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多様性

連載 | 福岡伸一の生命浮遊

フルーツフライの物語

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 生物学では、ラットもしくはマウスが実験動物として多用される。ラットは大型のネズミ。マウスは小型のネズミである。両方とも哺乳動物であり、臓器の仕組みも、必須アミノ酸の種類も、代謝の回路も基本的にヒトとほぼ同じなのでモデル動物として使えるのである。妊娠期間は20日と短く(それゆえ別名はハツカネズミ)、文字どおりねずみ算式に増えるが、性的に成熟して次の世代をつくれるまでに2か月半ほどかかる。いくら小動物とはいえ、たくさんの頭数を一度に飼育するためには、一定の実験動物施設が必要で、維持管理には餌やり水やり、清掃などそれなりの人手と経費が必要である。

今でこそ全ゲノムの解読が終了し、クローン技術やクリスパーと呼ばれる画期的な遺伝子操作の方法も確立されたが、歴史的に見ると生物学的現象と遺伝子の関係を解析するモデル生物として大きな役割を果たしたのは小さなハエだった。ハエといっても、私たちが身近に知っている黒いハエではなく、キイロショウジョウバエという小型のハエである。ゴマ粒ほどの大きさしかなく、赤い目をしている。英語名はフルーツフライ。排泄物や腐敗物にたかることはなく、名前のとおり果実や樹液を好む。

このハエを使って、生物学的行動と遺伝子の関係を結びつける画期的な発見が成し遂げられた。それが今年のノーベル生理学・医学賞に輝いた体内時計の研究である。このハエには、実は100年近い長い研究史がある。

20世紀の初め、米国の生物学者トーマス・ハント・モーガンはフルーツフライの遺伝学に興味を持った。1858年、すでにダーウィンの進化論が発表されていたが、生物の特性を運ぶとされる遺伝子はまだまだ不確かな仮定の存在であり、DNAが遺伝子の本体として確定されるよりも約50年も前の話である。

モーガンは、ハエの目や胴体の色、触角の形、や脚の長さなどの特性が遺伝することに気づいた。つまり特性が次の世代に伝達される。しかも伝達の様式はメンデルの法則に従うことを確認した。

メンデルの法則は、19世紀半ば、オーストリアの司祭グレゴール・ヨハン・メンデルによって発見された。父方からA(たとえば赤い目)、 母方からa(たとえば白い目) という特性を受け取ると、子どもの遺伝型はAaとなり、表向きはA(赤い目)の性質が現れる(ただしメンデルが研究対象にしたのは植物)。Aの性質を顕性(dominant)、aの性質を潜性(recessive)と呼ぶ。

日本の生物学教科書では、長らく、Aを優性、aを劣性を呼んでいたが、Aとaは優劣の差ではなく、単にどちらが現れやすいかの差なので、顕性、潜性と訳し直されることになった。さて、次の世代として、Aaの遺伝型を持つ個体同士が交配する(セックスをして子孫をつくるということ)ことを想定してみる。精子もしくは卵子は、Aあるいはaの性質いずれかを運ぶので、順列組み合わせの可能性として、子どもの遺伝型は、AA、 Aa、 aA、 aaの4パターンが生じうる。Aのほうが顕性なので、AA、 Aa、aAいずれの遺伝型でもAの性質が表に出て(これを表現型という)、見た目はいずれも赤い目になる。遺伝型がaaの場合のみ、白い目になる。

遺伝子は目で見ることはできない。だから遺伝型は、あくまでも表現型の出現確率の問題としてのみ把握される。Aaの遺伝型を持つ個体同士を交配させて、100匹の子どもを調べると、確率的にAAが25匹、Aaが25匹、aAが25匹、aaが25匹生まれうる。つまり75匹が赤い目、25匹が白い目となり、その比は、3:1となる。これがメンデルの遺伝の法則である。しかし、これはどこまでも確率的にそうなるということ。確率をより確かに観察するためには数を多く調べなければならない。100匹よりも200匹を、200匹よりも1000匹を調べたほうがより真実に近づく。

かくして遺伝の実験のモデル生物としてショウジョウバエが選ばれることになった。ライフサイクル(次の世代をつくるまでの時間)が短く(約10日)、実験室で簡単に大量飼育できるからである。モーガンはハエの遺伝研究に邁進した。

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