夫とは別居中、仕事もうまくいかず、都会暮らしに疲れてしまっている橙花。そんな折、母の三回忌を前に単身、島に戻ることになった彼女は、久しぶりの実家で自分の悩みなど吹っ飛ぶような状況に直面する。
亡き妻のワンピースを衒いなく身に着け、帰省する娘のためのごはんづくりに余念のない父さん。何だか親子に見えない娘のダリアとともに島に移り住み、縁あって父さんの家に居候している何でも屋の和生。臨月を迎えたスリランカ人の妻・サムザナと、見ているこちらが照れくさくなるほど仲睦まじい弟の翠。呆然とする橙花に追いうちをかけるように、父親はこう口にする。
「父さん、母さんになろうと思う」
こんなふうに、東京から離島へと舞台を移して、ふくだももこ監督の長編第一作『おいいしい生活』は独特のテンポで進んでゆく。
島は、空気も時間の流れもゆったりしているのに、東京のストレスを引きずっているせいか、どこか収まりの悪い橙花は、実家に居場所を見出せずにいる。おそらく観客の多くも、最初はそんな橙花の視点に立っているだろう。
けれど、父さんや和生をはじめ、家族や島の人の態度はどこまでも気負いなく、気がつけば橙花は(そしてわたしたち観客もまた)、そのやさしさや懐の深さに感化され、監督が描くユートピアの住人になっているのである。
普通って? 当たり前って? 常識って? 自問してみれば気づくように、普通も、当たり前も、常識も、場所や時代に応じて変わってゆく流動的なもの。ならば自分の好き嫌いはひとまず脇に置いて、個人の趣味嗜好やスタンスを、それぞれの特徴として認め合えば、わたしたちはもっと楽しく、健やかに日々を過ごせるのではないか。”世界に必要なのは、自分を大切にして、人にやさしくすることだけ”と監督が語るように、作品に通底する肯定感は、この映画の大きな魅力といえるだろう。
島での時間が経つにつれ、見えない鎧を脱ぐように変わってゆくヒロイン橙花を演じた松本穂香。母さんになろうとする父さんの、淡々とした佇まいが惚れ惚れするほど素晴らしい板尾創路。登場人物全員が生き生きしていて幸福感あふれる作品の、もうひとつのお楽しみが食卓シーンだ。その食べっぷりのよさも、家族の明るい未来を予感させてくれる。
浜辺で行われた父さんと和生の結婚式の晴れやかな祝祭感、その余韻に浸りながら劇場を出れば、映画を見る前とほんの少し、世界が違って見える……。シンプルだけど、味わい深い映画が誕生した。
『おいしい家族』
9月20日(金)より、全国順次公開