獲物が掛かっているかどうか。けもの道を見回りに行くわな猟師・千松信也さんの後を、カメラが追いかける。仕掛けた場所に辿り着くと、わなに掛かって興奮しているイノシシに激突されないよう慎重に近づき、棒で頭を叩く。脳震盪を起こしておとなしくなった隙を突いて、千松さんはイノシシにまたがり、止めを刺す。狙う場所は心臓に近い大動脈。そこを刺して放血すると、肉に臭みが残らないのだという。
仕留めたイノシシは作業場まで引いて戻り、滑車で吊るす。まずは毛を剥いでから、解体作業は始まる。取り出した内臓からホワホワと立ち上る湯気が、ついさっきまでこのイノシシが生きていた事実を視覚に訴える。解体しながら千松さんは、肉の部位や、部位に合った切り方、削ぎ方などを川原愛子監督に説明し、ひととおり作業を終えると、日本酒と一緒に調理した心臓を食べる。解体後、命の象徴である心臓を、最初にひとりでいただくことは、いつの間にか習慣になっていたと話す。
かつてお堂だった建物を改築した山中の自宅は、隠れ里の一軒家という趣があるが、家から京都の市街地までは、実は車で20分の距離だという。日中、家の周辺からは、近くの学校の子どもたちの声や、車が走る音も聞こえてくるように、獣たちは人里と隣り合わせで山に棲息しているのだ。
動物園で働くか、獣医になるか。そう思うくらい動物好きだったけれど、同時に誰かがその命を奪って肉にしているのに、そこを見ずに肉を食べることに、千松さんは違和感を持っていたという。大学を休学して海外を放浪し、NGOで働いた後、自分で肉を獲ることができれば、と猟を始めて19年。終始、淡々としたその話しぶりは、逆に狩猟の魅力や奥深さを、観る者に想像させてくれる。
猟を知らない者の目にも、人間と獣の一対一の真剣勝負に見えるように、わな猟は、対象との距離がとても近い。狩猟のなかでも、もっともフェアな猟がわな猟で、だからこそ千松さんはこの狩猟方法に惹かれたのではないか。
ある夜、仕留めたイノシシを運ぶ際に足を滑らせた千松さんは、左足の骨が砕けるようなひどい骨折をしてしまった。病院からは手術を勧められたが、最終的に手術はせず、ギプスをして自然治癒を待つという選択をする。これも、彼のフェアに生きたいという姿勢を示しているのだろう。
狩猟期間中、わなを架設している限りは毎日、見回りを行う。小学生の子どもたちも、時間が合えば、解体作業を進んで手伝う。
獣が肉になるまでの営みとプロセスを、千松家の日常を、フラットな視線でとらえた映像に思わず見入ってしまう。そんな滋味深いドキュメンタリーだ。
僕は猟師になった
6月6日(土)より、ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開