目次
僕が、なぜ、若い世代との旅を作っているのか。
1984年夏、僕は相模原の実家から日本海を目指して歩いていました。学校や地域、友達との世界も消して嫌ではなかったんだけれど、僕は、もっともっと外の世界を知りたかった。中学3年生の少年が、今よりもっと遠くの世界を知るには、どうしたらいいんだろう。学校から帰ると、地図を眺める日々。地図には答えが載っているわけでもなく、行き先なんて今思えばどこでもよかった気がする。
「どこに行くか、何をするか」
考えれば考えるほど、「自分には何が出来るのか、どこまで行けるのか」、そんなことが気になり始めるわけで…。冬を迎え、西陽が傾く小さな部屋で、一人悶々と考えたって答えは出ない。それならば、いっそのこと、夕陽を見に行こう! 歩いて行ってしまえ。
「どこに行くか、何をするか」
考えれば考えるほど、「自分には何が出来るのか、どこまで行けるのか」、そんなことが気になり始めるわけで…。冬を迎え、西陽が傾く小さな部屋で、一人悶々と考えたって答えは出ない。それならば、いっそのこと、夕陽を見に行こう! 歩いて行ってしまえ。
陽が高くのぼり、暑さも絶好調になると、歩くペースは落ちてくる。暑さから逃れるように、生垣の日陰を求め座り込むと、家の中から聞こえてくるロサンゼルスオリンピックの中継放送。バレーボールの試合に耳を奪われ聞き入っていると、縁側に座るおばちゃんが、「旅の者かね?」と声をかけてくれた。
「日本海に向かって歩いている」
「昨日はどこから歩いて、今日はどこまで行こうと思っている……」
など話していると、おじちゃんも出てきて、この集落の話や、畑や山仕事、そしておじいちゃんの若い頃の話に花が咲く。
僕は、サラリーマン家庭に育ったので、朝出勤して、仕事をして、夜に帰ってくるのが大人の生き方だと思っていた。けれども、おじちゃんは朝畑に行き、陽が高くなる頃には家で一回涼み、午後は山に木を切りに行く。明日は祭りの準備があって、草刈りをして……。
出勤は特段したことが無い。それが暮らしで、それが仕事だと話すわけで。こんな出会いが、僕にはとっても新鮮で、今でも覚えているわけです。
「どこに行くか、何をするか」も、きっと大切なんだろうけれど、僕は今、汗をかいて歩いて、出会い、次につながる何か確なものを感じている、そんな気がしてならなかった。
僕は10代の頃、地図を片手に知らない土地を歩いて旅することで、大きく自分の人生観が変わったと思います。沢山の人との出会いが、自分の思い描く世界観を広げてくれた。
「日本海に向かって歩いている」
「昨日はどこから歩いて、今日はどこまで行こうと思っている……」
など話していると、おじちゃんも出てきて、この集落の話や、畑や山仕事、そしておじいちゃんの若い頃の話に花が咲く。
僕は、サラリーマン家庭に育ったので、朝出勤して、仕事をして、夜に帰ってくるのが大人の生き方だと思っていた。けれども、おじちゃんは朝畑に行き、陽が高くなる頃には家で一回涼み、午後は山に木を切りに行く。明日は祭りの準備があって、草刈りをして……。
出勤は特段したことが無い。それが暮らしで、それが仕事だと話すわけで。こんな出会いが、僕にはとっても新鮮で、今でも覚えているわけです。
「どこに行くか、何をするか」も、きっと大切なんだろうけれど、僕は今、汗をかいて歩いて、出会い、次につながる何か確なものを感じている、そんな気がしてならなかった。
僕は10代の頃、地図を片手に知らない土地を歩いて旅することで、大きく自分の人生観が変わったと思います。沢山の人との出会いが、自分の思い描く世界観を広げてくれた。
1995年、阪神淡路大震災。
僕が16歳の時、沖縄から自転車で旅をした途中に立ち寄った神戸の風景は、もうそこには無かった。発災から数ヶ月、神戸でボランティア活動をした。大きく地球の地殻が動いた時、人の暮らしがままならなくなる。この現実に思い悩むようになる頃、20代の僕は本格的にカヌーに出会います。
テント・寝袋・鍋・釜・食器をカヌーに積み込んで、水の上を旅するように暮らす。日常の暮らしを非日常の暮らしから見つめてみると、もしかしたら、「人の暮らしと自然のリズム」が少しでも近づくんじゃないか。歩くことの出来ない世界をカヌーで旅すると、今まで見えなかった世界が可能性を広げた。
若い世代とこんな経験を共に体験する事で、彼ら自身の力で自らに気付き、世界観や可能性が大きく広がる旅を作りたい、そう思いました。
僕が16歳の時、沖縄から自転車で旅をした途中に立ち寄った神戸の風景は、もうそこには無かった。発災から数ヶ月、神戸でボランティア活動をした。大きく地球の地殻が動いた時、人の暮らしがままならなくなる。この現実に思い悩むようになる頃、20代の僕は本格的にカヌーに出会います。
テント・寝袋・鍋・釜・食器をカヌーに積み込んで、水の上を旅するように暮らす。日常の暮らしを非日常の暮らしから見つめてみると、もしかしたら、「人の暮らしと自然のリズム」が少しでも近づくんじゃないか。歩くことの出来ない世界をカヌーで旅すると、今まで見えなかった世界が可能性を広げた。
若い世代とこんな経験を共に体験する事で、彼ら自身の力で自らに気付き、世界観や可能性が大きく広がる旅を作りたい、そう思いました。
「海遍路/山遍路:瀬戸内アドベンチャー320キロ
この夏、株式会社今治.夢スポーツの教育事業「しまなみ野外学校」では、5周年記念イベントとしまして、14歳~20歳の7人の若者が、瀬戸内海をシーカヤックで縦断し、四国お遍路を辿る、21日間の野外体験教育の旅をします。
若者たちは、 海を越え島を巡り、里を歩き山を越え、160キロ×160キロの道のりを行く旅の道中で、様々な出会いから、“生きる”ことに向き合うこととなるでしょう。
時に迷い、ぶつかり合うこともある。旅の途中、地域に生きる方々と喜びを分かち合う瞬間にも出会うでしょう。希望に満ち溢れる想いを持ちながら、21日間という時の流れの中で、日々変化していく子供たちの姿は、もしかしたら現代の混沌とした社会に、一筋の光を見せてくれるのではと感じています。
若者たちは、 海を越え島を巡り、里を歩き山を越え、160キロ×160キロの道のりを行く旅の道中で、様々な出会いから、“生きる”ことに向き合うこととなるでしょう。
時に迷い、ぶつかり合うこともある。旅の途中、地域に生きる方々と喜びを分かち合う瞬間にも出会うでしょう。希望に満ち溢れる想いを持ちながら、21日間という時の流れの中で、日々変化していく子供たちの姿は、もしかしたら現代の混沌とした社会に、一筋の光を見せてくれるのではと感じています。
《どんな旅?》
【移動手段は人力。「自分の腕で漕ぐ・足で歩く」320キロへの挑戦】
決まったスケジュールを“なぞる”旅ではありません。
どの道を選ぶのか、進むのか、戻るのか、停滞するのか、仲間と話し合い、1日の道のりを考えます。この旅は、自分たちで作り上げて行く旅なのです。炎天下の日もあれば雨の日もあるでしょう。自然の変化に適応して動く日もあれば、疲れて歩みが止まる事もあるかも知れません。共に考え、悩み、励ましあいながら、仲間と共にあゆむ21日間の旅です。
どの道を選ぶのか、進むのか、戻るのか、停滞するのか、仲間と話し合い、1日の道のりを考えます。この旅は、自分たちで作り上げて行く旅なのです。炎天下の日もあれば雨の日もあるでしょう。自然の変化に適応して動く日もあれば、疲れて歩みが止まる事もあるかも知れません。共に考え、悩み、励ましあいながら、仲間と共にあゆむ21日間の旅です。
【祈りの道であった四国のお遍路】
1日、15キロ程度から25キロ程度の道のりを歩きます。しまなみアースランドをスタートとし、霊場57番栄福寺から伊予国最大の難所の60番の横峰寺を抜け、65番三角寺を通り、八十八箇所中で最も標高が高い66番の雲辺寺、そして69番観音寺の12箇所の霊場を通り、海遍路のスタート地点でもある荘内半島の浜辺までの160キロの道のりを山遍路と呼んでいます。
【海が交通の主要な移動の場だった瀬戸内海】
シーカヤックに全ての荷物を積み、山遍路の到着地、香川県荘内半島より本州広島県の鞆の浦を目指し、島々を渡り全てのスタート地点でもある四国今治市のしまなみアースランドまでの160キロを漕ぎ抜けるルートを、海遍路と呼んでいます。
人は応援される事で勇気をもらい、応援する事で元気をもらう
少しでも誰かの力になれたら、と災害が起こる度、被災地にそっと出向いて来たのだけれど、とっても辛く厳しい経験をしてしまった被災地の方々が、それでも、一歩でも、前に進む姿に出会うたび、自分の人生を振り返る。僕は今まで何をしていたのだろうか、と。奥歯を噛む歯痒さが生まれ、「少しでも力になりたい」という思いが、僕を被災地に向かわせる。けれど、失われた故郷を一歩でも未来に繋ぐために動く地域の人々と汗を流していると、かえって僕の方が元気をもらっている気がしてならなくて…。
応援し応援される時間を共有したい
この旅は、参加者7名だけの旅ではありません。一歩を踏み出す時には勇気が必要ですし、辛い時に誰かが応援してくれることは支えになり、嬉しいものです。応援されることで沸いてくる勇気もあるのだけれど、応援することで元気になる不思議な反作用もあるわけで。この旅の物語は、旅に出られた子供たちと社会とが、動画配信やzoomを駆使して、共に描いていきます。若い世代がチャレンジする旅と、デジタルを使いリアルタイムでつながるお茶の間が、”勇気と元気”の交換をしていければ、と考えています。
*この海遍路/山遍路の様子を、以下の三つの媒体で随時発信してまいります。
冒険者たちが様々な出会いの中で変化していく様子を、デジタルツールでリアルタイムに共有します。それを皆様に見て応援していただくことを通じて、皆様におかれても、冒険者たちの息づかいを感じ、ドキドキ、ワクワクすることが、明日を生きる原動力にもつながると信じています。
著者プロフィール:木名瀬 裕(きなせ・ひろし)
しまなみの島々(今治市)から、生きるをテーマにする野外活動家 旅人。海で川で山で若い世代の遺伝子のスイッチを入れまくる人。野外活動家×被災地活動家。旅人→猟師→リバーガイド→ガイド会社経営→野外教育を通じた人材育成→FC今治(Jリーグクラブ)初の野外教育『しまなみ野外学校』にて活動。
しまなみの島々(今治市)から、生きるをテーマにする野外活動家 旅人。海で川で山で若い世代の遺伝子のスイッチを入れまくる人。野外活動家×被災地活動家。旅人→猟師→リバーガイド→ガイド会社経営→野外教育を通じた人材育成→FC今治(Jリーグクラブ)初の野外教育『しまなみ野外学校』にて活動。