『日本ユネスコ協会連盟』はUNESCO(国連教育科学文化機関)の理念に基づき活動するNGOです。基本的人権として、誰もが公平に教育を受けられる場をつくる「世界寺子屋運動」を世界各国で行っています。2015年4月のネパール中部地震で大きな被害が出たネパールでも行い、復興支援にもつながりました。復興の途にあるネパールで夢を持ち、学び直す人びとがいます。
ネパールの玄関口であるトリブバン国際空港は国内で唯一の国際空港であり、着陸を待つ飛行機で「渋滞」することも珍しくない。そのため、30分以上空港周辺の上空を旋回していることもある。
ネパールには、歴史的な街並みやヒマラヤへのトレッキングのために年間で約100万人の観光客が訪れる。1979年に世界遺産に登録されたカトマンズ盆地はカトマンズ、パタンおよびバクタプルの3つの旧・王朝の宮廷広場や仏塔、ヒンドゥー寺院など7つが構成資産となっている。古く入り組んだ街並みと、レンガ敷きのでこぼこで狭い道路をバイクやタクシーが所狭しと走り抜ける。
カトマンズはもともとこの地に住んでいたネワールという人びとが造った都市で、ヒンドゥー教と仏教が混在した独特の文化で、至るところに寺院があり、人びとが祈りを捧げている。
カトマンズ盆地は急速な都市化と人口増加に見舞われており、渋滞や大気汚染が問題になっている。そのようななかで、人びとはかろうじて祭りや祈りの伝統を維持している。
ネパール中部地震と、復興支援活動。
しかし、このような歴史的に重要な建造物の多くが、2015年4月25日に発生した首都・カトマンズから北西約80キロの地点を震源とするマグニチュード7.9の地震によって大きな被害を受けた。およそ9000人が犠牲になり、2万人以上が負傷したといわれる。全壊した家屋は60万戸以上。山岳地域を中心に大きな被害があり、ネパール75郡(当時)のうち30郡で被害があったといわれる。ダルバール広場やバクタプルの寺院も建物が崩壊した。
現在、被災した世界遺産については、日本政府やJICA、UNESCOをはじめとした国連機関など多くの関係団体が支援を行い、修復が進められている。
「世界寺子屋運動」では、地震発生後からカトマンズ盆地にある4軒の「寺子屋」を中心に人びとの生活の支援を行った。
食糧支援や緊急物資の提供後、仮設住宅の建設支援のための手押し車や作業用のヘルメットの提供、被災した人への職業訓練などを実施し、ネパールの復興を後押しした。
「寺子屋」は地元の人びとが運営に携わっているため、近隣の被害状況を把握し、最も必要性の高い人びとに支援を提供することができた。「寺子屋」ではまた、今後の災害のための防災・減災のための研修を地域の人びとを対象に行い、地震への備えをした。
また、ネパール政府の要請を受け、震源であるゴルカ郡をはじめ3地域で、建物に被害があった「寺子屋」3軒を新たに再建した。新しくできた「寺子屋」では、識字クラスや職業訓練が行われている。
観光客と、英語でコミュニケーションを。
地震への復興支援だけでなく、「世界寺子屋運動」ではカトマンズで教育支援を実施している。カトマンズ盆地では学校に通えない子どもはそれほど多くない。しかし、子どもたちの母親や祖母世代では公用語であるネパール語の読み書きが十分にできない人が少なくない。ネワールの人びとが日常的に話しているのは独自のネワール語という言語だ。ネパールは面積が日本の4割程度で人口は2800万人ほどだが、多言語・他民族国家で、90以上の言語と100以上の民族がいるとされる。公用語であるネパール語を日常的に話す人びとは半分以下しかおらず、公用語は別に学ぶ必要ある。
「寺子屋」では、母親世代のネパール語の識字クラスをはじめ、識字能力を身につけた女性たちに小学校レベルのクラスを実施している。20代から60代の女性たちがネパール語、算数、英語、社会、理科・保健の5教科を3年間学ぶ。
ホテルでヘルパーとして働く生徒は、「観光客と英語でコミュニケーションがとりたい」と意欲的に学んでいる。
「世界寺子屋運動」では永続的に支援を行うのではなく、地域の人びとが「寺子屋」を自律的に運営し、活動を継続することを目指している。今後、世界遺産であるカトマンズ盆地の「寺子屋」は、地域の人びとが政府と連携しながら活動を続けていくことが期待されている。