プルルルル。家の電話が鳴ったら、それはハマちゃんからの電話だ。「もしもし、どうしたん」と妻が出ると、「あんな、干した大根を炊いたもんは、あんたは食べへんな」と、ハマちゃんいつもどおりの尋ね方。「食べるで、取りに行ってもいいかな」。そう答えると、「わかった」と唐突に電話が切れる。夕飯のおかずもまだ作っていなかったので、それはもう嬉しくなって、傘を差して、歩きやすい鎌ん坂ではなく、ハマちゃんが切り開いた“ハマ子みち”を勇み足で下っていく。ぐんぐん下っていくと、下ではハマちゃんがもう待っていて、トットッと軽やかに、伸びきったワラビが並ぶ坂を上ってきた。いつの間にか雨は上がっていて、見渡すところ全部が緑。坂の途中で、ハマちゃんが2つパックを手渡した。「美味しいこと炊けとんで」。1つ目のパックには大根の炊いたん、2つ目のパックには長芋の酢のものが入っていた。「ハマちゃんありがとう」、家に戻ろうとしたら、あら、パックの上に「ほんわらびもち」ってシールが貼ってある。「それをじっと、にやにや、見つめながら歩いたんよ。こういうのが一番愛おしいんよ」。
大工のスエさんの家に寄ってみたら、「おじいちゃんもおばあちゃんも出掛けておらへんよ」と、向かいの家から出てきたナッちゃんが教えてくれた。「そうなんや。ナッちゃん、何してたん」「いま、ヒーちゃんを寝かしつけたところ。そうそう、どうやった、この間の……」。この小さな集落で唯一の歳が近い者同士、立ち話にわんさか花を咲かせた。遠くのほうで車の音がして、あっ、5年生になったイッちゃんが学校から帰ってきた。この村はやっぱり小学校から遠くて、歩くと大人の足でも1時間は掛かってしまう。友達の家ももちろん遠い。開口一番、「お母さん、友達の家まで送ってくれるの」と心配そうな顔で聞いてきた。「ああ、今日は皆おらへんし、私はヒーちゃんがいつ起きるかわからへんから出られへんわあ」と困っていたので、「僕らが送っていくよ、郵便局にも行きたいし」。「よっしゃあ、もう用意できてる」と、以前よりも少し恥ずかしそうな笑顔を見せながら車に乗り込んだ。「シートベルト締めてや」、ちょこんと座ったイッちゃんはまだまだ小さい。こんなに可愛らしいイッちゃんに、昨年、赤ちゃんがやって来て、知らない間に本当にお兄ちゃんになっていくからおもしろい。僕たちが引っ越してきた頃は、まだ幼稚園に通っていて、「これなんなん。なんでなん」と何でもかんでも質問攻めだったのも、「あんな、この前、鹿が獲れたんやで。お腹に赤ちゃんがおった。お父さんがここに骨があるなって、赤ちゃんがおるところを触らせてくれたんやで」と目を輝かせながら教えてくれた。「ああ、また獲れへんかな。追い山にも行ってみたいな」。ちょっと前まで、イッちゃん、どっぷりと子どもの世界におるなあ、羨ましいなあと思っていたけれど、最近はなんだか様子が変わってきて、大人の世界にひょいっと足を踏み入れたのかなと感じるようになった。イッちゃんより小さな幼稚園の子が近くにいると、「僕はもう子どもじゃないから」と澄ました雰囲気に身を包むようになった。自分を見ている自分、そんな不思議な視線があるって気づきだしたのかな。優しくて泣き出しそうな顔に、たくましい男の顔が見え隠れしてきて。なんというか、小さかったイッちゃんはどんどん大人になっていくけれど、もっと小さかった頃のイッちゃんは、僕の中におるからね、いつかすっかり忘れたらお返しするからなと、おっちゃんになっていく僕なんかは、そういう温かい気持ちになる。子どもの成長っておもしろい。「今日は何して遊ぶん」、「ううんと、鉄棒」。勢いよく車を降りて、たたたっと駆けていった。
日に日に、夏だなと思う日が増えていく。そのことがなぜか震える