本に来られない状態ですので、影響は大きいですね。
中国や台湾はお茶の文化が盛んで、かつ男性が中心なんです。日本ではどちらかというと女性がお茶を淹れる傾向がありますけど、アジア系では男性の趣味としてお茶を淹れるのを楽しんでいます。
例えば中国の企業を訪問すると、社長が自らお茶を淹れてくれます。その時に使う湯沸や急須などの道具を自慢しながらお茶を淹れてくれ、それだけアジア系の方には自分の持っている茶器に対する強いこだわりがあります。茶葉に対するこだわりも強く、特にプーアル茶となると、ワインのように生産者やビンテージによって味わいも異なり、大変奥深い世界です。中でも30年以上の年代物は、お茶の概念が変わるほどの旨味があって、最近は、アジア系のお客様に触発されて、私もプーアル茶を毎日飲んでいます。
竹内 GINZA SIX店は、やはり御社にとってはかなりの勝負ですよね?
玉川社長 そうですね。今までは百貨店中心の商売でしたが、なかなかお客様の顔が見えないといいますか、ちゃんと説明ができない部分がありました。ブランディングは流通経路の短縮によってお客様の顔が見えることから始まると考えており、やはり、自社のスタッフでものづくりの「想い」を丁寧に伝えていこうという気持ちが強くなり、販路を百貨店から直営店にシフトしてきました。
その中でも銀座は日本最高の立地であり、そこに玉川堂の店舗を置くことでブランド力の向上を図っていこう、と出店した訳です。
投資額も当社規模から考えるとかなりの額です。GINZA SIX店 をご覧になってお分かりと思いますが、内装は天井も床も全面銅板張りにしています。400枚の銅板を、普段は工場に入らない営業スタッフも含め、スタッフ全員で叩いて鎚目を入れ、貼り合わせたものです。店舗を見て、すぐに玉川堂と認識していただきたいと思ったのです。
竹内 中国のお客様からは、鎚起銅器はどういう見られ方をされているのでしょう?
玉川社長 元々、鎚起銅器は中国の文化です。4000年前の銅器も現存しています。漆などの日本の伝統工芸も、ほとんどが元々は中国の文化なのです。
中国の方が鎚起銅器を見ると、中国人のDNAが刺激されるのか、初めて見る方がほとんどなのに大変興味深くご覧になっていただきますね。玉川堂の銅器は全て着色をしているんですけど、
「この素材は何ですか?」という質問から始まり、「銅器なのか!」と分かると、より一層興味を持ってご覧になる方もおられます。そのような方はお茶の知識も深いので、自然と会話も盛り上がりますね。
竹内 現代の中国では、1枚の銅板から打ち起こす技術は失われてしまっているのですか?
玉川社長 ほとんど失われてはいるのですが、最近になって銅器を作る職人が増えています。玉川堂の銅器を見て真似をする中国の職人も結構増えてきていて、技術レベルは正直、雲泥の差ですが、中国においても自国の伝統文化が見直されており、復活する傾向が見られます。
竹内 今回のコロナ禍は経営に大打撃というお話がありましたが、一方で御社の歴史を紐解くと、文化年間創業でこれまで200年以上ご商売をされている中で、明治維新であったり太平洋戦争であったり、社長の過去のインタビューを拝見すると「30年の1度くらいのリサイクルで色々な災難が来る」と。
玉川社長 当社は私で7代目ですけれども、代々倒産するくらいの出来事が本当に30年に1回くらいありました。私の代では今回のコロナ禍がそれに近いものはありますが、過去には現在と比較にならないほどの困難な時期があったので、まだ傷は浅い方だと思います。一つ言えることは、玉川堂はこれまで困難に直面した時、時流に流されず、目先の利益は追わず、常に高い技術を追求し、高級志向を貫いてきたということです。この姿勢はどんなことがあっても貫きたいですね。
最も厳しい時代は、昭和5年の昭和恐慌です。これは太平洋戦争を除けば一番厳しかった時期です。全国に残っている老舗と呼ばれる店舗は、昭和恐慌を乗り越えたからこそ、今があります。この昭和恐慌をいかにして乗り越えてきたか。ここに企業の永続性のヒントが隠されていると思うのです。
昭和恐慌の各地の地場産業を調べたことがあるのですが、景気が悪いからと技術を簡素化し、安売りしたようなところは、みんなダメになっていますね。燕の銅器も技術を簡素化し、安価銅器が一時流行しましたが、そのような銅器屋は現存していません。
景気が悪い時期こそ、差別化できる要素が高まるのですから、むしろ付加価値を上げていくべきです。
仕事が減っても技術を向上させる対策を取る。この繰り返しが玉川堂の200年の歴史です。
あと、太平洋戦争の時ですが、銅が手に入らなかったのです。そこでアルミを叩いて加工していましたが、それもできなくなり、昭和18年から昭和20年までの2年間、玉川堂は実は廃業しているんです。その間は、国からの要請で軍用飛行機の胴体などを製作していました。戦後は、全国に散らばってしまった職人を、私の祖父である5代目が、一人一人情報収集し、少人数ながら何とか銅器製造を復活させたのです。
竹内 まさに波乱万丈ですが、困難であればこそ職人を大事にする、安売りに走らない、技術を大事にしていく。今回もそれが鍵になりそうですね。
世界を見据える燕三条という土地柄
竹内 御社から見た地元燕市、あるいは隣の三条市まで含めた「燕三条」地域の現状、課題、特色についてはいかがでしょうか?
玉川社長 「燕三条」は金属加工の街ですが、江戸時代初期の和釘製作から始まり、次第に燕は洋食器、三条は刃物と、それぞれ違うジャンルの金属加工で繁栄してきました。
近年の取り組みとして、燕三条では工場見学を推進し、工場を観光資源とし、国際産業観光都市を目指す取り組みが活発化しており、その取り組みとして最も力を入れているイベントが8年前から開催している「燕三条工場の祭典 」というイベントです。このイベントは工場(こうば)だけでなく、農家見学「耕場(こうば)」、小売店「購場(こうば)」も加わり、地域内の様々な産業が一体となって「産業観光」を取り組むものです。「観光産業」ではなくて、産業が前につく「産業観光」ですね。
去年は約5万5,000人の方々から工場の祭典に見学していただき、少しづつ全国的に認知されてきたイベントですが、今年はコロナ禍で多くのお客様を集客しての工場見学は難しく、残念ながら中止となりました。ただ、10月の1ヶ月間は、ウェブでの工場動画配信を行い、毎日違う工場の作業風景が臨場感たっぷりで紹介されます。ぜひ、ご覧になってください。
そして、燕三条は、伝統的に海外ビジネスを積極的に行う気風が養われていて、ノウハウを持った企業がたくさんあるので、海外ビジネスを始める場合比較的スムーズに展開できると感じています。当社も、私が社長になったのが2003年、当時32歳で、その年から海外ビジネスを始めたのですが、知り合いの企業に相談を持ち込むと、成功事例や失敗事例などたくさんの情報を得ることができ、当社に最適な海外進出のあり方を学ぶことができました。
竹内 それは全国的にも珍しいですね。私もあちこちで取材させていただいていますが、海外への販路拡大はご苦労されるケースが多いので、そういう意味では普遍的な価値のあるプロダクトを作られている燕三条地域ならではの特色ですね。
玉川社長 最近の燕三条の傾向として、新商品に関しては地元問屋へ降ろさず、直接海外へ売り込む会社が増えていますね。下請けでは将来像が描けず、段階的に下請けを脱却し、海外ビジネスを行う若手経営者が増えてきました。
毎年春先になるとドイツ、フランス、ニューヨークなどでリビングや食器業界の国際見本市があって、中でも毎年2月に開催されるフランクフルトメッセ「アンビエンテ」は、インテリアやライフスタイル関連では世界最大の見本市です。そこには「燕市」「三条市」あるいは「燕三条」として地域単位で出展する人もいれば、各企業単独で出展する人もいるんですけど、見学者も含めると燕三条の人だけで毎年100人くらいはフランクフルトへ行っています。
フランクフルトに向かう全日空や日本航空などのフライトは、それこそ燕三条の人たちだらけで、周りは知り合いばかり。現地でも積極的に海外ビジネスの情報交換を行い、ここでもいい刺激をもらうんです。毎年、燕三条製品の新商品を楽しみにして来場される海外バイヤーも多く、当社も15年間出品しましたが、それがきっかけで、現在の海外取引に繋がっています。そういった意味では、燕三条というのは、海外に目を向けた非常に前向きな地域だなと、つくづく思いますね。
竹内 鎚起銅器も刃物もそうですが、燕三条の製品は美しく、見ただけで価値が分かる非常に稀有な存在ですね。日本酒も素晴らしいですが飲まないと価値が伝わらないし、好みもある。日本独自のライフスタイルに根ざしている、例えば着物のような伝統工芸品だと生活が違うと伝わりにくい。その点、洋の東西を問わず日々の生活で使う刃物や銅器などは、見た瞬間に素晴らしさが伝わりますね。
玉川社長 海外に行き世界中の文化を知ることは、今後の商品開発だけではなく、経営戦略にも活かせると思っています。海外の文化を知るほどに、自国の文化の素晴らしさを体感することが出来ると。「発想力は移動距離に比例する」という言葉があって、発想力のある経営者は、例外なく海外出張が多く、多趣味な経営者が多いですね。趣味の延長がビジネスに繋がっています。
竹内 海外に売るにあたって何かご苦労されたことはありますか?
玉川社長 最初は日本の海外代理店へ製品を渡していましたが、なかなか意思疎通が難しく、
作り手の想いがお客様へ伝わっていないなと感じ、取引が始まってもなかなか売上が伸びない時期もありました。やはり、海外でも小売店と直接取引の必要性を感じたのです。そこで、営業スタッフが貿易の勉強をし、さらに外国人の営業スタッフも採用しました。日本酒大好きなカナダ人のスタッフです。直接取引を始めてからは、現地で上得意のお客様を集めた実演や食事会を行ったり、逆に、担当者から当社の工場を見学していただいたりとコミュニケーションが上手くいくようになりました。ただ、国によって貿易条件が異なったり、経済状況で売上の上下高があったりと、なかなか安定した海外ビジネスは難しいですね。今も試行錯誤なんです。
竹内 外国人バイヤーの方が鎚起銅器を見て、「これは1枚の銅板から、全部手でこうやって作ったんだ」という説明を聞くとどういう反応をされるんですか?
玉川社長 本当にびっくりされて、「ブラボー!」という感じですね。世界中で銅器は製作されていますが、多種多彩な着色をするのは玉川堂だけですので、開口一番「この素材は何ですか?」というところから始まって、「これは銅なのか!」とびっくりされます。さらに当社の代表製品の湯沸 は、胴体から注ぎ口まで継ぎ目無しで、1枚の銅板から打ち出すため、その技術力にも驚かれますね。
玉川堂で外国人に一番売れている製品は、実はその湯沸なんです。胴体と注ぎ口まで継ぎ目なく1枚の銅板で打ち出したものは60万円からで、さらに装飾にこだわった湯沸だと100万円以上します。一方で、胴体と注ぎ口を溶接で継いだ湯沸もあり、おおよそ10万円くらいです。外国人のお客様は、10万円と60万円のやかん、どちらを選ぶかというと、圧倒的に60万円の方なのです。中でもアジア系の方は、特にその傾向が強いですね。
モスクワに本社のある高級家電メーカーと取引があり、10年前、フランクフルトメッセで知り合ったのですが、ここはロシアの富裕層御用達の家電メーカーで、その富裕層の方々へ銅器をご紹介していただいているのですが、そこでもやはり継ぎ目のない湯沸をお買い上げいただく傾向があります。日本で作られた最高の技術、日本の文化を象徴する特徴のある製品が、海外のお客様にはウケが良いと感じています。
「ニアリアル」を目指すデジタルへの取り組み
竹内 デジタルの取組でいうと、御社のサイトは非常に美しいですね。自社サイトを刷新し、ECもやっていこうと発案されたのは玉川社長ですか?
玉川社長 ECは従業員からの提案です。人の移動が制限されるコロナ禍で、新たな販売チャンネルが必要とEC導入を決断しました。ただ、今までお客様との対面販売を理念に、銅器を「花嫁」と見立て、販売の際は丁寧に手渡しをし、その後の銅器の人生を見届けるようなお客様との関係性を目指してきたので、ただ「ポチッ」と押して、買うだけの機能にはしたくないなと。あたかも店頭で対面販売をしているかのような、今までになかった玉川堂ならではのECサイトを作ろうと、店舗での購買体験に近いECサイトにバージョンアップしようとしている最中です。
今はデジタルを駆使し、いかにリアルに近づけていくかという「ニアリアル」が求められています。ホームページの機能もさらに充実させ、玉川堂に興味を持っていただき、収束後は、是非工場見学へお越しいただきたいですね。
竹内 御社の場合、ロゴもすごく特徴的で素敵ですよね。
玉川社長 よくサッカーボールと勘違いされるんですけどね(笑)。あれは「大鎚目 (おおつちめ)」といい、何十回、何百回と叩いて、一つの大きな鎚目を表現していく玉川堂を代表する鎚目模様です。明治時代から採用していて、特に海外ビジネスを開始してから、大鎚目の製品の人気がさらに高まりました。手作業でしか表現できなく、しかも、熟練の技術を要します。明治時代からずっと大切に使われ、玉川堂の象徴でもあるので、鎚目そのものをロゴマークにしようということで、このロゴの採用を決めたのです。
玉川堂のコーポレートスローガンは、「打つ。時を打つ。」ですが、「打つ。」は職人が丹精を込めて打つこと。そして「時を打つ。」というのは、その銅器をお客様から大切にご使用いただき、時を刻んでいただきたい。つまり、時を打って欲しい、という願いが込められています。その「打つ。時を打つ。」を形で表現したのが、このロゴマークでもあるのです。
竹内 洗練された現代的なデザインです。
玉川社長 2016年に創業200周年を迎えまして、その時に発表しました。玉川堂のブランドコセンプトを、歴史や伝統を楽しむ過去に価値を置くのではなく、「時と共に成長する、未来に価値を置く」とし、それまでは代々当主が書いた「玉川堂」の書をロゴマークにしていたのですが、創業200年を機に、新たなブランドイメージを構築していこうと、思い切って新しいロゴマークに変更しました。
竹内 ロゴ上の社名も、漢字ではなくてアルファベットですよね。
玉川社長 世界中の方々がひと目で「玉川堂」と認知できるよう英語で表記しました。将来的にはロゴマークからGyokusendoという文字も無くして、Apple社のようにロゴマークだけで玉川堂と認知してもらえるようなブランドを目指していきたいです。
多様性が強みになる
竹内 今回取材のアレンジをしていただいた御社社員のマシューさんはカナダ人ですよね。また二十数人いる職人のうち、最近は美大卒の若い女性職人が急増しているなど、伝統的なモノづくりの会社としては異例とも言えるほど多様なメンバーが揃っています。この体制に至った社長のお考えをお聞かせ下さい。
玉川社長 私の入社した頃の話に戻るのですが、1995年の入社時、倒産寸前にまで売上が落ち込み、従業員を半分解雇したんです。それまでは地元問屋へ商品を卸していたのですが、このままでは倒産してしまうと思い、問屋商売に見切りをつけて、百貨店商売に切り替えました。百貨店で実演販売を始めたところ、色々なお客さまの声を直接聞けるようになって、職人の想いを反映した商品開発が次々と生まれるようになりました。この流れに乗っていくためには、多種多彩な人材が欲しいと思うようになったのです。
中でも女性の職人の採用は、大きな転換期になりましたね。10年前に初めて入ったんですけど、うちの親父は反対したんです。他の職人も同じような感じでしたね。親父は私の会社の経営にはほとんど口出ししませんでしたが、これだけは反対されました。最初の女性職人は、忍耐強く、大変な努力家で、女性職人でもやっていけるという下地を作った功労者です。
その後、毎年のように女性職人を採用し、今では21名の職人のうち女性職人が7名になりました。今までは男性目線の商品開発でしたが、女性目線を入れたことで、商品の幅が広がったと思います。
その10年前まで、入社希望はほとんど無く、1年に1人集まれば良い方でした。今ではホームページの採用募集だけで、毎年30〜40人ほどの応募が集まるようになりました。そこから1〜2名を採用します。最高で60名応募があった年もあります。
最近の傾向として、女性の希望者が多く、8割以上が女性なんです。美術系の大学生からの希望が多いのですが、美術系の大学生は、年々女性比率が高まっていることも影響しているのでしょう。
女性目線で生まれた商品としては、例えば小さな丸い一輪挿し「フラワーボール」という商品があります。サイズはぐい呑ほどなので、小振りの花器です。これを作ったところ、女性の購買率が一気に高まりました。そして、レストランやバーなど、それまであまりお買い上げいただけていなかった業界からご購入いただき、お客様の幅も広がったのです。
将来像を描くと、今後も女性職人を加え、さらには外国人の職人も採用したいですね。タイプの違う職人が増えると発想のバリエーションも増えますし、その発想を引き出し、それぞれが個性を発揮出来るクリエイター集団を目指したいです。
竹内 老舗の7代目でありながら大変柔軟な考え方で、聞いていてワクワクしますね。最後に今後の夢、展望をお聞かせ下さい。
玉川社長 燕本店に産業観光型施設を設置して、世界中の方々からお越しいただくことです。
工場見学をして、職人の想いをしっかりとお伝えした上でお買い上げいただくことが、銅器を長くご愛用いただく、つまり、コーポレートスローガンの「時を打つ。」に繋がります。
そのために、宿泊施設を備えたレストランである「オーベルジュ」は必ず実現したい施設です。燕三条は優れた農家が多く、食材も豊富ですので、1日1組限定で、銅器に囲まれた空間で一夜を過ごしていただきたいです。
オーベルジュの本場であるフランスでは、生産者がオーベルジュを所有し、お客様をおもてなしする文化が根付いています。素晴らしいおもてなしの文化であり、これを玉川堂として取り入れ、将来は、日本の地場産業の文化としても定着させていきたいものです。
あとは「玉川堂ミュージアム」ですね。歴代作品が多数残されており、これを広くお客様へお披露目したいです。江戸、明治、大正、昭和、平成と、それぞれの時代の特徴が出ており、工場見学と共に、玉川堂の文化を五感で体感していただきたいと思っています。
竹内 素晴らしいですね!オーベルジュはいつ頃できそうですか?
玉川社長 10年後には産業観光型施設を玉川堂ビジネスとして定着させることが長期計画ですので、それまでに、ですね。5年後が目安になりますかね。
竹内 できたらぜひ遊びに行かせてください!
玉川社長 ぜひ!お待ちしています。
竹内 その日を楽しみにしています!本日はありがとうございました。