わたしは医師として、日々ひとの体に接している。そして気付かされることがある。それは、体や心を深いところで支えている「調和の力」の存在だ。「愛」や「いのち」と言い換えてもいい。
わたしたち生きている存在すべてには、そうした「いのちのながれ」から託され続けた「調和の力」が奥底に流れていて、体や心はその代表的なものだ。
人は、生まれてから死ぬまで、一瞬たりとも自分の体や心と離れることはできない。とても大切な存在の両親も恋人も親友も先生も……別れる時もあるが、体や心だけが一瞬も途切れることなく一緒にいる。ただ、私たちはずっと支え続けてくれている"伴走者"を大切にすることを忘れ、気遣いや感謝を後回しにしていないだろうか。頭で学ぶ情報や概念的な知識に振り回されるより、常に自分と一緒にいる心や体とこそ、仲よくして、対話をすることが大切なことだ。すべてはそこから始まる。
医学や医療は、困ったひとをなんとか助けたい、という思いが原点にあり、体や心の知恵が凝縮されたもの。歴史、衣・食・住、芸術……あらゆるところに、体や心の本質は潜んでいる。この世界にはいろいろな仕事や学問があるが、どの仕事も自分や周り、そして社会が幸せであってほしい、という思いが根幹にあるのではないだろうか。子どもから大人に成長する過程であらゆる常識・固定観念・ルールを学びながら、そうした大事なことをすっかり忘れてしまっている。情報化社会の中で、いろいろな知識や技術を学んでいるから、後はすべて使い方の問題だ。ノーベル賞級の物理学の知識があっても、爆弾や武器をつくることすら可能なのだから、学問や技術の本質は使い方にこそ、ある。それが生き方になる。
医療の枠も定義も人間が決めたものだ。わたしたちがどのような社会をつくりたいかということをイメージしながら、時代と共にその原点を問い直す必要がある。人の体には約60兆個の細胞があるが、無駄なものは1つもない。すべて役割が違うだけであり、仕事の役割も人の体と同じだ。対立や争いではなく、この世界の調和を願いながら、いろいろな領域と協力していく必要がある。
疫病流行の中で、安易な横のつながりが“見えざる壁”で絶たれている時、“自分という深い井戸”を掘る時期でもある。井戸の底から、人類に託されている「いのちのながれ」の祈りの声が聞こえてくるようだ。
1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)、2022年4月より軽井沢病院院長に就任。在宅医療、山岳医療にも従事。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『いのちの居場所』(2022年、扶桑社)など。
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記事は雑誌ソトコト2022年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。