「現実という思い込み」
青、黄、赤。信号を進むことができる、停止位置を越えて進行してはならない、止まれ。道路上の安全を司信号は、見せて判断させることでルールとして成り立っている。
この3色が選ばれた理由は、いずれも波長が長くて遠くから見えやすいからである。
特に赤は色の波長が長く、視神経を強く刺激する色であるため、注意を喚起しやすい。そこで、「止まれ」という重大な意味を与えられた。赤に進行を制御させる力がなければ、おぞましい事故への抑止力はもっと弱いものになっていたかもしれない。
拡張現実技術で視界を矯正するメガネが一般的なものになると、フレームに組み込まれたカメラで撮影された光景がリアルタイムに加工され、色調を整えたものを目にすることができるようになる。メガネ付帯の小型プロジェクターでレンズに映写し、現実の光景に色を重ねる。色を判別しやすくするために、足すだけではなく色を間引いたり、光を弱めてから色みを加えたりする。色覚異常に悩む人や、視野狭窄により視野が狭くなる人を助けることができる技術として普及が期待される。
人間は、見えたものが現実だと思い込んでいる。しかしながら、眼球から入ってくる情報を脳が解釈することで、世界はつくり出されているに過ぎない。自分たちに見えている世界が現実で、寸分違たがわぬ実際であるとは限らない。視覚は天然色ととらえても、実体は色が付いておらず、電磁波の
飛び交う色気のない世界。だとすれば、拡張現実技術で脚色された世界を補正されたつくりものだとする認識は、そもそも目に映っているものが現実だと疑わないことと同じくらい危うい。眼に映る世界自体がつくりもの、一種の虚構である事実をさておくことになる。
いまや食べ物や飲み物の多くに、スクラロース、アスパルテームなどの人工甘味料が利用されている。天然には存在しない、人工的に合成してつくった甘味料に、砂糖の数百倍の甘さを感じられる。合成甘味料は、この世にはない成分を人工的につくり出した甘み成分である。〟この世にはない〝成分に、人間の味覚はまんまと騙されていることになる。顎から喉にかけて電気を断続的に流すことで飲み物の味を濃く感じさせるような研究も行われており、現実の味と人間が感じ取る味の差異を作為的に生み出す技術は、すでにそこにある。いや、そもそも何が現実の味でどこからが嘘の味なのかなんて、極めて微妙だ。
信号のように皆が同じ色だと認識することで安全を守るという虚構上のルールは、それなりに人間が生きる世界を維持するための役に立つ。その世界で、拡張現実技術、仮想現実技術が見たままではないことを時に楽しみ、時に問題視する。興味と恐れを同時に抱かせるのは、現実だと思い込んでいる世界が脳の錯覚かもしれないという現実を浮き彫りにするからかもしれない。味覚だって、現実の味が何なのかを本当は分かっていないのに、現実を味わっていると信じている。この世にはない成分に味覚が満たされていることこそ現実なのだ。
人間の認知(能力)を揺るがし、現実とは何なのかが人間に問われている。本当は、現実なんて思い込みなのだ。