新型コロナウイルスの拡大がとどまるところを知らない。全世界に広がった感染者はその数1億人を超え、死者も200万人を突破した。
もちろん、ウイルスには自走能力も遊泳能力も飛行能力もない。広がったのはすべて人間が、その移動に伴い、ウイルスを運んだからだ。そもそも、新型コロナウイルスは、無から急に出現したわけではない。SARSやMERSと呼ばれていた病気のコロナウイルスが徐々に変化したものだ。その変化は、このウイルスの本来の自然宿主であるコウモリやセンザンコウといった野生動物の体内に潜んでいるうちに起きたものである。そこへ人間があえて近づいていった結果、乗り移ってきたものだ。その背景には、無制限な自然開発や環境破壊などの人為的な営為がある。
ウイルスはずっと昔から存在していた。変化しながら宿主から宿主へと渡り歩く。おそらく自然界は無数のウイルスに満ちあふれている。私たちがそれに気づかないだけだ。ほとんどのウイルスは、宿主に気づかれないうちに通り過ぎてゆく。遺伝情報のかけらを水平移動させることが、ウイルスの存在意義だからである。親から子、子から孫と本来は垂直に伝達される遺伝情報を、横につなぐことがウイルスの役割であり、進化上、それが必要だったから、ウイルスは昔も今も、これからも存在し続ける。その中でたまたま、宿主の健康に影響を及ぼすタイプのウイルスが、ときに顕在化する。人間社会が文明化し、グローバル化すればするほど、広く拡散する。
つまり、コロナ禍は天災であるとともに、人災でもある。ウイルスは、自然の環の一部であるがゆえに、撲滅することも克服することもできない。いや、撲滅すべきものでも、克服すべきものでもない。その存在を許容し、共に生きていく道を模索するしかない。つまり、ウイルスと私たちの間の動的平衡を目指すしかない。もっとも自然なのは、ウイルスと遭遇し、ウイルス感染を経験することによって、自身の免疫システムに免疫記憶を持ってもらうことだ。ウイルスが自然の一部であるのと同じ理由で、私たちの身体も自然の一部であり、免疫系は新しいウイルスを記憶することによって、ウイルスが増殖しすぎたり、暴走することを抑制する。
人類は、これまでの数百万年の間に幾度となく、感染症と出合い、その中をくぐり抜けることによって、病原体との間に動的平衡を形づくってきた。その証拠に、人類の進化は一度たりとも途切れることなく、現在に至る。人類が集団として免疫記憶を獲得することによって、今回の新型コロナウイルスも、やがては通常型の風邪ウイルスの一つとなるだろう。しかしそれには時間がかかる。人類集団の半分以上のポピュレーションが免疫記憶を得るには数年から十数年の時間がかかるだろう。そこで次善の策は、ワクチンである。ワクチンの投与によって、人為的に免疫記憶をつくる。
パンデミックに対し、世界中の製薬メーカーが、ワクチンの開発競争に乗り出した。ワクチンは、本来、ウイルスを培養し、そこから弱毒化したウイルスをワクチンとして接種するか(生ワクチン)、あるいはウイルスからその構成成分のタンパク質を抽出・精製して作製される。これを接種すれば、免疫を活性化し、それを記憶させることができる。
しかし、タンパク質の精製工程を整備し、安全性を確保し、しかも効果や副作用を治験するには膨大な時間がかかる。タンパク質は取り扱いが大変だからである。そこで、考え出された新戦略は、タンパク質の設計図となるRNA、もしくはDNAを使うという方法だ。『ファイザー』と『バイオンテック』、『モデルナ』の製品はRNAワクチン、『アストラゼネカ』や『ジョンソン・エンド・ジョンソン』の製品はDNAを組み込んだウイルスベクター型である。それぞれに一長一短がある。RNA、DNAは、試験管内で短時間に人工合成することができる。タンパク質型なら注射さえすれば、体内に巡回している免疫細胞に認識されるが、RNA型、DNA型は、注射後、細胞に取り込まれ、そこでタンパク質に変換されてから、さらに細胞外に分泌されないと、免疫細胞に認識されない。DNA型は、細胞内のそのまた奥の細胞核に入らないと、RNAに変換されないので、効率の点で不利だが、RNA型よりも安定性はよい。RNA型は不安定なので、極低温保管が必要となる。
1年足らずのワープ・スピードで開発され、特例で認可されたワクチンの安全性についての懸念もある。今のところ重大な副作用の報告はないが、少数ながらアレルギー反応やアナフィラキシー反応の症例はある。それぞれのワクチンには一長一短があり、効力や投与回数にも差があるが、現在の日本では、どのワクチンが、いつ頃、どのような規模で利用可能になるのかは、すべて外国に依存している状況だ。逆説的ではあるが、この待ち時間のうちに、ワクチン接種先行国からの効果や副作用の情報が集積されてくるのを注視するしかない。科学技術を誇ったはずの日本が、ワクチン開発でかくも出遅れてしまったところに、国力の衰微を垣間見ることができるというのは、うがちすぎだろうか。