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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

さようなら、鏡月。

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「鏡月」、飲んでますか? と聞かれて、「嗜む程度に」と答える人はきっと少ない。大体は浴び
るほど飲んできたか、限りなく無縁かである。鏡月は主にディープな夜の街で常飲されている甲類焼酎で、「嗜む」という距離を保つのは容易ではない。ちなみに、甲類焼酎というのは「お酒」と聞いて想像する風味や余韻、奥深さみたいなものをすべて抜き去った、藤川球児の直球みたいなアルコールで、原材料となる麦や米、サトウキビたちの面影はどこにもない。そういう意味でも嗜むことは難しく、そこにたどり着くには、超えなくてはならない夜が多すぎるのだと思う。

僕が鏡月と出合ったのは、たしか大学3年の秋だった。友人に連れられ初めて入ったゲイバーで、キープボトルとして出てきたそれには、スタイリッシュではない、レトロでもない、シンプルともちょっと違う、言ってしまえば、結構ダサいラベルが貼られていた。僕は、まずその潔い形なりにひるんだ。心の中の藤川球児に「“酒”ならいいんだろ?」と聞かれたようだった。当時は花の大学生で、その頃には一生分のカシスオレンジを飲み切っていたし、ビールと発泡酒を飲み分けるくらいには調子に乗っていたけど、イカした大人たちがこんなに直球なものを飲んでいるとは知らなかった。僕は、小さい頃母が飲んでいたアメリカンコーヒーを思い出した。二人で出かけたファミレスで、母はいつもアメリカンを頼んだ。「ちょっと薄くて飲みやすいんよ」。コーヒーでさえ良さが分からない当時の自分にとって、その先にあるアメリカの何かを口にする母の横顔は、彼女が一人の大人の女性であることを感じさせた。僕は熱いアメリカンを飲むみたいに、そっと、そっと鏡月に口をつけた。

あれからたくさんの鏡月を飲んだ。楽しいことがあった日も、悲しいことがあった日も、テーブルの上にそのボトルはすっくと立っていた。酔った心と体をテーブルに預け、ラベルにデカデカと描かれた月を見ていると、ニヤけながらもホッとした。おいしい日本酒を口にした時の驚きも、高いワインを飲んだ時の高揚感も、鏡月の優しさに比べると何でもないな、と僕は思うようになった。鏡月は誰のことも排除しない、「これでいいのだ」というお酒で、それは僕らが「これでいいのだ」と確認しあう場所によく似合っている。僕は、鏡月を嗜むまであと少し、というところまできたようだった。

だけど、これからは、たくさんの人が鏡月を嗜むようになる。先日久しぶりに行ったゲイバーで、古いボトルを飲み切った後、コトッと置かれた新しいボトルには、とてもオシャレなラベルが貼られていた。「鏡月Green」!、そこに書かれてあった文字を思わず声に出した。急いでスマホで検索すると、「鏡月」は「鏡月Green」に生まれ変わったということが、オシャレなガーデンパーティの写真と共に説明されていた。謳い文句は「糖質ゼロ、プリン体ゼロ」。その下には小さな文字で「鏡月と中身は同じです」と書かれてあった。中身は同じです、か。「鏡月Green」の担当者は、母校の校舎が建て替わった時も、同じようなことを言うのだろうか。だとしたら、気が合わなそうだなと思った。

鏡月のあのボトルの中には、たくさんの人のろくでもない思い出が詰まっている。その思い出は、おそらく下世話なものが多いけど、同時にかけがえのないものも多く、なんなら美しいものだってある。下世話であることと下品であることは違う。そう教えてくれたのが鏡月だった。さようなら、鏡月。これからは「鏡月Green」を持って週末キャンプに行くようなオシャレな男女を横目に、負けじとろくでもない思い出を詰め込んでいくしかない。僕もようやく、「嗜む」ところまでこれたのだから。

文・太田尚樹 イラスト・井上 涼

おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。

記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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