「子どもと大人の違いはなんですか?」と聞かれたら、あなたはなんと答えるだろうか。わたしは「善悪の判断を行えるのが大人です」と答えている。大人は年齢で決まるものではない。誰かが判定するものでもない。生きる経験の中で、辛いことも苦しいことも思い通りにならないことも乗り越えながら、善悪の判断基準を花のように育てることができたら、大人になった証拠ではないだろうか。
子どもは心を砕きながらも、心の中で善か悪かと対話を延々と繰り返す。そうした経験を振り子のように何千回も何万回も繰り返す中で、鉄を精錬するかのように心が鍛えられ、自分なりの物差しを育んでいけるのだろう。
「ChatGPT」は、「OpenAI」が2022年11月に公開した人工知能だ。お題を与えると、問いに対して広範なデータベースから最適解が返ってくる。AI(Artificial Intelligence:人工知能)が試験問題を解き、論文を書き、小説を書くなど、多くの人がいろいろなことを試している。
AIでは画像や動画も自動で生成できる。便利になったと喜ぶ一方で、多くの人が心の底では不安も感じているだろう。機械と人間との関係性は、日本では昔から漫画やアニメなどで取り上げられ、時間をかけて考えるべきテーマになっていた。『鉄腕アトム』、『ドラえもん』、『機動戦士ガンダム』……。子どもと改めて見直しながら、まさに現代の問題を先取りして取り組んでいると感じる。
子どもは学び、大人になる。例えば、『ドラえもん』は人間の欲望に関する物語だ。困ったとき、のび太がドラえもんに助けを求めると、便利な道具が準備される。困り事は簡単に解決するが、物語はここからだ。あれもできる、これもできると欲望は膨らみ、スネ夫やジャイアンへの復讐も実現する。ドラえもんも危険だと警告するが、欲望は自制できない。暴走した欲望の果てに、のび太自身に災いが降りかかることで物語は唐突に終わる。人間は便利な道具を適切に扱えるのか。「火遊び」という言葉は、その原点かもしれない。
わたしは、善悪の基準は外部ではなく内部に育てるものだと思う。善悪の基準を外に置くと、行きつく先はAIが善悪を決める社会になるだろう。そのAIの背後には人間が隠れている、ということも大事なことだ。自分の中に物差しをつくること。それは突然できるものではない。あらゆる外的事象を啓示として受け止めながら、体験を自分の内部へとぐっと手繰り寄せ、頭と体と心を総動員させて内部の物差しを育てていく。
インターネットや携帯端末の普及により、情報や知性だけではなく、倫理まで外部化されると、人間の内部は空洞化し荒廃する。空洞化された内部に、AIが居場所を見つけて巣をつくる。
AIに関する漠然とした不安は、人間の問題が鏡のように映し出されている。人間の倫理や精神性、そして霊性と呼ばれるもの。その言葉が指し示すものが分からなくなっている時代では、AIはウイルスのように内部に感染し、考えや行動までも支配するだろう。
偉大なクリエイターはあらゆる表現を駆使して、私たちに何十年もかけて、考える機会を与えてくれた。子どもと大人とが、同じ視点で心を育み生きて学び続けることが、未来への種となるのだ。
文・写真 稲葉俊郎
いなば・としろう●1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)、2022年4月より軽井沢病院院長。在宅医療、山岳医療にも従事。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『いのちの居場所』(2022年、扶桑社)、『ことばのくすり』(2023年、大和書房)など。www.toshiroinaba.com
記事は雑誌ソトコト2024年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。