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B. 約230km
でした!
約230kmを驚異的なスピードで踏破。
現在の岡山県岡山市にある備中高松城から、現在の京都府・大山崎町の山城山崎まで約230km。3万もの兵を抱えた豊富軍は、この距離を約10日で行軍したといわれています。

豊臣秀吉は、6月3日夜から4日未明にかけて織田信長が討たれたという情報を入手し、毛利氏との戦いから撤退し東へ行軍。6月7日夕方には姫路城に到着、6月9日朝まで滞留し休養をとった上で再出発。6月11日には尼崎を通過し、6月13日昼頃には京都府大山崎町に到着、明智軍と戦ったとされています。
もちろん車など無い時代のこと。兵の休息なども踏まえると、驚異的なスピードだったと言われています。それを実現したのは豊富秀吉のとっさの判断力。馬に乗りながら、今後の世の動向に思いを巡らせていたのでしょうね。
















