アジア最大級のLGBTの祭典、東京レインボープライド(以下TRP)が先日、無事閉幕した。渋谷・原宿を大行進するパレードから始まり、有名アーティストたちのフリーライブ、クラブイベント、お昼の親子向けイベントなど、さまざまな催しがGW期間中各所で行われた。パレードには1万人以上が歩いたらしい。初めて日本で行われた1994年はおよそ1000人だった。この25年でTRPは着実に成長を遂げてきたのだ。
5月号でも書いたとおり、僕にとってこのお祭りは「同窓会」のようなものだ。普段なかなか会うことのできないLGBTやアライの友人たちと、今年もたくさん会うことができた。大阪で活躍するドラァグクイーンの友人、TRPスタッフの皆、前職の先輩、たくさんの人と乾杯しては、ゲラゲラと笑った(「いつも『ソトコト』読んでます」と声かけてくださった皆さんも、ありがとうございました。うれしかった!)。
どの再会にも胸が高鳴ったが、久しぶりに話したSちゃんとの会話は強く印象に残った。彼がスタッフで、僕がただ客として参加していた、あるイベントのお昼休憩、SちゃんとSちゃんの友人二人とたまたま一緒になり、ランチを食べたのだった。彼らは皆女性として生まれ、今は男性、もしくは「女性ではない性」と自認して生きる、トランスジェンダーだ。GWとは思えないほど閑散とした穴場のカフェで、もりもりとパスタを食い、ビールを飲みながらいろんな話をした。
どういう流れか忘れてしまったが、Sちゃんは過去アニメに救われた経験について話してくれた。友達がみんな大学に受かって、自分だけが浪人生活に突入した時、孤独を癒してくれたのがアニメだったそうだ。勇気を出して参加したオフ会では、誰にも話しかけることができず会場の隅っこで座っていたが、すぐに隣の女性が声をかけてくれて、一気に盛り上がったらしい。そこでできたつながりは今も続いているとのことだ。同じ「好き」でつながる“オタクコミュニティ”に出合えたことが自分の転機になったと話してくれた。
「私って、100パーセント男にはなれないじゃん? 男性器がはえてくるわけじゃないし。だから、完全な男になれないなら、それだったら目指したいとは、私は思えなかったんだよね。一時期は近づける所まで近づいてみようって頑張ったんだけど、でもやっぱりしっくりこなくて。今はホルモン治療もやめたんだよ。一人称も“私”が丁度いいと思ってる。だからもう、男になれなくていいやって思ってるんだけど、でも、オタクであることだけは、誰にも奪われたくない。オタクであることは、私の誇りなの」
こんなことをトランスジェンダーの当事者ではない僕が言うのは失礼かもしれないが、僕は「かっこいい」と思った。Sちゃんや、多くのトランスジェンダーの方は「なんとしても欲しい」と心が千切れるほど願ったものを、完璧には手に入れることができないまま生きなくてはならない。それはどれほど大変なことだろうと想像するが、きっと僕なんかでは想像し得ない痛みがそこにはあるのだと思う。
「男」でもなく「女」でもなく「私」という性を持って生きていく彼らが、性を二元論で語りたがる現代社会から乱暴に「曖昧」と扱われ、それでも確かな生きる意味、プライドの在り処を見出していこうとすることは、これ以上ないほどに過酷で、そしてとてつもなくクリエイティブなものだと、僕は思う。彼らの人生は、それ自体がアートだ。
Sちゃんは与えられたものの中からでなく、自らの手で「オタク」という実感を持ち、プライドにまで育ててきた。そんな彼に「憧れる」なんて言ってしまうことは、あまりに平和ボケがすぎるので言いたくないが、とにかく彼に最大の敬意を払いたいと思った。僕はSちゃんのように「実感」を握りしめて生きているだろうか。なんとなく生きてはいないだろうか。僕は彼の友として、その問いを常に立て、生きていきたいと思った。
※LGBTの当事者ではないがLGBTをはじめ、あらゆるセクシュアリティを理解し、支援する考え方やそうした立場を明確にしている人々を指す。ストレートアライ(Straight Ally)とも呼ばれる。