正直に言って、海を撮り続けようとか、地元を撮り続けようとか考えたことはない。コツコツと撮り溜めてデータを整理して、ということがあまり向いていない性格だというのもあるけれど、写真ぐらいはなるべく湧き上がる感情のままにシャッターを切りたい、という部分が大きい。
神奈川県から沖縄県に移住して、早いもので10年目になる。気がつけば、大人になってから暮らす場所としては一番長くこの宜野湾市にいることになる。「外人住宅」というある意味で沖縄らしい住まいに暮らし、家族も増えた。
沖縄に来て最初に感じたのは、空と海の表情の豊かさだった。空は高く、どこまでも広かったし、雲の移り変わりは驚くほどにドラマチックだった。突き刺すような夏の強い日差し。巨大な入道雲と、遠くに見える「カタブイ」(沖縄の方言でスコールのこと)の雲。空と海の境界線を曖昧にするような朝の淡い色合い。少しずつピンクに染まる空、燃えるような夕日、その後の“マジックアワー”。
神奈川県から沖縄県に移住して、早いもので10年目になる。気がつけば、大人になってから暮らす場所としては一番長くこの宜野湾市にいることになる。「外人住宅」というある意味で沖縄らしい住まいに暮らし、家族も増えた。
沖縄に来て最初に感じたのは、空と海の表情の豊かさだった。空は高く、どこまでも広かったし、雲の移り変わりは驚くほどにドラマチックだった。突き刺すような夏の強い日差し。巨大な入道雲と、遠くに見える「カタブイ」(沖縄の方言でスコールのこと)の雲。空と海の境界線を曖昧にするような朝の淡い色合い。少しずつピンクに染まる空、燃えるような夕日、その後の“マジックアワー”。
以前暮らしていた関東のような四季はないけれど、それでもいつまでも見飽きることのない空と海の表情がいつもそばにあった。息子が初めて海に足をつけ、その感触に泣き出したとき、夕日のなかで晩ごはんを食べるとき、遊泳期間ではない季節の静かな海。写真を見返すと、家族の思い出の背景を、さまざまな表情の空と海が彩っていてくれたことに気づく。むしろ、夏のいかにも沖縄、という海のほうが少ないぐらいだ。ガイドブックに載っている、コントラストの強い色彩の濃い海、というのは沖縄の海のひとつの側面でしかない。いろいろな表情で、僕たちの暮らしのすべてを包み込んでくれる懐の深さが、沖縄の海の本来の姿ではないだろうか。
情報を発信する者のひとりとして、いままで「沖縄らしさ」という言葉とずっと向き合ってきた。ガイドブックに求められるままに意識したり、そこから離れようとしたり、または新しい何かを探してみたり。ただ僕は、「らしい」と言って思考停止してしまうことを嫌っていたのだと思う。誰かが思う「沖縄らしさ」なんて、そのほんの一部分でしかない。数え切れないほどたくさんの表情を持っていて、日々変化し、さまざまな魅力がそこにはある。「らしさ」なんてものは、日々更新されていくのだ。暮らしのなかで海を撮ることによって、そんなことに気がついた。
いつの間にか撮り続けていた沖縄の海。このまま撮り続けていたら、また新しい何かに気づくことができるのだろうか。その写真を見せることで、言葉では表し切れない何かを、伝えることができるだろうか。
いつの間にか撮り続けていた沖縄の海。このまま撮り続けていたら、また新しい何かに気づくことができるのだろうか。その写真を見せることで、言葉では表し切れない何かを、伝えることができるだろうか。
せそこ・まさゆき●沖縄県在住の編集者。編集チーム『手紙社』にて、書籍の編集、イベントの企画、カフェ、雑貨店の運営に携わったのち、2012年6月に独立し、自身のルーツである沖縄へ移住。紙、web等の媒体を問わず、企画・編集、執筆、写真を通して沖縄の魅力を独自の世界観で表現し、発信している。沖縄を楽しむちいさなメディア&コミュニティ『SQUA』主宰。「島の装い。展」ディレクター。『沖縄CLIP』編集長。『あたらしい沖縄旅行』、『石垣 宮古 ストーリーのある島旅案内』など著書多数。http://masayukisesoko.com
記事は雑誌ソトコト2021年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。