「実践人口」を増やすための合言葉が「やってこ!」である。「やってこ!」が世代を超えたつながりを生み、ローカルをおもしろくする。夢と現実を行き来して、非効率なカニになろう。
仕事の役割は年齢に応じて移り変わるもの。どうも最近、生業である「編集者」の定義にどこか居心地の悪さを感じてしまっている。なぜ、違和感があるのか? そこには固定概念化された枠に収まることのできない衝動があるからではないか?
能に学ぶ“シテ”と“ワキ”の存在
そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら全国を放浪していた渦中に、能楽師である安田登さんの著書『あわいの力』と出合った。安田さんの見立てはどれもおもしろい。具体と抽象の“反復横跳び”が、骨の髄まで好奇心を刺激してくる。タイトルである「あわい」の解説として、「媒介。あいだ。自己と他者、異界の現実界、時間と空間、あっちこっち…ふたつのものが出会う界隈」と紹介されている。
能には“シテ”と“ワキ”という主要な役割があり、お面をかぶって歌い踊るのが主人公のシテ、脇役の語源となっているワキは素顔で地味めな装束でじっと座っていることが多いのだとか。ただし、能の重要演目『夢幻能』ではワキの存在が際立つ。安田さんの見立てでは、ワキは漂泊の旅人であり、人生に欠落した体験を抱えている存在。無力感に打ちひしがれた旅の過程で遭遇してしまうのが、霊的な存在、異界に住まう亡霊を演じるのがシテとされている。亡霊は旅人の前に突如現れて、土地にまつわる伝説や身の上話を語り始める……。亡霊と遭遇した旅人は、亡霊の残根の思いを晴らす手助けをするのがざっくりすぎる筋書きだ。
能には“シテ”と“ワキ”という主要な役割があり、お面をかぶって歌い踊るのが主人公のシテ、脇役の語源となっているワキは素顔で地味めな装束でじっと座っていることが多いのだとか。ただし、能の重要演目『夢幻能』ではワキの存在が際立つ。安田さんの見立てでは、ワキは漂泊の旅人であり、人生に欠落した体験を抱えている存在。無力感に打ちひしがれた旅の過程で遭遇してしまうのが、霊的な存在、異界に住まう亡霊を演じるのがシテとされている。亡霊は旅人の前に突如現れて、土地にまつわる伝説や身の上話を語り始める……。亡霊と遭遇した旅人は、亡霊の残根の思いを晴らす手助けをするのがざっくりすぎる筋書きだ。
ワキは編集者だった
私は、小2で両親が離婚し、親父が闇金の世界に落ちて、家族の再生を援助すべく新聞配達を始めた過去がある。友人を失い、人生に絶望し、ただただ生きるために小銭を稼いで、インターネットの中に自己を見出した20歳前後の時間は、社会一般の枠からはみ出た欠落そのもの。「ワキとは俺のことではないか? ワキ次郎だったのか?」と本を読みながら衝撃が走ったし、「全国のローカル取材で出会った、いい意味での“ヤバいおじさんたち”はシテではないのか?」と驚くほど能の世界とリンクした。私が旅先で出会ったヤバいおじさんたちは、現代社会に必ず警鐘を鳴らす。農業や林業など、自然に向き合い続けた長きにわたる知恵を伝えてくれる。彼らの思いを晴らすような仕事はできていないが、安田さんの「ワキはあわいの存在であり、媒介である」をそのまま受け取れば、ローカル編集者の役割こそがワキ的なのではないだろうか。シテの存在を可視化し、世に届ける数少ない仕事だったのか……。 ここで最初の違和感に戻りたい。編集者=ワキ説を唱えて、私自身は腑に落ちたが、そもそも“自然観に紐づく知恵”を伝えるヤバいおじさんになりたいという夢がある。山奥で暮らす幻のような存在かつ、何者にもならないのがかっこいいと思う。
現時点の立ち位置でいえば、ワキとして過酷な旅を繰り返し、脳汁がこぼれるほどのシテとの遭遇体験を咀嚼し、メディア=媒介をとおして人に伝え続けることで精一杯。経営者としての効率を考えれば、ローカル行脚の取材旅は時間的にも経費的にもあまりにも燃費が悪すぎるが、それでもやる価値がある。やる価値しかない。
現時点の立ち位置でいえば、ワキとして過酷な旅を繰り返し、脳汁がこぼれるほどのシテとの遭遇体験を咀嚼し、メディア=媒介をとおして人に伝え続けることで精一杯。経営者としての効率を考えれば、ローカル行脚の取材旅は時間的にも経費的にもあまりにも燃費が悪すぎるが、それでもやる価値がある。やる価値しかない。
「現場宝石タラバガニ」の誕生
短期的なゴールに向けて最短距離を走る現代社会に対して、私はあえて「カニ」になることで、違う姿勢を示したいと思っている。唐突で申し訳ないが、これは表現の話でもある。活動の名前は「現場宝石タラバガニ」。現場には、学びの深い”宝石“が落ちている。拾って磨けば価値があるのだからもったいない。あえてカニの横歩きで”急がば回れ“
の遠回りの道を選び、全国に転がる宝石を拾い、愛でながら進む。思いもよらぬ未知との遭遇は、この生き方でしか出合えない。さて、無理やり整理すると……、現状は編集者としての「ワキ」、そして進化過程の姿勢として「カニ」になり、最後はヤバいおじさんとしての「シテ」に行き着くわけだ。この完璧なライフプランこそ、実践者の生き様ではないだろうか。
の遠回りの道を選び、全国に転がる宝石を拾い、愛でながら進む。思いもよらぬ未知との遭遇は、この生き方でしか出合えない。さて、無理やり整理すると……、現状は編集者としての「ワキ」、そして進化過程の姿勢として「カニ」になり、最後はヤバいおじさんとしての「シテ」に行き着くわけだ。この完璧なライフプランこそ、実践者の生き様ではないだろうか。
text by Huuuu
徳谷柿次郎(とくたに・かきじろう)●1982年生まれ。大阪出身の編集者。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社『Huuuu』の代表取締役。長野と東京の二拠点生活を経て、長野に移住。どこでも地元メディア「ジモコロ」の編集長として、全国47都道府県を飛び回る。地域特有の課題を情報発信の力でサポートしている。趣味はヒップホップ、温泉 、カレー、コーヒー、民俗学など。
記事は雑誌ソトコト2021年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。