いのちは ほどかれ むすばれ

連載 | フィロソフィーとしての「いのち」 | 10 いのちは ほどかれ むすばれ

2022.02.25

印象深かった患者さんの死のことを記そうと思う。
 
Uさんはジャガーを乗りこなすおしゃれな若社長で、夫と婚約直後に複数のがんが判明したと語っていた。がん以外にもあらゆる難治性の合併症が見つかり、どの病院でも対応困難とされた。最終的には、心臓の状態が悪く動けなくなり、わたしが勤務していた病院に紹介され長期入院となった。わたしは医師3年目だった。
 
繰り返した抗がん剤や放射線治療の影響からか、点滴ができる静脈がどこにも見つからなかった。小児用の細い点滴針でも血管が確保できず、どの病院も針を刺すのに1時間以上かかったとのことだった。わたしは彼女の主治医ではなかったが、彼女の血管確保が得意だったこともあり、指名されて点滴針を刺しに行き、よく話した。小指の脇、お腹の血管からも針を刺した。小児用の細い針だったが、針を刺す度に彼女は泣いた。1ミリでも手元がずれると静脈は傷む。いつも一発勝負だった。精神統一して病室に入り、点滴をするときも集中し呼吸を止めて針を皮膚に刺した。「いつも真剣な顔だから、私も思わず息を止めちゃうよ」と、彼女は泣いた後、気丈に笑った。
 
たんぱく漏出性胃腸症の合併のため、食事ではたんぱく質が吸収されず、アルブミン製剤を2日に1回点滴した。栄養が吸収されず体外へ素通りしていくため、日に日に肉体から筋肉や脂肪は失われた。骨格そのものが体の形だった。

入院後の2年はあらゆる困難の日々だった。ある日、彼女がわたしに会いたいとコールがあり、病室を訪れた。彼女は更に変わり果てた表情だった。最後の力を振り絞って話しながら、眼が上転していた。脳に血液がまわらず、意識を失いながら何かを伝えようとしていた。「何も見えない」と泣き、看護師は背中をさすり、わたしは手を握った。手を握るだけで手は真っ青になり血が通わなくなった。だから、手は握るというより優しく触れた。血液が通うように、心臓より低い位置に手をもっていった。

「会いに来てくれて、叫びたいくらいうれしいよ」。彼女は前屈しながら倒れ込んだ。話しながら眼が上転し、死と生を行ったり来たりしているのが分かった。彼女は生と死の両方の世界にいた。

生と死は断絶されているように思われやすいが、死の直前の人を看取るときに思う。生と死のあわいの領域が存在し、生と死はゆるやかに硬く結びついているということ。黒と白の絵具をランダムに混ぜた複雑な色合いとしての、いのちが存在する。
「来てくれてありがとう。会えてよかった」と告げ、彼女は亡くなった。いまだに彼女が亡くなった実感はない。濃密な日々の中で、自分の網膜と脳に彼女の像は焼きつけられ刻印されていて、目を瞑って思いだすだけでイメージは鮮明に蘇る。
「あなたは普通の医者と違う道を歩むよ。わたしにはわかるんだ。だって、こんな骨と皮だけのわたしを最後までフェアに扱ってくれている。あなたはわたしの外見ではない何かを見ている。それは魂でしょう。魂は目に見えないでしょう。でも、あなたはそこを見ているんでしょう。それは、わたしがいま最も必要としているものなんだよ」
 
Uさんは亡くなる日、こうしたことを私に告げた。
 
彼女はわたしが原稿に書くことを知らないが、記事を読んだら飛び上がって喜んだだろう。鋭く美しい感性を持った人だった。書くことで、彼女のいのちは、今も生きていると思う。それは、わたしがこうして書き記すことの意味でもある。

文・絵 稲葉俊郎

いなば・としろう●1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)。在宅医療、山岳医療にも従事。未来の医療と社会の創発のため、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『からだとこころの健康学』(2019年、NHK出版)など。www.toshiroinaba.com

記事は雑誌ソトコト2022年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。