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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

「やさしさ」はどこに行く。

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息抜きが難しい時世になってから、仕事で行き詰まったときは行ったことのない街に一人で行ってみる、ということが増えた。その日は葛飾区の立石に行った。立石は昭和の町並みが残る下町で、僕は惣菜屋さんに寄ってみたり、細い路地をなんとなしに写真に収めたりした後、小さな公園のベンチで休憩していた。

その公園には赤、青、黄と、鮮やかに塗装されたフワちゃんみたいなブランコがあって、ずっと見ていると愛着がわいたのか、乗りたくなった。ゆっくりと立ち上がって伸びをすると、頭に血が回り視界の彩度が上がった。さっきまでグレーの塊として視界にぼんやりと横たわっていた地面の砂地が粒立って見えて、そこに何かがたくさん転がっていることに気づいた。黒鉛で汚れた消しゴムのようなもの。あれ、これ、なんだ? 混乱する僕の視界の右奥から、まだ汚れていない消しゴムが転がってきた。食パンだった。

はたと顔を上げると、ピンクのジャージー生地のズボンに、英字がたくさん入ったTシャツを着たおっちゃんがベンチで足を組んでそれを投げていた。おっちゃんはリラックスした表情で一斤の食パンから“タマ”を豪快にちぎり取っては軽く握り、鳩に「ほらっ」と投げている。おっちゃんは微笑み、鳩たちはそれを食べないどころか、必死に避ける。なるほど、これが「自己満足とやさしさは違う」ってやつか、と思いながら、ここまで潔い自己満足を前にすると、妙に清々しい気持ちになる自分がいた。

やさしさ。それにしても「やさしさ」がかっこいい時代ではなくなったよな、なんてことを思いながら僕はブランコに座った。10年くらい前は「やさしさ」を前面に押し出したコーポレートメッセージやいろんな文章をよく見た気がする。だけど今じゃSNSの発展によってなのか、やさしさを売りにしているような人が、裏でどぎついことをしていると暴露されることも増えた。

あとは、やさしくするってそもそも簡単じゃないから、「やさしくしよう」なんて易々と口に出すのは違う気がしている。それは、みんな違う人間だからだ。みんな違うという当たり前に「だいばーしてぃー」という横文字が入ってくるまで、この国はなかなか気づけなかったのだと思う。前に異業種交流会のようなものでカメルーンの人と話したときに「日本人はみんな一緒と言うけれど、私、だれのことも一緒と思ったことない」と言っていて、僕は「そうなんすねー」なんてスカしていたけど、本当は「いや、そうだよなーー!!」と指でもさして叫びたかった。素面でよかったなと思う。酒が入っていたら絶対に言っていたから(ブランコをこぐと、屋根の向こうの空が見えた)。

そんなわけで「やさしさ」の価値はなくなったのかというとそうではなくて、その向きが変わったのだと僕は思う。それはまず、自分に向けるべきものになった。今話題のポッドキャスト番組『over the sun』のパーソナリティー二人は、「ご自愛ください」をキーフレーズにしているし、りゅうちぇるはYouTubeで「自分にちゃんと愛を注いで、あふれでたものではじめて誰かを愛せる」と語る。真っ当だと思う。

だから、おっちゃんの中の「やさしさ」はきっと今101くらいで、この食パン爆弾は101のうちの100を自分に注いだおっちゃんの1なのかもしれない、と僕は思った。りゅうちぇるもおっちゃんも、まず自分に100を注ぐのは譲れないのだ。ちぎった食パンのサイズをもう少し小さくしてくれたらとか、その投擲ペースを鳩たちの食べるペースに合わせてくれたら、と思うけど、そんなことをすればおっちゃんのやさしさは自分に99しか注げなくなる、のかもしれない。

ブランコを止めて再びおっちゃんを見ると、公園の脇を自転車で通り過ぎた別のおっちゃんに「いつもありがと〜!」と言っていた。いや、そのやさしさはあるんかい。それなら、食パン小さくしてやってくれよ。そう思ったけど、みんなそんな上手じゃないよな。

文・太田尚樹 イラスト・井上 涼

おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。

記事は雑誌ソトコト2021年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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