いのちは ながれている

連載 | フィロソフィーとしての「いのち」 | 14 いのちは ながれている

2022.10.17

わたしは医師として、日々ひとの体に接している。そして気付かされることがある。それは、体や心を深いところで支えている「調和の力」の存在だ。「愛」や「いのち」と言い換えてもいい。

わたしたちは一瞬一瞬生き続けているが、その根底に調和の力が存在しなければ、生きている状態を保つことすらできない。血は止まるし、傷はふさがる。それは人間だけではなく、生物のいのちすべてに共通するものだ。この宇宙にいのちが生まれて40億年近く経つが、いのちのつながりは、40億年の間一度も途切れたことはない。わたしたちがその事に気付くか気付かないかにお構いなしに、いのちは宇宙的な調和の働きのなかで数十億年の規模で続いている。今後も続いていくことだろう。

わたしたち生きている存在すべてには、そうした「いのちのながれ」から託され続けた「調和の力」が奥底に流れていて、体や心はその代表的なものだ。

人は、生まれてから死ぬまで、一瞬たりとも自分の体や心と離れることはできない。とても大切な存在の両親も恋人も親友も先生も……別れる時もあるが、体や心だけが一瞬も途切れることなく一緒にいる。ただ、私たちはずっと支え続けてくれている"伴走者"を大切にすることを忘れ、気遣いや感謝を後回しにしていないだろうか。頭で学ぶ情報や概念的な知識に振り回されるより、常に自分と一緒にいる心や体とこそ、仲よくして、対話をすることが大切なことだ。すべてはそこから始まる。

医学や医療は、困ったひとをなんとか助けたい、という思いが原点にあり、体や心の知恵が凝縮されたもの。歴史、衣・食・住、芸術……あらゆるところに、体や心の本質は潜んでいる。この世界にはいろいろな仕事や学問があるが、どの仕事も自分や周り、そして社会が幸せであってほしい、という思いが根幹にあるのではないだろうか。子どもから大人に成長する過程であらゆる常識・固定観念・ルールを学びながら、そうした大事なことをすっかり忘れてしまっている。情報化社会の中で、いろいろな知識や技術を学んでいるから、後はすべて使い方の問題だ。ノーベル賞級の物理学の知識があっても、爆弾や武器をつくることすら可能なのだから、学問や技術の本質は使い方にこそ、ある。それが生き方になる。

医療の枠も定義も人間が決めたものだ。わたしたちがどのような社会をつくりたいかということをイメージしながら、時代と共にその原点を問い直す必要がある。人の体には約60兆個の細胞があるが、無駄なものは1つもない。すべて役割が違うだけであり、仕事の役割も人の体と同じだ。対立や争いではなく、この世界の調和を願いながら、いろいろな領域と協力していく必要がある。

疫病流行の中で、安易な横のつながりが“見えざる壁”で絶たれている時、“自分という深い井戸”を掘る時期でもある。井戸の底から、人類に託されている「いのちのながれ」の祈りの声が聞こえてくるようだ。

文・絵・写真 稲葉俊郎

1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)、2022年4月より軽井沢病院院長に就任。在宅医療、山岳医療にも従事。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『いのちの居場所』(2022年、扶桑社)など。
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記事は雑誌ソトコト2022年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。