福島あつしさんの弁当配達先は独り暮らしの高齢者。きれい事では片付かない、配達先の人たちの日常を写真に収めたからといって、高齢化社会に対する問題提起をしたい訳じゃない。
伝えたいのは、「生々しい美しさ」。
毎年4月〜5月に京都市を舞台に開催される国際的な写真祭、「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」。同時開催されている「KG+」とは、活躍が期待される写真家やキュレーターの発掘と支援を目的にし、2013年から始まった公募型アートフェスティバルだ。その2019年度版「KG+SELECT 2019」において、最終選考に進んだ12名のアーティストの中から、選考委員によって選ばれたグランプリが、福島あつしさんの作品、「弁当 is Ready.」だ。高齢者専用の弁当配達のアルバイトをしていた福島さんがカメラを向けた、配達先での10年間にも及ぶ日常が、「弁当 is Ready.」にはある。
「話し相手が配達員である自分しかいない」「生活をする2階に弁当を届けるものの、1階はゴミだらけの状態」……。配達先の状況を聞くと自ずと、高齢化社会の深刻な側面が頭に浮かぶ。実際に福島さんも、「この状況を世の中に伝えなければという、勝手な正義感に駆られていたように思う」と、写真を撮り始めた当時のことを振り返った。そして、「写真を1枚撮った瞬間、逃げられないというか、自分の中で納得するまではここからは出られないような気がしたんです」とも語った。
厳しい環境を目の当たりにしながらも、朝晩の弁当配達が毎日続く中で、関係性はつくられていく。いつしか、配達時間に合わせて、お茶やカップラーメンを用意して待っていてくれる人が出てきた。人生の先輩から語られる話を、楽しみにしている自分もいた。
アルバイトを始めて5年ほど経った頃、誘いを受けて、初めて配達先の人たちを撮った写真展「食を摂る」を開催した。配達員の自分としては、配達先の人たちは顔見知りで近い存在。しかし、カメラを構えるとなぜか、死と隣り合わせのかわいそうな被写体と思ってしまっている。その複雑な状況に混乱し、まいってしまっていたからこそ、「溜め込んでいるものを外に出して楽になりたかった」と、写真展を行ったきっかけを明かした。しかし、アウトプットしたからといって、物事がクリアになったわけではなかった。むしろ、客観的に作品を目にしたことで、自分が伝えたいことは、いったい何なのかと自問自答することに。自分も近しい思いを抱いているにもかかわらず、鑑賞者の反応が、社会問題を目撃したかのようにネガティブだったことにも戸惑った。救いを求めるように、気づけばまた弁当配達の仕事に戻っていた。
再び写真を撮るようになったのは、半年ほどしてからのことだ。ある日、食べることを急にやめた男性がいた。弁当を口にしなくとも配達し声をかける。そんなことが数日続いた後、姿が見えなくなった。老人ホームに入居したと聞かされ、自分で死を選ぶこともできない現実を目の当たりにした。同時に、生きることの意味を突きつけられた気がした。配達先の日常は、死と隣り合わせであることは間違いないけれど、生の現場であることも実感し始めていた。「食べて生きる。きらびやかではないし泥臭い。でも、生々しい美しさがあると思ったんです」。福島さんがシャッターを切る時はいつも、美しいと思った瞬間。それは、配達先でカメラを向け始めてから最後まで変わらないことだった。「自分が撮っているのは、死ではなく生なんだ」と心底思えてようやく、気持ちは晴れた。そしてその後、弁当配達のアルバイトを完全に辞めて、もう戻ることはなかった。辞めては戻ることを幾度か繰り返しながらも、アルバイトを始めた時から数えると、10年近い月日が流れていた。
「写真を撮っている瞬間が感動のピーク」という福島さんは、自分が撮影した写真でありながら、写真と対話し、ピークの瞬間に追いつこうと思考を巡らせる。しかしだいたい、そのピークの感覚を再現できずに宿題が残ると言うが、昨年の「KG+SELECT 2019」で展示した作品で初めて、自分が伝えたいことが表現できたのだと明かした。
「KYOTOGRAPHIE 2020」でも「弁当 is Ready.」の展示が予定されているが、同じなのはきっとタイトルだけだ。2020年を生きる福島さんが、再び写真との対話を通じて、2020年版の「弁当 is Ready.」をどのように表現するのか。変わらずそこにあるはずの美しさと共に、今福島さんが放つメッセージを受け止めたい。